第10話 砲戦用意 撃ち方始め

 ティアマト号上甲板 15:45頃 


 上甲板へと出たイザベラ姫一行だが、案の定、

霧に隠れて周囲は何も見えない。

 それどころか、艦種や艦尾、マストの先も霧

に隠れてしまっている。


「姫様、いかがですか。申し上げたとおり何も

 見えぬでしょう。」


 アールトにそう言われ、イザベラは改めて周囲

を見渡したが、隣に立っているアールトの姿さえ

霞んでいる。


「ええ、そうですわね。でも、空気は船室よりも

 澄んでいるし、確かあちらの方にはアスターテ

 号もいるのでしたわよね。甲板では、何かそう

 した安心が実感できますわ。」


 イザベラは艦尾方向を手で指しながら言った。


「ですが姫様。海賊どもは、こうした霧に紛れて

 獲物に近付くと聞き及びまするぞ。」


 アールトは、イザベラを脅かすように言った。


「あら、その時は『鬼神アールト』が守ってくだ

 さるのですわよね。文字どおり、大船に乗った

 気分で居りますわ。」


 彼女がそう言って、また「フフッ」と笑いかけ

た時のことである。


 突然、艦尾の方角から


 ドドドンッ、ドドドンッ


という、雷が落ちるような音が連続して轟いた。


「何だ、何だ?」

「どうしたんだ?」

「落雷か?」


などと、甲板上にいた水夫たちが騒ぎ始め、

音を聞きつけた乗組みの兵士や乗客たちが、

船室からバラバラと甲板へ走り出て来た。


「アールト、いったい何が…。」


 イザベラは、アールトの方を向いて問い掛け

ようとしたが、彼の今までにない厳しい顔付き

を見て、途中で言葉に詰まってしまった。


 いや、彼の厳しい表情こそが、ただならぬ事態

にあることを物語っているように思われ、質問が

続けられなかった。


「姫様、冗談が本当になった様子にございます。

 ささ、船室に戻りまするぞ。近侍の者も急ぎ

 船室へ、いくさの支度じゃ。」

「戦って、爺や。それってまさか…。」


 アールトは、信じられないという表情をした

イザベラの問いに


「いかにも。海賊の襲来でございます。」


と澱みなく答えた。


 イザベラ一行のブリーデヴァンガル島往訪は、

日程を含めて公知の事実であったから、まず知

らない者はおらず、当然、海賊どもも知悉して

いる筈だった。


 だからこそ、大型の軍艦を乗艦とし、護衛に

歴戦の中型軍艦アスターテ号を付けたのである。


 ただ、ミズガルズ王国の王女に危害を加えた

とれば、強国ミズガルズそのものを敵に回すこ

ととなり、断固とした報復を受けることは確実

であるため、海賊といえども迂闊には手出しは

できないであろう、という見方があったのは事

実で、その意味では護衛が手薄との誹りは免れ

ないかも知れない。


 ドドドンッ、ドドドドド


 再び、雷鳴のように砲声が轟いた。


 もはや海賊の襲来は疑いようもなかった。


 砲声は停船と降伏の勧告であり、従わなけれ

ば殲滅するという警告でもある。


 海賊も莫迦ではないから、滅多やたらに殺戮

を行わけではなく、高額の身代金が獲得可能と

思われる人物は、人質としてそれなりに遇し、

できるだけ高額の身代金をせしめようとする。


 今回は、イザベラがその身代金目当ての人質

ということになるが、もちろん、歯向かう者に

容赦はしないし、身代金が望めない者は、殺す

か奴隷として売り飛ばすかの選択になる。


 だから、アールトや近侍のアニタたちには、

徹底抗戦しか選択肢はなかった。


 いずれにせよ、ティアマト号は大型軍艦で

あるが、速度は平均的帆船と変わらないし、

