第19話 交渉7 水偵飛来と艦隊合流

 令川丸以下の艦隊としては、移動の前にティアマト号から客人を迎えなければならない。


 艦長は、立入検査隊へ無線連絡を取らせて、ティアマト号のバース艦長に人選を依頼した。

 その結果、選ばれたのは、艦長付きの准男爵アナセンと、同じく王国騎士オーケルマンだった。


 大谷地たちが驚いたのは、バース艦長が、二人の随行に、あの魔法使いの美女を付けると言ったことである。

 作戦行動中の海軍艦艇に女性、しかも、とびきりの美女が乗ることは、軍紀上、好ましいとは言えないため、大谷地は難色を示したが


「彼女、ソフィア・ノアーナ・デ・ローイは、王国

 魔術師の中でも屈指の存在、皆様も先刻、言葉の

 ことわりの術式をご覧になったはず。ほかにも様々な

 術式を使えます故、決してお邪魔にはならぬと

 存じます。」


 バースは、そう言って彼女の同行を強く勧めた。


「分かりました。では、当方の艦長が是とするなら

 ば、お連れしましょう。」


 大谷地はそう言って、立検隊の兵隊に令川丸との通信を命じると、南郷艦長からは、あっさりと


「申し入れの要求に従え。」


との返答が来た。


 これでは嫌も応もないので、魔術師ソフィアを同行させることとなった。


 令川丸側は、訪船中の大谷地副長が残り、花川少尉は、立入検査隊のうち、清田上等兵曹以下4人を大谷地と共に残して、自身は報告のため令川丸に戻ることにした。


 清田上曹と一緒に無線機器も残置したから、手旗や発光信号も合わせて、この先、連絡には困らない算段である。


 花川の先導で、アナセン、オーケルマンとソフィアは、待たせてあった内火艇に移乗し、令川丸に向かったが、3人とも、内火艇の速さには驚いた様子であった。

 

 内火艇を舷梯に着けて、これも花川の先導で3人がラッタルを昇り始めると、サイドパイプが


ヒュイー、ヒューイー


と吹かれ、昇り切ると同時に


「捧げー、つつ


の号令で、舷門の衛兵が一斉に捧げ銃の姿勢を取った。


 その隊列の先に、いつの間に着替えたのか、第一種軍装の左腰に短剣を差し、白手袋をはめた艦長の南郷大佐が待ち受けていた。


 花川に先導されたアナセン、オーケルマンとソフィアが目の前に差し掛かると


「どうぞ、こちらへ。」


と左手の仕草で艦橋の入り口を指し、二人を誘った。


 艦橋のトップや見晴らしの利く場所は、来艦者を一目見ようと将兵の人だかりができている。

 来艦者の中でも、やはりと言うべきか、ソフィアは一際目立つ存在である。

 整った顔立ちにブロンドの髪、抜群のスタイルに加え、仕草の一つ一つが妖艶であるから、これは致し方ない。

 彼女は、艦橋入口の手前で足を止め、その人だかりをチラリと見遣り


「あらあら、これが二ホン海軍の水兵さんたちな

 のね。男ってどこの世界でも本当に変わらない

 わね。でも、殺伐としているより、よっぽど

 マシだわ。」


 そう呟き


「フフフッ。」


と軽く笑い、アナセンたちを追って艦内へ入って行った。


 ソフィアの存在は、無粋な艦に花が咲いたようなもので、将兵たちはその余韻に浸っていたが

 

「貴様らは何をしておる!出港の準備だ、持ち場へ

 戻れ!」


 甲板士官の怒鳴り声が、みんなを現実に引き戻した。


 我に返った兵たちは、小走りにそれぞれの持ち場に戻って行った。


 南郷は、アナセンたちを、とりあえず羅針盤艦橋へ案内した。艦内を見せるというより、動き始めは、艦長自ら指揮を執らなければならないからである。


 艦橋に上がると同時に、南郷はソフィアから、ビーズのような細かい粒でできた腕輪を渡された。

 彼が戸惑っていると、ソフィアは、手ずから手首に腕輪をはめてくれた。


「あたしの言っていることがお分かり?ダンディー

 な艦長さん。」


「?!」


 いきなりだから、さすがにドギマギしてしまう。


「艦長さんとお話しが出来ないと、あたしたち、

 文字どおりお話しにならないでしょう?だから、

 言葉の理の念を込めたアイテムを進呈したって

 訳なの。お分かり?」

「ああ、それはどうも。」


 南郷は、そう答えるので精一杯だった。


 彼はソフィアの方から顔を上げ、顔と気持ちを引き締めると、ティアマト号の方へ探照灯を照射させ、双眼鏡を向けた。

 探照灯の光に浮かび上がったティアマト号では、流していた錨が巻かれて、マストには帆が張られ風を受け膨み、前進を始めている。

 

