第8話 邂逅5分前

艦上偵察機彩雲極秘輸送

 12月24日 15:40

 

 伊号第103潜水艦は、「改甲型」と呼ばれる

タイプで、ゆくゆくは「特型」と呼ばれる伊号

第400型と潜水隊を組織し、水上攻撃機「晴嵐」

を搭載し、パナマ運河などの重要目標を攻撃する

予定であった。


 しかし、伊号第400型がまだ完成せず、さらには

搭載予定の「晴嵐」も試験段階であり、今回は特別

に高速の艦上偵察機「彩雲」2機とその搭乗員を、

トラック諸島以遠の偵察を実施するため、同島へ

隠密里に輸送する任務を帯び、父島東方沖の海中を

潜航中であった。


 通常、潜水艦は、水中を航行する際はバッテリー

の電力を使って主機関を回すが、そのためには、

浮上しディーゼルエンジンで航行してバッテリー

充電を行う必要があった。

 しかし、レーダーが発達した現在、例え夜間や

悪天候時であっても、潜水艦が浮上航行することは

危険になっていたのである。


「水中充電装置っていうやつは、言うほど便利じゃ

 ないな。」


 発令所の海図台で、艦の航路と現在地をチェック

しながら、艦長の里美敦中佐は、傍らで同じように

海図を覗き込んでいた、当直先任将校の増田中尉に

声を掛けた。


 水中充電装置とは、いわゆるシュノーケルのこと

で、本来は、吸気筒を海上に突き出していれば、

水上同様にディーゼルエンジンでバッテリー充電を

行い、その動力でが水中航行が可能なのである。


 ところが、日本海軍の潜水艦用エンジンは、多く

が2サイクルディーゼルエンジンのため排気圧力が

弱く、海中への排気には不適当だったことから、

この装置は4サイクルエンジンが用いられている

補助発電機のみに用いられたため、結局は水中で

主機関を回して航行することが、ほとんどできな

かったのである。


 また、シュノーケルも、電波吸収材を貼った物

でさえ、4~5㎞の距離からはレーダーで探知され

るので、この素材分野で遅れていた日本潜水艦は、

ますます油断ならなかった。


 いずれにせよ、伊103潜水艦は、時速5㌩の速力

で水中をノロノロと航行中であった。


「そろそろ父島東方沖を通過する頃合いです。それ

 にしても…。」


 増田中尉は報告に続けて


「飛行機なら目的地まで直接飛ばせば良いものを、

 何だってわざわざドン亀で運ばなきゃならんの

ですかね。」


と愚痴っぽい質問をした。


 里美艦長も、今回の輸送は、大事な任務前の

厄介事と思っていたので、思ったことをそのまま

口に出した。


「まあ、あれだ。飛んでいる限りは、敵さんの

 レーダーに捉まって、あっさり撃墜されるって

 ことなんだろうさ。」


「まあ。そうなんでしょうがね。」


 増田は、便乗している彩雲搭乗員の岩見沢特務

中尉の顔を思い浮かべ、飛行機乗りが狭くて日の

当たらない潜水艦の生活を送らなければならない

ことに、少し同情した。


「航海長、完全な敵の勢力圏内に入る前に、天測

 をやろう。電探、海上を確認し、浮上する。」


 里美艦長が航海長の呼塚よばつか大尉に命ずると、

大尉が関係各部に命令を伝達し、折り返し


「電探、反射波、感なし。」


と報告が入った。


「宜候(ヨーソロー)。メインタンクブロー

 浮き上がれ。」


 里美の命令で、あちこちのバルブやスイッチ類

が操作されると、メインタンクの海水が轟音と共

に吐き出され、艦は艦首から海面に突き出る様に

浮き上がった。


 艦橋のハッチ直下で待ち構えていた航海長は、

浮上を確認するとハンドルを両手で回してハッチ