戦えば損害が出るのは必至である。


 そこのところ、海賊船は、武装のほか、速度

や運動性能を重視した造りになっており、また、

多少の犠牲は厭わないから、戦闘を避けてティ

アマト号が逃げ切れる確率は低く、また、戦った

としても、相応の損害は、覚悟しなければならな

かった。


 だから、この場合、戦法としては、アスターテ

号が盾となり海賊船を防ぐと同時に、できるだけ

損害を与えることでティアマト号を逃がす、とい

うことになる。


 海賊船は、同航すれば砲力で負けるため、風上

にアドバンテージを取り、自船の船首突起を相手

に突き付け、これを橋として乗員が切り込む、と

いうのが一般的戦法になる。


 今は、霧で視界が効かず、動きが取り難いため、

切り込みのタイミング計り、威嚇として、発砲を

行ったと思われた。


 甲板散歩からイザベラ一同が急いで戻って来た、

ティアマト号の艦尾貴賓室では、アニタたちが、

まずイザベラ姫に甲冑を着せていた。


 甲冑と言っても、全身を覆うプレートアーマー

ではなく、羽飾りのついたヘルメットと、喉を守

るゴージット、肩当て、胸部と背部を守るブレス

トプレートとバックプレート、胴体下を守るチェ

ーンメイルスカート、更には肘や、前腕、下腕を

守るカノンなどを手早く装着し、最後に王家伝来

の剣を腰に装着した。


 アニタたちも、甲冑を着用するが、こちらは

胸甲騎兵のように、より簡略化されたもので、

剣は、取り回しの良いレイピアを装備している。


 アールトは、というと、こちらは魔術師として

の矜持からなのか、甲冑は身に着けない。


「さあ、霧が晴れてきた模様、敵が来ますぞ!」


 窓の外を見ていたアールトが、全員に活を入れ

るように言った。



 北東方面輸送艦隊


 令川丸艦橋 12月24日 16:10


 霧の中、令川丸ほかの各艦は、電探を使い注意

深く目標船舶の動向を注視していた。


 令川丸艦長南郷大佐は、目標との進路交差予測

を確認すると、目標にはいったんこちらの前面を

通過させ、自艦の左舷側、目標の右舷に艦隊を

持って行くことにし、同時に、天売を左舷側へ

移動させ、砲力を持たない輸送艦第百号や根室

と、目標との間に入り込ませることとした。


 これは、万一の事態には備えるが、敵味方が

不明であり、日没まで1時間もない今、こちらが

目標と島の間に挟まれて夜を迎えることは避けた

かったからである。


「反射波、45度、船団、進路300度、距離3㎞。

 本艦の艦首正面を斜行交中。」


 電探士から報告が入る。


「3キロあれば、直進しても衝突はないな。

 しかし目標は何だろうね。島通いの機帆船

 か何かだろうか。」


 南郷が、傍らにいる大谷地副長に話し掛けた。


「さあ、よく分かりませんが…。位置からして、

 まず敵さんの水上艦艇ということはあり得

 ないでしょうから、艦長が仰るとおり、日本

 の機帆船舶か何かでしょうね。海軍艦艇なら

 電探を使っているでしょうが、そんな気配も

 ありませんしね。」


 大谷地の回答は、妥当だと南郷は思った。


 その時である。


 ドドドンッ、ドドドンッ!


という遠雷の様な音が令川丸に響いて来た。


  電話が鳴り


「艦首見張りから艦橋!右舷から砲声!」


 艦首砲台に配置している見張り員から、上ず

った声で報告が入った。


「こちらも聞こえた。見張りを厳にせよ。」


 南郷が応答すると同時に指示した。


「艦長、あの砲声、連続しておりますから、

 1門や2門じゃあありませんよ。」


 大谷地の声も上ずっている。

 

