第21話 飛行偵察

 廣田特務少尉が操縦する、令川丸搭載の零式水上観測機偵察1番機は、空母蛟龍以下の第25航空戦隊に翼を振って別れを告げ、朝日を背中に浴びながら、さらに西方を目指して飛行を続けた。


 高度を2000mに上げ、雲のない快晴の空を順調に飛行を続ける。

 25航戦が、予想の位置にドンピシャリでいてくれたおかげで、偵察員の中川一等飛行兵曹の航法が、楽になった。

 若干向かい風気味ではあるが、さほど強くはなく、海面にも波はほとんど見当たらない。


 25航戦の位置を過ぎてから20分ほど経った頃から、海上に、たまにではあるが船舶を見かけるようになった。

 当然であるが、みな帆船で、おおむね東行きか西行きかのどちらかの向きである。

 廣田の目には、東行き船の方が大きめのウェーキ(航跡)を引いており、西行きの船よりもスピードが出ているように見えるため、やはり西風が吹いているのであろうと思われた。


 そうすると、今、ブリーデヴァンガル島に向かっているティアマト号からすれば、向かい風ということになり、ただでさえ遅れ気味の日程が、さらに遅れることになるだろうと思われ、廣田は、少し気の毒な気がした。


「下の船の連中からしたら、俺たちは『ワイバーン』に見えるんだろうか。」


 廣田が、中川に向かって伝声管で話し掛けた。


「そーっすねぇ。飛ぶ物はそれしか知らないんだったら、そう思われているんでしょうね。」


 中川はそう答えた。


「変な伝説にでもなったら、困るなぁ。」

「アハハハハ。」


 そんな気軽な会話を交わしていると、廣田の目の前の水平線上に、ボーっと陸地の姿が飛び込んできた。

 それは、小さな島影ではなく、前方の視界一面広がる、かなりの大きさのものであった。


「中川兵曹、前方に陸地が見えるぞ。かなりデカい陸地のようだ。」

「了解です。こっちからも左右の広がりが見えます。」


 中川にも見えたらしい。


 さらに10分ほど飛行すると、海岸線が、かなりはっきりと姿を見せ、地形は、背後に山地を背負った平野であることが確認でき、また、街の姿らしきものも見え始めた。

 廣田は、出発前に渡された絵図と地形を照合してみた。

 それは、アナセン准男爵が、令川丸発進前に書いてくれた、ブリーデヴァンガル島の略地図であった。

 前方の陸地が近付くに連れ、海岸線の形や街の位置関係が、だいたい略地図と同じであることが分かり、その陸地こそがブリーデヴァンガル島であると判断できた。


「ブリーデヴァンガル島到達を報告しますか?」


 中川が質問した。


「いや、もう少し偵察してからだな。まだ、何も見ていない。」

「了解です。」


 廣田の考えはもっともで、偵察に来たのにまだ情報が何もないに等しい。


 陸地はどんどん近付いてきて、もうすぐ上空に差し掛かりそうである。

 真正面には、円形の城壁と掘割に囲まれた街が見えている。

 見下ろすと、楕円形に巡らされた城壁は、差し渡しが10㎞ほどで、街の中心近くには尖塔を数本備えた、廣田から見ても分かりやすい、いかにもな西洋風のお城がそびえ立っていて、街は、そのお城を中心とした放射状に延びる道路と、その道路を環状に結ぶ道路沿いに区画されてる。

 また、それらの放射道路と環状道路の間には、細かい路地が張り巡らされている。

 城外を見ると、街の向かって右手、つまり北側には、大きめの川が流れており、そこから引き入れられた水路が城内にもいくつか伸び、中心に建つお城に達していた。

 街の東側、つまり海側には、防波堤や波止場、倉庫街などを擁する港が見えており、波止場に停泊していたり、少し沖の方に停泊している船が見える。


「あれが、デ・ノーアトゥーンの街と港湾施設、それにトゥーンサリル城か。ヨーロッパの古い城下町みたいだな。」


 廣田は、もちろんヨーロッパの町など行ったことはないが、漠然とそう思った。


「おっとっと、街より先に湾を探さなきゃだな。」


 今回の偵察の最も重要な任務は、艦隊が投錨、停泊できる、アナセンが教えてくれた『ギムレー湾』を実際に観察することである。


 もらった略地図によれば、ギムレー湾は街の北側に広がっているため、廣田は、機体を右に旋回させ、湾を目指した。

 右旋回をすると同時に、廣田にも中川にも、左前方に大きな湾が見えてきて、それが目指す湾だとすぐに分かった。


 廣田は、高度を維持したまま、いったん左に湾全体を見下ろせるように機体を占位すると、中川に写真撮影を命じた。

 百聞は一見に如かず、ということで、口頭報告に写真を添えるべく、零式水上偵察機の偵察員から、偵察用のカメラを拝借して来ていた。

 幸い、中川はカメラの取り扱いに経験があったので、そうすることができたのである。


 高度2000mから、ギムレー湾の全景を撮影したが、湾は、廣田が練習生時代に上空を飛んだ、霞ケ浦程度の広さはありそうで、アナセンの言った

「令川丸位の船なら10隻や20隻は停泊できる。」

というのは本当だと思った。


 廣田は、今度は、より詳細に偵察を行うため、左旋回をしながら500mまで高度を下げ、速度も落とし、北側から湾上空に進入していった。


 大きな楕円形をした湾の入口には、南北両側から砂州が発達していて、外洋から押し寄せる波浪を防ぐ天然の防波堤となっていた。したがって、湾内は常に波静かな状態が保たれると思われ、これは艦艇の停泊地として、そしてラバウルの南、ショートランドのような水上機の基地としても運用に適していると考えられた。


