ささくれでささくれだったパンダが笹くれという話

松平真

ささくれでささくれだったパンダが笹くれという話

 午前1時。深夜の市街地。

 俺は、特に目的もなく近所をぶらついていた。

 家で、生物の宿題をしていたとき、ふとなにもかも嫌になって抜け出したのである。

 親は二人とも寝ていたのだろう。

 家から出ることを誰にも見咎められることはなかった。


 よく晴れていて、満月なのか、月明かりで妙に明るい夜だった。

 公園を見つけた。

 いい加減歩くのも億劫になっていた俺は、近くの自販機で缶に入った清涼飲料水を買うと設置してあるベンチに座り、プルタブを開けた。

 プシュッと微かな空気の抜ける音を、無感情に流しながら空を見上げる。

 丸い月が真上に見えた。

 その視界がふと暗くなった。

 月の明かりを、なにかの影が遮ったのだ。


「おい」


 その影は、俺に声をかけた。

 俺はぎくりとした。

 もしかしたら警官かもしれない。

 聞いたことしかない補導というのをされるのかも。

 あるいは不良や半グレか、浮浪者かもしれない。

 いずれにせよいいことがありそうには思えなかった。


「おい、無視してんじゃねぇよ」



 俺は恐る恐る影のほうに視線を向けた。

 そして俺は呆気にとられた。

 自分ではわからないが口を大きく開けた間抜け面を晒していただろう。


 そこには仁王立ちのパンダがいた。


 全高2m程度。

 ずんぐりむっくりした着ぐるみみたいなシルエット。上から交互に黒と白の毛でおおわれた身体。

 周りを黒い毛に囲まれた黒い瞳は、ぱっとみではどこにあるかもわからず、感情が読めなかった。


「パンダ……?」

「そうだよ人間。無視してんじゃねぇよ」

「な、なんで……?」

 俺の口から間抜けな言葉がこぼれた

 様々な疑問が頭をよぎる。

 パンダが日本語をしゃべっている。

 パンダをこんなに間近で見たのは初めてだ。

 いやそれ以前になんでこんな町中にパンダがいるんだ。

 そんな俺の混乱に構わずパンダは口を開いた。

 その際に見える犬歯は、否が応でもこのパンダは着ぐるみでないことを俺に教えた。


「笹、くれよ」


「は?」

「葉じゃねぇよ。笹だよ。持ってんだろ」

 いや笹なら葉もついてんだろ、と混乱する頭で思いながら

「いや持ってませんよ……」

「アア!?隠してんじゃねーぞ!!」

 パンダは、右腕を力任せに振るった。

 それはドゴンという大きな音共に近くにあった電灯を大きく傾がせて、俺たちの影の長さを変えた。

「ヒッ」

 俺の口から悲鳴が漏れる。

 そう、パンダはクマ、猛獣の仲間なのだ。

 機嫌を損ねると殺される。

 なんでこうなったんだ。俺はちょっと深夜の散歩をしていただけなのに。


「持ってんだろっ!俺は腹減ってんだよ!!」

「も、持ってません!普通そんなもの持ち歩きません!」

「嘘ついてんじゃねーよ!いっつも持って檻に届けに来るだろうが!人間全員笹持ってんだろ!」

 こいつ動物園で暮らしてんのかよ。いや日本に野生のパンダがいるわけないんだけど。

「それは動物園そういう施設だからじゃないでしょうか!?」

「俺の世話してるやつ以外にも笹差し出してくるときあんぞ!?」

「それは餌やり体験会そういうイベントとかでは!?」

「チッ」

 俺の抗弁にパンダは理があると悟ったのか(いやパンダ相手に餌やり体験会とかするなよ)、舌打ちだけですませたあと、

 俺が座っているベンチにどっかと座り込んだ。

 ベンチが軋むが、壊れはしなかった。

 俺は匂いすらかげる距離に座ったパンダに心底ビビっていた。

 逃げようかと考えるが、足が震えて立てなかった。

 柵すらなく猛獣がこんなすぐそばにいる。いつ殺されてもおかしくない状況が俺の身体を凍り付かせていた。

 パンダは夜空を、月を見上げてなにかを考えていた。

 暫くの間、沈黙が公園を支配していた。


「おい」

 月が少し傾いたころにパンダは口を開いた。

「案内しろ」

「あ、案内?」

「そうだよ。笹があるところまで案内しろ」

 そんなこと言われても笹なんか近所に生えていただろうか。

 パンダは器用に俺を引っ張り上げる。肉球と爪の感触が俺を怯えさせた。

 必死に、笹、笹と記憶を探る。スマホで調べることすら思いつけない頭を懸命に回転させた。


 そういえば、去年の高校の七夕のイベントでで使った笹は校舎の裏山で採ってきたと聞いたことがあった。


「あ、あのその……ちょっと歩きますが……」

 俺の言葉にパンダは鷹揚に頷いた。


「いいよ」


 ◆


 夜の住宅街をパンダと共に歩く。

 ほとんどの家は明りも消えて、まるでゴーストタウンのような静けさに沈んでいた。

 だからだろう。俺は誰かに助けを求めることを思いつけなかった。


「どこにあるんだ笹」