 少しの間を開けて、再び


 ドドドンッ、ドドドドド


と砲声が響いて来た。


「何でしょう。輸送船団が敵潜水艦を発見し

 て、攻撃でもしているんでしょうか。」


 大谷地の問いにも、南郷は


「分からんな。せめて霧が晴れて視界が回復

 してくれればな。」


としか答えられない。


「電探室から艦橋、目標船団から1隻分裂。

 進路270度、距離2㎞。本艦の正面を直角に

 横切り接近しつつあります!」


 電探室から至急の報告が入る。


 「艦首見張り、何か見えんのかッ!」

 「見えません、視界、いまだに、ほぼ0。」


 南郷と艦首見張りとの間で、緊迫した遣り

取りが交わされる。


「畜生、阿武隈と国後の二の舞になるぞ!」


 彼は、キスカ撤退作戦時の衝突事故を思い出す。


「当直、汽笛だ、汽笛を鳴らせ!」


「了解!」


 当直将校が、天井から下がっている汽笛の吹鳴

ロープを引いたのと、艦首見張りから


「霧が晴れまーす!あ、右舷から帆船が急速に

 接近、回避願います!」


と報告が入ったのが同時であった。


 ボォー、ボォー、ボォー


 汽笛が連吹されると同時に、南郷は


「面舵いっぱーい、急げーッ!」


と号令を発した。


「面ー舵一杯、急ーげー!」


 操舵員の復唱の後、艦は左舷に傾きながら

右へ急旋回を始めた。


「艦首を帆船が横切りまーすッ!」


 艦首見張り員と艦橋見張り員が同時に叫んだ。


「何いッ!」


 艦の動揺に振られ身体の姿勢を崩した南郷は、

羅針盤に掴まって姿勢を戻し、双眼鏡で前方を

確めようとした。


 眩い陽光で目がハレーションを起こしたが、

すぐに明るさに慣れて前方を見ると、双眼鏡を

使うまでもなく、黒い大型の帆船が艦の目前

を横切っていくところが見えた。


 南郷を含め、前方が見渡せる位置にいる令川丸

乗組み将兵たちは、皆が帆船を注視しているが、

帆船の方も、甲板上の水夫らしい男たちがこちら

を見て騒いでいるのが見て取れる。


  帆船は3本マスト、堅牢で実用的に見えたが、

帆がボロである上、水夫たちも、薄汚い服装を

しており、何よりも、着ている服がひどく古風

で、まるで古い絵画の人物のようである。


 また、よく見ると、帆の真ん中にドクロの印

があり、マストにも黒地に白いドクロの旗が掲げ

てあるなど、西洋の物語に出て来る海賊船その

ものである。


「おいおい、あんな分かり易い海賊船なんて冗談

 じゃないぞ。艦長、映画の撮影か何かですかね、

 このご時世に。」


 言われた南部も、およそ現実離れした目の前の

点景に、呆気に取られていた。


「敵潜がウヨウヨしている海域で、そんな悠長な

  ことができるものか。第一、あんな大型帆船が

  我が国にあるとは、聞いたこともないぞ。」

「当直、利尻と天売は、今の帆船をかわ

 たか。」

「躱しております。」


 令川丸が帆船を躱しても、海防艦が衝突したの

ではお話にならないが、無事だったらしい。


「只今の帆船、別の帆船を追跡して行った模様。

 270度方向、距離1千、遠ざかりつつあり。」


「野郎、逃がすかよ。」


 見張りの報告を聞いて南郷が呟いた。


 そして


「艦隊、陣形このまま、270度へ変針せよ。」


と命じた。


「了解、進路270度へ向けよ。取り舵一杯!」


 南郷の意を受けて、航海長白石大尉が命じ

各艦へも信号を発した。


「とーりかーじ、いっぱい!」


 操舵員の復唱と共に舵輪が勢いよく回され、

艦は、今度は右舷に傾きながら、左に大きく回頭

を始めた。


 左手で羅針盤に掴まりながら、南郷が右手に構

えた双眼鏡で前方を見ると、左舷前方に先ほどの

海賊船が見え、その前方に中型の帆船1隻と、大型

の帆船1隻が見えている。


 合わせて3隻の帆船からは、目測で3,000mほど

距離が離れている。


「本艦を先頭に300m間隔で利尻、天売と続く縦列

 となせ。輸送艦と根室は本艦の右舷500mに位置