「おーい、湾内の写真も撮っておけよ。」


 廣田が伝声管を通じて中川に呼びかけると


「はーい、撮っております。」


と元気の良い返事が返ってきた。

 おそらくは、この湾が自分たちの泊地になるのだろうと思うと、廣田は感慨深いものがあった。


「街の上空に戻る。」


 中川にそう告げ、廣田は高度はそのままで、湾と街を遮る形で横たわる丘陵を飛び越え、デ・ノーアトゥーンの街を目指した。


 この辺りの地形は、向かって右側、つまり西側の遠くに山地があり、そこから海に向かって平坦な土地が広がっている。


 その平坦地の海岸近くを街道が通っており、時折、行き交う人や馬車が見えるが、爆音に気付くのか、こちらを見上げる者もいた。


 街道は、森を抜ける場所もあるが、丘陵地帯は海岸縁を通って傾斜を避けている。


 やがて、遠目に見えていた街が近づいて来るに連れて、荒れ地や森林が耕作地に変わり、所々に小さな集落があって、誰かしらがこちらを見上げている。


  田園地帯を通過すると、目の前が、堀を巡らせたデ・ノーアトゥーンの城壁である。

 森林や畑、集落の中を抜けた街道が、城門に向かって繋がっており、門とその上の城壁には、衛兵の姿が見えた。

 

 廣田機は、街をぐるりと囲う城壁を飛び越え、市街地上空へ差し掛かったが、そのとき、衛兵や入門のチェックを受けているらしい通行人が、爆音に気付いてこちらを見上げていた。


 低空から見下ろすと、街路は整然と整備してあり、石やレンガで舗装されているのが分かった。

 街の中心にある城から南北に延びる街路がメインストリートで、東西に延びる街路は、港と市街地、そして城を繋ぐ重要な通りと推察され、その街路沿いには街路樹や緑地が整備されるなど、手入れの良さが一際目を引いた。


「中川兵曹、街の様子も撮影しておいてくれ。」


 廣田が中川に命じると


「はい、もう撮影に掛かっております。」


という返事が伝声管から返ってきた。


 中川の持つカメラは、六櫻社製の百式小航空写真機という、焦点距離200㎜と400㎜レンズ付け替え式で40枚撮りの本格的な偵察用であり、大きさは小型のアコーディオン位あって、使用するときは両手で抱えるように持ち、ファインダーは、ボディーの上へ照準器のように設置してある枠を覗き込み、撮影範囲を決めるようになっていた。

 だから、傍から見ると、写真の撮影というよりも重機関銃を扱っているような光景に見えるのだが、いずれにせよ、簡単に振り回せる代物ではなく、撮影にはそれなりの習熟と腕力が必要だった。


 カメラのボディの裏側には、撮影高度と地上の撮影範囲のメモが貼られていて、今は高度500mなので、そのメモによれば、撮影範囲が446m×312mということになるが、これは、縮尺で言えばだいたい2500分の1という、少し大きな縮尺となる。


「分隊士、城を撮りたいので左旋回願います。」


 中川からのリクエストに応え、廣田は機体を緩やかな左旋回に入れた。

 まだ、朝日の中なので、西側は日陰となって少し暗い。


 トゥンサリル城は、この高度では、敷地が撮影範囲に収まり切れないほど大きい。

 もっとも、城は領主の執務室でもあり、軍事拠点でもあるから、当然と言えば当然である。


 廣田は、機体を城の上空で大きく3回ほど旋回させたが、爆音を聞きつけて、城や付属する建物から多くの人々が外へ出てきてこちらを見上げ、騒ぎになってるのが見える。


 中川は、いったんカメラを置き、双眼鏡で城を観察していたところ、城の東側正面のバルコニーに、マントを羽織った、一段と凛々しい騎士のような人物が出ているのを見付けた。


「あれが、ティアマト号の人が領主とか代官とか言ってた偉い人かな。」


 中川は、できればズームアップしてその人物を撮りたかったが、あまりズームできるカメラではないので、諦めることにした。


「分隊士、城の撮影は十分です。」


 中川が廣田に報告すると


「よぉし。あとは港の上空をちょっと覗いて、もう一度ギムレー湾上空へ戻るぞ。」


という返事が来た。


「何かあるんですか。」


 中川の質問に


「あー?ああ、少し気になることがあってな。それより、とりあえず母艦へ一報を入れてくれ。ギムレー湾が泊地に十分以上に適していること、近在に城壁に囲まれた大きな街があって、これがデ・ノーアトゥーンと思われトゥンサリル城もあること、港があって、あとは…委細文ならぬ写真ってとこかな。打電は平文で良し。」


 廣田は、機首を北へ向けてから答え、さらに指示も出した。


「了解、状況を打電します。」


 偵察卓上でメモを取っていた中川は、返事をすると、メモを基に電文を打ち始めた。

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