「よし、機関前進微速。」

「機関、前進びそぉく。」


 南郷の号令に復唱が返り、テレグラフが

 チリリン

と鳴って、艦が動き出した。


 アナセン一行は、そんな艦橋の様子を興味深げに見守っている。


 ティアマト号は、帆に風を受けて順調に滑り出したかのように見える。


 南郷は、ティアマト号の左舷側300mに令川丸、右舷側300mに天売を占位させて挟み込むようにし、輸送艦第百号、イ第103号と根室は、縦列を組んでティアマト号の後方に着ける「T」の字の体形にさせ、この体形のまま、ティアマト号の速度と進路に合わせて航行を続けるようにし、艦橋を当直将校に任せ、アナセン一行3人を士官食堂へ案内した。


 時刻は夜の9時を回っている。


 南郷は、来客に備え、主計科に命じて士官食の準備をさせていた。


 食堂では、アナセンたち3人が舷窓を背にしてテーブルに着き、南郷以下、艦の航海科、機関科、主計科、医務科、飛行科などの各部責任者が同席し、花川少尉も、通訳兼説明係として相伴することになった。


 メニューは、ヒレ肉のステーキ、伊勢海老の叩き焼きとコキール、牡蠣のクリーム和え、塩鱈バター焼き、鰯のポジャルスキーに、デザートとしてアイスクリームとアップルゼリーパイが添えられた。

 これに飲料として、ビールに加え、南郷個人所蔵の白ワインとスコッチウィスキーが提供された。

 

 南郷としては、相手が貴族や上流階級に属する人間であると考え、通常の士官食に箔をつけるため、元は洋食のコックだった兵隊を、わざわざ他の艦から招集して調理に当たらせたが、実際、口に合うかどうかが少々不安であった。


 しかし、アナセンをはじめ、オーケルマンもソフィアも、相好を崩しているように見受けられた。


 それもそのはずで、帆船の食事と言ったら、塩漬けの豚肉や生焼けのパンがあれば良いほうで、下手をすると、カビたパンや虫食いのビスケットが主食になったりするのである。何より、樽詰めの水が腐ってしまうので、臭い水や酸っぱいワインで我慢するしかないのが、辛いところである。


 もちろん、南郷が気を利かせたメニューの内容もそうだが、帆船の食事事情を考えると、アナセンたちにとって、航海中にごちそうが食べられるのは、夢のような出来事であった。


 ごちそうを前に、機嫌がよくなったアナセン一行から、南郷たちは「この世界」に関して様々な情報を得ることが出来た。

 その結果、やはり、自分たちが元いた世界とこの世界は、異質なもの、別なものと判断せざるを得なかった。

 

 そして南郷は、自分たちがこちらの世界で活動するためには、ミズガルズ王国とブリーデヴァンガル島が土台になる、鍵になる、と考えた。


 一方、ティアマト号に残留した大谷地副長と立検隊は、バース艦長自らの案内で、艦内を見学していた。

 艦長室を出て、上甲板をとおって前楼の方へ歩いていくと、乗客や兵士、水夫たちが物珍しそうに大谷地たちを見ている。

 その痛いほどの視線を感じながら、前楼のドアからガンデッキへと降りて行った。


 薄暗いランタンの灯りに照らされたガンデッキは、水夫たちの汗と酒の臭いが充満しており、酒盛りや、カード博打に興じる水夫たちの声があちこちから上がっている。

 