を開放して真っ先に艦橋へ飛び出し、これに艦長

以下何人かの将兵が続いて飛び出て、四方の見張

りに就いた。


「逆探、感なし。」


との報告が伝声管から伝わって来た。


 逆探は、敵のレーダー波を探知する装置のこと

で、要するに、現在、こちらのレーダーに何の

反応もなく、レーダー探査をしている敵の電波も

感知されていない、と確認されたのである。


「主機関両舷前進全速。」

「両舷前進ぜんそぉーく。」


 艦長の命令と復唱の後、テレグラフが「全速」

を指し、機関室ではディーゼルエンジンが全力

運転に向けて唸りを上げ始めた。


「機関、また排煙が黒いぞ。」


 里美は伝声管に向かって怒鳴った。


 エンジンの黒い排煙は、遠くからでも目立つ

ので、里美は日頃から、浮上後の機関始動時に

排煙を目立たせず出すように指示していたが、

今回もまた、派手に黒煙が上がってしまった。


 艦橋に上がった将兵たちは、つい先ほどまで

はかかっていなかった真っ白い霧に面食らって

しまった。


 すでに、周辺の状況どころか、自艦の艦首と

艦尾すら見えなくなっている。


 時間が経つに連れて霧は濃くなり、ついには、

艦橋に立っている見張り員同士すら霞んできて

しまった。


 一緒に艦橋に上がっていた先任将校が里美に

歩み寄り


「艦長、これでは見張りをやっても意味があり

 ませんね。」


と言った。


「確かに同感。」


 里美はそう思ったが、あえて


「先任、見張りは、五感の作用で行うものだ。

 見えずとも音の聞こえることがある。」


と答えた。


「仰るとおりですね。浮上航行中に見張りを置く

 のは規則でもありますしね。」


 先任将校は、そう言うと持ち場に戻って行った。


「おい先任。それはそうと、今、艦橋に上がって

 いる兵隊たちをきちんと把握しておけ。急速潜

 航が掛かっても置き去りにするなよ。」


 里美が先任将校に注意すると


「了解しました。」


という返答が白い闇の中から返って来た。

  

「こっちが電探を装備する前は、真夜中に恐る恐る

 浮上したら、いきなり敵の艦砲を喰ったな。」


 里美は、傍らにいる筈の航海長に話し掛けた。


「そうですね。私らは運が良かったですが、随分と

 やられた艦がありましたからね。」


 呼塚は、いくら調節しても、視野が真っ白で何も

見えない双眼鏡を覗きながら答えた。


「艦内の換気とバッテリー充電が終わり次第、また

 潜ろう。それまでに霧が晴れれば、天測に都合が

 良いんだが。」


 里美が呼塚へに言った。


 艦の位置自体は、常にトレースしながら航海して

おり、全く位置を失うことはまずなく、天測と

言っても本当に確認の意味だから、太陽が駄目で

あれば、夜を待って星を観測すれば良いことでは

ある。

 それより、もたもたして敵に発見されでもした

ら元も子もない。


「了解しました。」


 返答した呼塚は、気を緩めたつもりはなかったが


「タバコが吸いてぇなぁ。」


とつい本音を漏らしてしまった。


 これを聞き咎めた里美は


「気持ちは分かるがな。艦橋に上がる機会があると

 贅沢を言っちゃいかん。機関の連中なんか、出撃

 したら、航海中はずっと、お天道様も拝めないん

 だぞ。」


と諭すように言った。


 しかし、里美も実のところ内心はまったく同感

で、頭はバコで一杯であった。


 里美は、その邪念を振り払うように


「対潜、対空警戒を厳にせよ。」


と力を込めて命じた。


 