 気分が変わったのか、パンダは公園での荒々しさを忘れたかのように親し気に話しかけてきた。

「えっと高校の裏山に」

「コーコー?なんだそりゃ」

「えっと学校……勉強するところです」

「はーん?つまんなさそうなところだな」

「そ、そうっすね……」

 パンダは俺の答えにガハハと笑った。


 その笑い声を聞きながら俺はふと自問自答した。

 高校はつまらないところだろうか。

 よくわからなかった。おもしろいとかつまならいとかで考えたことがなかったからだ。

 恋人も特別に親しい友人もいない俺にとって学校は行かなければならないから行っている場所だった。


「人間」

 パンダの呼びかけが俺の思考を中断させた。

「は、はい?」

「なんでお前はあんなとこいたんだ」

 戸惑う俺を見てパンダは言葉を足した。

「他の人間はどこにもいねぇ。よく考えると普段も夜は人間は来ねぇ」

 そこまで言うと一度言葉を切って俺の顔を覗き込むようにした。

「つまり人間は夜行性じゃねぇってことだ」

 パンダは夜行性だっけか?

 どうだ、俺の推理力とパンダは呵々と笑う。


「なんとなく家に、あ、巣?みたいなものです、にいたくなくなって」

 ふーん、とパンダは唸ると

「月も奇麗な夜だしなァ」

 そう納得していた。

 正直、月を見て外を出ようなんて考えていなかったし、ベンチに座るまで見上げもしてなかった。

 だが、その誤解を積極的に解く気にはならなかった。


「あの」

 ん?とパンダが俺を見た。

 考えると俺からパンダに声をかけたのはこれが初めてだったかもしれない。

「なんでパンダさんはこんな町中に?」

 言ってから、うっせぇ俺の勝手だろうがと吠えられるかと思い、思わず目をつぶった。

 だが、返ってきたのは少し小さな、気まずいような、照れくささを隠しているかのような声だった。

「あー……ささくれがあったんだよ」

「ささくれ?」

 思わずオウム返しした俺にパンダは頷くと

「小屋の壁がよ、ささくれだってて手に刺さったんだよ」

 パンダは空を見上げた。

「それでイラついて壁を蹴っ飛ばしたんだよ。そしたらあっさり壁が倒れてな」

「それで出て来ちゃったと?」

 パンダは照れくさそうにうなずいた。

 いたずらがバレた子供みたいだった。


 そんなふうにしばらく歩くと目的地が、高校の校舎が見えてきた。

「もうすぐですよパンダさん」

「おう」

 俺の言葉にパンダは嬉しそうに答えた。

 裏手に回るとフェンスを乗り越えて(パンダも器用に登った)裏山に足を踏み入れた。

 落ち葉をサクサク踏みながら歩く。

「悪かったな」

「どうしたんですか藪から棒に」

 パンダの急な謝罪に俺は戸惑った。

「公園でよ。抜け出したはいいけど歩いていると腹減って、でも戻る気もしなくてよ。ささくれ立ってたんだ」

 そのどこかしょんぼりした様は、動物園のマスコットらしさとは違う可愛げがあった。

「いいですよ、気分転換にもなりましたし」

 そういう俺に、パンダは小声であんがとよと礼を言った。


 そして笹が生い茂っている場所に辿り着いた。

「つきましたよパンダさん!」

 俺はなんだか無性にうれしくなってパンダにそう呼びかけた。

 パンダは、おうと言いたげに片腕をあげた。

 その時だった。

 急に視界が眩しくなった。

 周囲に置かれた巨大なライトに照らし出されているのだと気が付いたのは、10秒は経ってからだっただろう。

 周辺からハンターだろう、猟銃を持った大人たちがわらわらと出てきた。

「どうやら小旅行はここまでらしいな」

 パンダはそう言うと、大人しく両腕をあげた。ホールドアップだ。

 だがハンターたちはそれに構わず銃を発砲した。

「パンダさん!」俺は思わずパンダに駆け寄ろうとしたが、大人たちが俺を引き留め抑え込んだ。

「君!もう大丈夫だから!危ないから下がっていて!」

 なんで邪魔するんだよ。パンダは笹を食べに来ただけじゃないか。

 振りほどこうともがく。

 なんで一方的にこんなことされなきゃいけないんだよ。

 だが、俺を抑えていた腕はびくともしなかった。

 パンダは滲んだ俺の視界の中で小さく手を振った。

 そして倒れていびきをかき始めた。

 麻酔弾だったのだ。


 こうして俺の深夜の散歩は終わった。

 大人たちは、パンダをトラックの荷台に押し込むと、俺を家まで送り届けてくれた。

 お詫びにと渡された動物園の割引券が妙なおかしみを感じさせた。

 怒られるにせよ、詫びられるにせよもっと大事になると思っていたのに、割引券とは。

 しょうがない。

 俺は戻った部屋で笑いながら笑った。

 今度の休みはあのパンダに差し入れでも持っていってやろう。

 食べ損ねた笹を。

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