 大砲は、大谷地からすれば何百年も昔の骨董品であるが、これがこちらでは最新兵器となるのであろう。


 大谷地と立検隊は、バースの後ろを付いて、両舷に据えられた大砲と操作する水夫の間を歩いていたが、大谷地には、目に入る光景が、どうしても現実とは思えないでいた。


 そのとき、通りすがりに傍らにいた水夫が、酒臭い息を吐きながら清田上曹にすがり付き


「ねえ、異国の兵隊の旦那。あっしにラム酒を一杯

 奢ってくだせぇ。」


と言った。

 清田は、もとより取り合う気はなく、そのまま通り過ぎようとしたが、その水夫は


「ねえ、旦那ぁ。すかしてないでこっちを見てくだ

 せえよぉ。ねぇ、旦那ぁ。」


 そう言って、なおもしつこくすがり付いてくる。

 周囲の水夫たちもヘラヘラ笑いながら、からかうようにこちらを見ている。


「チッ。」


 舌打ちをしながら、清田が水夫を振り払おうとした瞬間、その場に殺気が走った。


 左目に眼帯を掛けた大男が近付いて来たかと思うと、思い切りその水夫の顔を拳で殴り飛ばした。

 殴られたほうの水夫は、砲の傍らまで飛んで行き、口と鼻から血を流している。


「貴様ーッ、艦長の客人に何たる無礼を働く

 かーッ!」


 どうやら士官らしいその大男は、今度は弾込め用の棒を手に取ると、清田に酒をせびった水夫の尻を目掛け、続け様に振り下ろした。


 バシッバシッバシッ


 鈍い音が響く度に


「ギャー、ギャー、ギャー」


と、水夫が悲鳴を上げる。

 周囲の水夫たちも、顔色を変えて散ってしまった。


「大変お見苦しいところをお見せしてしまった。

 酔い過ぎで私の姿すら目に入らなかったらし

 い。申し訳ございません。」


 バース艦長が詫びた。


「いえ、お気になさらず。」


 清田は、軍服のすがり付かれた辺りをパンパンと手で払いながら言った。


 日本海軍も、下級兵に対する暴力は酷いものだったから、清田も若い頃は散々殴られたし、自分も下級兵を殴った覚えがない訳ではない。

 いずれにせよ、それは組織にとって恥部と言ってもよいし、清田個人的にも悪夢のようなものだったから、他人事であっても、見せつけられては後味の悪さしか残らなかった。


 艦内視察の後は、艦長室で夕食を摂ることになった。


 艦長主催の体裁で、イザベラ姫とアールト、大谷地のほか、イザベラ姫出迎えの使者として同行していた、ブリーデヴァンガル属領首府庶務尚書のケッペル男爵も同席した。

 

 王侯貴族の夕食ということで、大谷地は多少の期待はしたが、出されたのは、パンと鶏肉料理が数種類に塩漬け豚と野菜、デザートに果物、ワインといった、意外に質素なものであった。


 考えてみれば、冷蔵庫も冷凍技術もないのに、船旅に豊富な食材などあるはずもなく、これだけは新鮮だった鶏肉も、艦長自身が艦内で飼育している鶏を絞めたものだった。


 大谷地は、料理はともかく、「異世界」に来てから極めて早いうちに、王侯貴族と懇意になる機会が掴めたことに、感謝していたが、ただ一つ、タバコを吸う機会がないのを残念に思っていた。


 清田上等兵曹たち立検隊も、一応は艦長の夕食会に招かれたのだが、不釣り合いなので辞退した。

 彼らには、アニタたちイザベラの侍女が、別途、乗客用食堂で夕食を用意してくれたが、清田にしてみれば、断然、気が楽で居心地がよかった。


 勧められたワインを飲みながら、兵隊たちや侍女4人組と歓談するのは、久し振りに楽しいものであった。


「おい、灰皿を持ってないか。」


 清田が傍らの兵に聞くと


「持っていますよ。」


と彼は言って、床に置いてあった背嚢から、空き缶を細工して作った灰皿を取り出した。

 

「よしよし。」


 清田はそう言うと、胸ポケットから「赤道」という銘柄のタバコを取り出し、一本を口に加え、マッチで火を点けると


「スウーッ」

「ハァー」


と美味そうに吸って吐き出した。


「貴様らも遠慮せずに吸え。俺たちゃ客人らしい

 からな。おっと、お嬢さんたちはタバコを知ら

 ないんだっけ。俺は、火事で燃えている訳じゃ

 あないから、安心してくれ。」


 これも美味そうにタバコを吸いだした兵隊たちを横目に、清田がアニタたちを少しからかうように言った。


「いいえ、存じておりますわ。トゥバッコでござい

 ますわよね。私の国でも、男性や女性も、吸う方

 は沢山おられますわ。でも、吸う時は煙管を使い

 ますけど。」


 アニタが得意気に言い返した。


「へえ、そいつは凄い。実は、知らない国へ来て

 タバコが手に入るかどうかが気掛かりだったん

 だが、こいつは大助かりだ。」

「本当ですね。我々の補給問題が一つ解決され

 たって訳ですね、先任。」


 田岡上等水兵が、上機嫌で言った。


 清田も、何か漠然とした不安が一つ解決された思いで、ワインのせいもあるが上機嫌になった。


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