第12話 交渉準備方

 見張り員の報告を聞き、南郷や大谷地もその方向

に双眼鏡を向けたが、確かに、大型帆船の後部船楼

から発光信号が送られている。


 中央マストの見張り台からこちらへ、手旗の様な

信号も送られて来ている。


 また、よく見ると、マストにはこれも意味不明な

がら信号旗が掲げられているようである。


「手旗は和文、欧文のいずれでもなく、信号旗も

 国際信号旗ではなく、意味不明です。」


 信号を直に読み取ろうとしていた大谷地の報告に


「うーん。でも、何かをこっちへ伝えようとしてい

 るんだろうね、あちらさんは。」


と、南郷がボソッと答えた時のことである。


 大型帆船(ティアマト号)側面がパパパッと光り

黒煙が上がったかと思うと


 ドドドーン


と、砲声が連続して響いて来た。


「各艦、応戦用意。目標、大型帆船!」

「待ってください、艦長。」


 南郷が下令すると、大谷地が待ったを掛けた。


「何だ、副長?」


 南郷の問い返しには、多少の怒気が含まれて

いる。

 各砲座、銃座も血気に逸っていることだろう。


「只今の発砲には弾着がありません。合図のために

 放った空砲、つまり号砲ではないでしょうか。」

  

と、大谷地が訴えるように言った。


「では、我々はどうしたら良いのかね。」

「こちらは、敵意を示さない方法で応えるべきと

 思います。発光信号と旗りゅう信号は通じない

 でしょうし、砲戦の後で砲を撃つのはまずいで

 しょうから、そうですね、汽笛を鳴らしてみて

 はどうでしょう。『合図に呼応した。』という

 ことは伝わると思われますから。」

  

 大谷地が提案すると南郷は

 

「よかろう。別命あるまでの発砲を禁ずる。各艦

 にも徹底させよ。」

  