 し、縦列をなせ。」


 南郷が発した陣形の指示に従い、令川丸が速度

を上げ、進路を左に取って利尻の前方に占位し、

輸送艦第百号と根室は、縦列のまま令川丸の右舷

側での航行を続けている。


 そのまま二列の隊形を組み、海賊船と利尻の

距離1,500mで、帆船集団と同航する位置に着け

た。


南郷は双眼鏡を構え、じっと海賊船を観察した。


 おそらく、各艦の見張り員ほか、左舷側にいる

将兵は、みんなが同じように、海賊船やその他の

帆船を凝視しているに違いなかった。


「いかんな、対潜警戒が疎かになる。いや、敵潜

 なんかがいるのか、あんな時代がかった帆船が

 出没する海域に。」


 南郷が、そう考えたときのことである。


 海賊らしき帆船のこちら側、つまり右舷側が


 パパパッ


と光り、黒煙が上がったかと思うと


 ドドドドドドンッ!


と砲声が響いた。


 海賊が、右舷砲を順次発砲、斉射したのである。


「海賊船、最後尾の帆船が発砲しました!」


 左舷の見張り員が叫んだ次の瞬間、令川丸の

300m後ろに着けていた利尻の左舷側、海賊船との

中間付近の海面に、低い水柱が続け様に10条ほど

立ち上がった。


 「海賊船」らしき帆船は、国籍を示す旗は何も掲

げておらず、その他、信号の類も一切掲げていない。

 如何なる意思表示がないにもかかわらず、剥き出

しの敵意を向け、届かなかったとはいえ、大砲を

放ち、攻撃仕掛けて来たのである。


 これは明らかな戦時国際法違反であり、応戦し

ても理はこちらにある。


「副長、総員配置に着け。左砲戦、各機銃も射撃

 用意。利尻、天売にも送れ。なお、輸送艦百号

 と根室は現状維持。」


 南郷が下令すると、大谷地副長は


「待ってました。」


とばかりに南郷の命令を復唱し、各艦へ信号で

伝達した。


 令川丸は、15㎝単装砲2門と2連装25mm機銃2基

を装備しているので、一応、砲戦が可能ではある。


 利尻は、12㎝単装砲3門と3連装25mm機銃5基、

同単装8基を備え、12㎝砲は片舷に全門、機銃は

3連装3基と単装4基が片舷同時射撃可能になる。


 天売は、12㎝高角砲連装1基、単装1基は両用砲

で片舷全門、25mm機銃は利尻と同じ装備なので、

射撃も同様である。


 ここで白石航海長が


「こんな連中放っておいて、先を急ぎませんか。」


と意見具申した。


「海賊船は、前方の帆船を狙っているのは明白と

 思われるが、女子供も乗っているようだ。弱者

 を見捨てるのは『勇なき』行為である。そもそ

 も、我が国の領土の鼻先で海賊行為なぞは許さ

 れん。加えて、連中は我々に向かって発砲した

 敵性船舶であるからには放置はできんぞ。」


 南郷は、海賊船の前方を航行する帆船のうち

大型の方、つまりティアマト号を双眼鏡で見な

がら言った。


 確かに、南郷の言うとおり、海賊船の舳先と

帆柱、帆桁には、武装した海賊どもが蝟集して

切り込みに備えているように思われ、先頭を行く

大型帆船の甲板上では、身なりの良い男女や子供

が右往左往しているほか、兵士と思われる者が、

武器を構えて船尾に集まっていて、2番目を行く

中型の帆船が、何とか間に割って入ろうとして

いるところであった。


「確かに、そうですね。」


 白石は、南郷に同調せざるを得なかった。


「私は艦橋トップ見張り所で指揮を執ります。」


 彼はそう言うと、見張り所へ昇って行った。


 白石は、航海長兼砲術長なのである。


 各艦では、総員配置が完了し、全砲及び左舷

に射撃可能な銃座は、射撃準備を終えた。


「各長の指揮の下、撃ち方始め!」


 南郷の射撃命令が下った。


 ほかの各艦も射撃開始となる。


 こうして、帝国海軍は、ここがどこであるかさえ

はっきりしないまま、砲戦を開始した。

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