 ◎リンガ泊地


 リンガ泊地では、白い闇のような霧が一層ひどく

なっているが、空母蛟龍の右舷300mほどの場所

に戦艦出雲が停泊し、その他の艦は、この両艦を

円形に取り囲むように停泊しているが、各艦とも、

相互は全く見えない。


 蛟龍の羅針艦橋に詰めている、桑園少将以下第25

航空戦隊司令部の面々と、稲積大佐以下の蛟龍の

幹部たちも、こんな霧は経験がない。稲積大佐は、

大湊の第5艦隊参謀時代、千島列島から北海道東部

にかけての濃霧を経験したが、ここまでひどい濃霧

は知らない。


 正に「一寸先は闇」である。


 無論、白い闇であるが、「見えない。」という

意味では真っ暗闇も同然であった。


 艦隊の安全を考えると、そもそも投錨停泊中であ

り、強風の中で走錨でもすれば別であるが、今は

衝突の危険はない。

 ただし、内火艇やカッターなどの艦載艇は、一度

母艦から離れれば行方不明になりかねないため、

今は、各艦とも、中央から左右に突き出した係船桁

に係留してあるか、元の格納場所に格納してある。

 しかし、舷側から見ると、その係船桁に係留した

艦載艇すら「白い闇」の中に隠れて見えない。


 蛟龍のだだっ広い飛行甲板に立っている兵隊は、

もう、自分がどこにいるのかも分からなくなって

しまっていて、足元から伝わって来る機関音や

振動だけが、自分が艦の上にいることを辛うじて

教えてくれる。


「こいつは霧じゃない、まるで白い煙幕だ。」


 飛行甲板に係止されている艦爆の整備に当たっ

ていた、整備兵の一人がそう呟いた。



千島方面根拠地隊北東方面艦隊

12月24日 15:30


 海防艦利尻と天売が並列で航行、その真ん中を

令川丸、二等輸送艦第百号、根室が一列に隊形を

組み、時速12㌩で北東へ進んでいるこの艦隊も、

白い闇のような濃霧の中で隊形を維持すべく苦闘

していた。


「一寸先は白い闇」


だから、目視で何かを捉えることは、無駄で

あった。


 時折、霧笛で相互の存在を確認することと、

各艦装備の電探探査で逸れないようにするのが

精一杯であった。


 自艦の前後の甲板さえ見えない白い闇の中で、

各艦の将兵が五感で捉えられるのは、機関の音や

振動と、艦が押し分ける波の音だけだった。


「隊内電話で点呼を取りますか。」


 令川丸副長大谷地中佐の具申に


「いかん。無線の封止を徹底せよ。」


と南郷艦長はやや語気を強めて言った。


 無線電話であるから、敵による暗号解読の虞も

何もないが、発信した無線電波を傍受されること

自体を南郷は嫌ったのである。


 南郷は、窓の外の白い闇を眺めながら、海図台

の傍らに立つ大谷地の方を向いて語り掛けた。


「そもそも、我が方の輸送船団の損害が大きい

 のは、米軍のレーダーの優秀さのほかに…。」


 南郷は一息ついてから


「いくら暗号を使っているとは言え、律儀に定時

 通信のために電波を出させていることが原因と

 俺は考えてい るんだ。」


と続けた。


「と、申しますと?」


 大谷地の問いに


「まず、電波を出すと、方位探知をやられれば、

 位置を暴露してしまう。子供じゃあるまいし、

 何で馬鹿みたいに毎朝8時と夜8時に定時連絡

 をさせ、さらに正午に位置報告までさせるんだ?

 加えて、俺は暗号を信用せん。海軍の主要暗号

 も商船暗号も敵に読まれていると考えるべきだ。

 何せ、ドイツの日本駐在武官がそう言っている

 くらいなんだからな。」


 南郷は早口で続け、さらに捲し立てるように

続けた。


「ほら、山本元聯合艦隊司令長官の戦死が良い例

 じゃないか。あれは、一線の馬鹿者が、暗号な

 ら大丈夫だろうと、視察先へ長官の行動予定を

 ご丁寧にも無線連絡したことで、P38戦闘機の

 待ち伏せを喰ったんだ。」


「確かにそうですね。」


 大谷地が相槌を打つ。


「軍令部にいた奴に聞いたんだが、こんな事例も

 ある。ドイツへ派遣された潜水艦が、その帰途、

 行動秘匿のため無線封止をしていたところ、同乗

 していたどっかの馬鹿な偉いさんが、あまりにも

 しつこいので、アフリカ西海岸沖で定時無線連絡

 をやったら、たちどころに敵さんの対潜哨戒機が

 すっ飛んで来て、危うくボカ沈を喰うところだっ

 たんだそうだ。」


 ここで南郷は、興奮を静めるかのように一呼吸

置いてから


「そんな訳で、無線封止は厳重に継続だ、

 いいな。」


と、念を押すように命令した。


「了解しました。徹底します。」


大谷地は歯切れ良く答えた。


「それにしても、煙幕みたいな霧だ。神隠しって

 のは、こんな感じで起こるのかな。」


 冗談めいた南郷の問いに


「さあ、分からんです。遭ったことありません

 から、そんなもんは。」


と大谷地は苦笑交じりで答えた。

 

 択捉島沖の緯度ともなると、ほぼ冬至の今頃は、

あと1時間もすれば日没を迎えてしまうので、濃霧

の中での夜間航行になるから、より一層、緊張を

強いられる長い夜を迎えることになる。

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