第7話 少女と魔術と言葉の理
水上機母艦千早 12月24日 15:40
金山少尉の二式大艇が父島を探している頃、
千早の艦内は大騒ぎになっていた。
白い闇のような濃霧が晴れた、と思ったと
ころ、父島が消失してしまったのである。
艦橋にいた将兵以外にも、上甲板や舷窓際
など、外が見える場所にいた将兵は、思わず目
を疑った。
「あれぇ!」
艦橋見張り員の若い兵隊が声を上げた。
「馬鹿者、素っ頓狂な声を出す奴があるか!」
当直士官の中尉が思わず怒鳴りつけた。
「は、しかし、父島が消えました!父島消失ッ!」
改めて報告する声も裏返っている。
濃霧がかかる前、千早は艦首を北側に向けて
おり、正面よりやや右舷寄りに二見港、正面には
小笠原村の家並が見えていた筈である。
そして、湾内には、昨日到着た輸送隊の海防艦と
輸送艦が、千早の後ろ側で艦首を東に向け停泊して
いた。
見張り員報告どおり、如月艦長が艦橋から双眼鏡
で前方180度をぐるりと見渡しても、父島は影も形
もなく、真っ青な水平線が広がっているばかりで
ある。
濃霧の中で、左舷方向から霧笛が聞こえ、これに
呼応して後方の海防艦が主砲を放つ砲声が轟いたの
も聞こえた。
現実に、左舷側には、その霧笛の主だったと思わ
れる給糧艦と駆潜艇が見えている。
つまり、在泊の艦艇だけは残ったが、島がそっく
り消えてしまったということになる。
当直の中尉が壁掛け電話に取り付き、通信室へ
父島との交信を指示していた。
「艦長。」
宇月副長が声を掛けてきた。
「何だね、副長。」
如月は、殊更落ち着いた風を装うように答えた。
「我々は父島が消えたと騒いでおりますが、ひょ
っとして消えたのは我々艦艇の方ではないで
しょうか。」
如月は
「確かに、島の連中からしたら我々艦艇の方が
消えたことになるが、濃霧に紛れて出撃した、
と考えるかもしれんぞ。」
と反論した。
宇月副長はさらに反論し
「輸送隊ならそう考えられるかも知れませんが、
我々はまだ、魚雷艇の降下と大艇の補給など、
父島での本来任務を終えておりませんから、
不自然ということになります。」
と述べた。
もっともな考えである。
「ひょっとしたら今頃、父島の部隊の連中は、
大騒ぎして我々に電報を打ったりして探して
いるんじゃあなかろうか…。」
如月は、ふとそう思ってから、先刻、当直
士官が父島との無線交信を命じていたことを
思い出し、確認した。
「当直、父島とは連絡が取れたのか。」
艦艇の場合、在泊中は、通信隊本隊のほか、
港の出入りを管轄する、出先の簡易な無線局
などとの間でも、頻繁に無線連絡を取る。
「父島所在の、通信隊、無線局のいずれともに
応答なし、連絡が取れません。なお、在泊中
の各艦ともに、本艦同様、盛んに無線の呼び
出しを行っておりますが、応答には接してい
ない模様です。」
当直士官が受けた通信士からの返答は、期待
外れだった。
「分かった。続けて横須賀通信隊を呼び出させ
てみろ。ダメなら、呉でも大湊でもどこの
鎮守府、根拠地隊の通信隊でも構わないから、
呼び出しをさせよ。」
当直士官の報告を受け、如月が続けてそう
指示を出した。
彼は、指示を出しながら自身も壁際の電話に
近付き、受話器を取って電探室を呼び出した。
「電探室、状況はどうだ。島は探知できるか。」
そう問うと
「電探に反射波なし。…あ、別の反射波あり。
飛行機、衰調大、おそらくは単機。270度
方向、電測距離
という、電探士からの意外な答えが返って来た。
艦の左舷90度方向から飛行機が接近し、70㎞
に迫っているのである。
「
強弱が画面に現れることを指す。
これが速かったり強弱の差が大きいと、目標
が小さいか数が少ない(往々にして単機)場合
で、陸地からの反射波は、衰調が起こらない。