と、以外にすんなりこれを受け入れ、続けて汽笛の

連吹を命じた。


「汽笛、長声3発。」


 当直士官が天井から垂れ下がっているワイヤーを

引いて、汽笛を3回、長く吹鳴した。


 ボォーー、ボォーー、ボォーー


 艦橋の面々が大型帆船、つまりティアマト号に

注目し、固唾を飲んで反応を見ていた。

 ティアマト号の甲板上では、古風で華美な服装の

男女が右往左往しており、令川丸の汽笛が響くと、

びっくりして立ちつくす者や、天を仰いで祈る者

さえ見える。


「脅かすつもりは、毛頭ないんだがな。」


 双眼鏡を覗きながら、南郷が苦笑した。


「しかし、もどかしい。何とかならんものか。」


 彼が呟やくと


「向こうも、そう思っているのでしょうね。いっそ

 臨検しますか。」


と大谷地が提案した。


「どうかな、近付いた途端に、矢玉の雨が降るんじ

 ゃないだろうか。」

「しかし、あちらもこちらと接触をしたがっている

 のは明らかと思われ、あまり乱暴なことはしない

 と思料いたします。」

「それなら、臨検ではなく、交渉だろうな。あるい

 は、情報収集かな。いずれ、下手に出る必要は

 ないが、無用に高飛車になってもいかん。」


 南郷と大谷地が、そんな会話を交わしていると、

突然、見張り員が


「大型帆船が停止、ボートの降下準備を始めま

 した!」


と報告を寄越した。


「何だと?!」


 南郷以下艦橋の面々が、一斉にまた双眼鏡を

構えた。

 その視野には、確かに大型帆船の右舷中央部

から、10人ほどで漕ぐと思われるボートが、

降ろされようとしているところであった。

 甲板上には、漕ぎ手らしき水夫、身なりの良い

紳士や胸甲と兜を装備し滞剣もした兵士、だぶん

とした服装に鍔の広いとんがり帽子を被った女性

の姿などが見える。


「機関停止、艦を止めろ。」


 南郷は、艦を停止させてから、撃沈した海賊船

との距離が、2㌋ほど離れているのを確認した。

 これだけ離れていれば、生存者が泳ぎ着いて

くることはないと思われる。  


「こちらも内火艇を降ろそう。副長はすまんが

 本艦代表で接触してくれ。あちらに合わせ、

 陸戦隊を10人ほど連れて行け。人選は任せる。

 掛かれ。」


 命令を復唱した大谷地は、艦橋を出て自室へ戻

り、軍刀とタバコを取ってから、陸戦隊のいる船室

へ向かった。

 まず、陸戦隊指揮官に話を通し、ベテランの花川

特務少尉を指揮官として、清田上等兵曹以下の下士

官兵9名、計10人を選抜した。


 花川少尉と清田上曹が中心となり、装備品と携行

品を手早く用意した。


 武器は、船の上ということを想定して、まず

全員、第三種軍装に拳銃を装備させ、清田以下の

下士官兵のうち、5人の者には百式機関短銃を持た

せ、3人には九九式短小銃、残る1人には、九九式

軽機関銃を持たせた。


 船舶の臨検・立入検査に軽機関銃とは大袈裟と

思えるが、相手の人数が多いため、花川の判断で、

重くて負担になるが、あえて持たせることにした。


 そのほかに、信号用機材や無線機器、予備弾薬と

糧秣若干、タバコなどを用意して、それぞれが手分

けして持参する準備をさせた。


 花川自身は、軍刀と拳銃を身に着け、装備品の

一部を分担して持ったほか、個人的にタバコを多め

に用意した。


「艦長、副長、立検隊たちけんたいの準備整いました。」


 花川が艦橋へ上がり、折り目正しく報告した。


 立検隊とは、立入検査隊のことで、海軍が船舶の

立ち入り検査を行うときに派遣する、陸戦小部隊

のことである。


「うむ。ご苦労。」


 南郷は花川にそう答えてから、大谷地に向かって


「さっきも言ったとおり、本艦の代表として相手方

 と接触してくれ。向こうのボートと接触するも良

 し、直接帆船に乗り込むのも良し、臨機応変に

 やってくれ。」


 そう言ってから、一呼吸置いて


「ただし、分かっているとは思うが、不用意に事を

 荒立てるな。武器の使用はくれぐれも慎重にして

 くれ。相手もピリピリはしているだろうが、我々

 同様に、接触を目的にしているだろうからな。」


と念を押した。


「承知しました。では行って参ります。」


 大谷地と花川は南郷に敬礼をしてから踵を返し、

連れ立って艦橋から出て行った。


 令川丸前甲板左舷では、内火艇がもう海面まで

降ろされているところであり、先に乗艇した立検

隊員が、装備品を受け取って、積み込んでいる

ところであった。


 残りの立検隊員と大谷地、花川が縄梯子を伝っ

て艦から降りて乗艇し、頃は良しと見計らった

内火艇の艇長チャージの兵曹長が「進発!」と号令を

かけると、内火艇は艦首方向へと動き出し、艦首

を右回りで大きく交わし、帆船のへ向かって進み

始めた。


 艦橋の左舷張り出しで内火艇を見送った南郷

であるが、元の羅針盤付近へ戻った時のことで

ある。


 航海長の白石大尉が慌てて駆け寄り


「艦長、報告があります。」

 

と息せき切って言った。


「どうしたんだ、そんなに慌てて。」


 南郷が、今更驚くことなどないというように

尋ねると


「はい、天測の結果が出たのですが、それに

 よると本艦の現在地は、北緯23度20分、

 東経131度10分です。」

「なん…だと!?」


 報告する白石の顔が青ざめているのが南郷に

も判ったが、自分の顔もそうだろうと思った。


「航海長、冗談を言ってるんじゃないだろうな。

 それだと、ええっと…。」


 南郷は、それが海図のどの辺りだったかを

必死で思い出そうとした。


「本来であれば、沖大東島おきだいとうじまの南方海上となり

 ます。」

「沖大東…。」


 思い出す前に、白石が答を言ったが、南郷は、

今度は苦笑する余裕もない。

 だいいち、大東島は知っているが、沖大東島は

聞いたことがなかった。


「沖縄本島から南東へおよそ220㌋、南大東島から

 南へおよそ100㌋弱にある小島です。」

「いやいやいや、俺たちは千島列島沖にいたんだ

 ぜ。こんな短時間で、そんなとんでもない距離

 を移動できる訳がないぞ!」


 南郷は、自然と大声を出してしまった。


「天測は繰り返し行いましたから、数値は正しい

 はずです。そうであれば、夕方の5時を過ぎても

 これほど明るいのも説明がつきます。」


 南郷も、状況に妙な違和感を覚えていたが、白石

の説明であれば確かに腑に落ちる。

 千島沖であれば、この時刻に、こんなに明るい

訳がないのだ。


 加えて、砲撃戦の始まる前から感じていた異様な

暑さも、納得がいく。


「畜生、何てこった!」


 南郷は、先ほど自分が脱いで椅子に引っ掛けた

外套を見ながら小さく毒付いた。

 輸送艦や海防艦も大騒ぎだろうと思ったが


「指揮官が動揺しては規律が保てなくなる。」


 そう思い直し殊更に平静を装い、副長へ問うた。


「各艦の様子はどうだ。信号や無線連絡は入って

 いるか。」

「特になし。無線封止は守られております。」


 副長の答えを聞いて


「よろしい。動揺は艦だけにしておこう。」


 南郷は、精一杯気を利かして冗談を言ったつも

りだったが、艦橋の誰も気付いてくれなかった。


 南郷は、先ほどよりも、なお殊更に平静を装い


「内火艇はどうなっておるか。」


と、話題を逸らすかのように、周囲の誰にとも

なく言った。


 もっとも、今はこちらの方が本題かも知れな

かったが。

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