今は、単機の大艇を捕捉したので、大きな
衰調が現れた訳である。
ちなみに、日本軍のレーダーは、画面の縦軸に
信号強度、横軸に距離を取って受信信号波形を
表示する初歩的なAスコープで、操作判読に熟練
を要したが、米軍のものは、走査線が回転して
受信信号を点で表示するPPIスコープであり、
俯瞰的に目標を捉えられ、優秀であった。
「敵か味方か分からんか。」
と如月が一番気になることを聞いた。
「大型機と思われますが。敵味方識別電波を出し
ていないので、友軍と思います。」
敵味方識別電波とは米英軍が使っているIFFの
ことで、この電波を捉えた場合、目標の位置を
より遠くから正確に電探上で把握できる。
日本の陸海軍では、このシステムはまだ研究
段階で、導入されていないから、今、電探が捉え
ているのは、味方の可能性が高いのである。
続けて今度は、通信士が、無線電報訳文用紙を
手に艦橋へ上がって来た。
「801空の二式大艇発、父島通信隊宛ての通信を
傍受しました。」
艦橋全体に
「ほほう。」
という、意外なことに出遭った、という空気が
流れた。
「読め。」
副長が促した。
「はい、機長発父島通信隊宛て
『我レ 機位ヲ失ヒタリ 誘導電波発射ヲ求ム』
以上です。」
「大艇が自分の位置を見失った、だと?」
「普通、大艇は誘導に従事するものだろう。信じ
られん。」
艦橋にいた面々は、それぞれ信じられないという
感想を言った。
「艦長、これは我々が今、直面しているこの事態
に関係があるのではと思います。」
宇月副長が述べる。
「島が消えたとすれば、大艇は目的地を見失うこと
になる。」
「いや、副長がさっき仰ったように、大艇の方が
我々と一緒に消えたということではないのか。」
艦橋の面々は、また口々に感想を述べる。
「父島から大艇への応答はあったのか。」
如月艦長の質問に
「いいえ、大艇からは繰り返し誘導電波発射を
求めておりますが、いずれも父島からの応答は
ない模様です。」
と通信士が答えた。
ここで宇月副長が、良いアイディアを思い付い
た、と言う風に
「艦長、本艦は大艇への補給も任務の一つです。」
と語り始めた。
「うむ、それで?」
如月が先を促した。
「はい。我が艦から方位測定の誘導電波を出しては
どうかと思います。一応、父島方向から電波を
出すわけですから、父島からの発射と区別が付き
難いので、普通、空母が行うような、電波発射後
の
方位測定電波とは、海軍で広く用いられている
無線帰投装置への誘導電波のことで、航空機用装置
としては、空母艦載機に搭載されている
「一式空3号無線帰投方位測定機
(通称「クルシー式」、米国製のコピー生産品)」
のほか、一式陸上攻撃機や二式大艇機に用いられる
「零式空4号無線帰投方位測定機
(通称「T式」、ドイツ製のコピー生産品)」
があった。
いずれも、円形の回転式ループアンテナで誘導
電波を受信し、その電波強度から方位を測定する
原理であるが、「零式」の方はアンテナなどの装置
が大型であるため、陸攻や大艇などに使用されて
いた。
ただ、敵にも傍受されるので、陸地から電波を
発射するのであれば別だが、空母など艦艇から電波
を発射した場合は、位置を誤魔化すための韜晦行動
が必要になる。
先に金山機が求めていた「ビーコン」とは、当に
この誘導電波だった訳である。
「なるほど。本艦は飛行艇母艦で、島にいるから、
電波を出しても安全だしな。」
「さすが副長さん、グッド・アイディアだ。」
「しかし、元はと言えば、父島が消えたらしい
のが発端だぞ。」
「どのみち、米軍は何のことか分からんだろ
うさ。」
などと艦橋の面々が囁き合う。
如月は、一瞬、考えてから
「よし、通信室に連絡。大艇へ誘導電波を出して
やれ。近在の艦艇へ『二式大艇の接近あり。』の
旨を連絡せよ。同士討ちに注意方、だ。」
と命じた。
命令は直ちに通信室ほかへ伝達、実施された。
第801海軍航空隊所属 二式大型飛行艇
12月24日 15:45
図らずも「機位を失った」ことになってしま
った、 金山特務少尉機長の二式大艇も、水上機
母艦千早その他の「父島停泊艦艇」同様、父島
と無線連絡を試みていたが、叶わずにいた。
金山は、自身のイライラはともかく、事ここに
至っても沈黙している便乗者の佐々木少佐の存在が
不気味であった。
「そのうち癇癪でも起こされたら面倒だな。」
と気が気ではなかった。
そこへ
「誘導電波受信、ビーコンです。」
という、通信担当の八木二飛曹の弾んだ声が
伝声管から聞こえてきた。
「何ッ!。メエ、本当か!?」
金山の問い返しに、八木はレシーバーの奥から
聞こえてくる
「ピー、ピー」
というビーコンの音に神経を集中し、アンテナ
角度を調整した。
「ビーコン、本機の正面方向からです。間違い
ありませんっ!」
再び八木の弾んだ声が金山の伝声管から伝わ
って来た。
「どうだいっ!コンチクショウめ!」
金山は、小躍りするようにしてそう言うと、
後方を振り返って
「参謀、やっぱり航法はドンピシャリでしたよ。
真正面からビーコンが来ています。」
と佐々木少佐に大声で伝えた。
言われた当の少佐は、
「うむ。」
と言って頷いたっきり、表情を変えなかった。
その後ろにいた同行の中尉は、さすがに顔を
綻ばせていたので、多分、少佐も不安が解消さ
れ、嬉しかったと思われるが、金山は
「まあ、元々表情が乏しい人なんだろう。」
と思うことにした。
それから7、8分も飛行したであろうか。
正面に4、5隻ほどの艦艇が見えてきた。
「ありゃりゃ?島じゃあなくて船団かい。
父島はどこだ?」
先ほど、喜んだのも束の間、金山は、問題
が解決されていない予感に襲われた。
「中山、前方の船団は、敵じゃなかろうな。」
不安が過ぎる。
「前方船団は、まずおそらくは友軍。」
伝声管を通じて、前方機銃手の中山一飛曹
から報告が入った。
「なぜ分かる?」
金山が聞き返すと
「この距離で敵なら、対空砲火をドンドン撃ち
上げている筈です。」
という返答が来た。
「よし、高度下げる。」
金山は船団に接近することに決め、機体を
降下させ始めた。
降下に連れ、船団はグングン近付いて来る。
正面が機首に隠れて見えづらいので、金山は
少しだけコースを左寄りに取り、更に接近して
いった。
金山ほか、操縦席の面々は、機首右舷側に
注目している。
「前方の船団は、秋津洲型水上機母艦1、間宮
型給糧艦1、ほか海防艦、輸送艦、駆潜艇と
思しき艦艇各1です。」
前下方が最もよく見える位置にいる中山一
飛曹から、船団の詳細な報告が入る。
「了解。そんなら船団じゃあなくて、一応、
艦隊だな。島はどうだ、見えるか。」
金山は、今の自分に見えないものが、中山
に見える筈もないとは思ったが、一応、確認
した。
「父島は見当たりませーん。」
間延びした中山の答えが返って来た。
「分隊士ぃ、電波の主は前方の艦隊からって
ことになりますかねぇ。」
副操縦士の西山上飛曹が金山の方を向いて、
エンジンの爆音に負けじとばかりに、怒鳴る
ように言った。
「多分、そうだろうな。島影がどこにもない。
艦隊の中に千早がいるだろう。あれは父島
の二見湾で俺たちを待っている筈なのに、
こんな洋上にいる。するってえことは、だ。
俺たちもあの艦隊も、何だか訳の分からん
厄介事に巻き込まれたんじゃないかって気
がするんだよ、俺はぁ。」
金山は、視線は右舷前方に向けたままで、
こちらも西山に怒鳴り返すように言った。
やがて機体は艦隊上空に差し掛かるが、
一応、敵味方識別用のバンクを振った。
バンクと言っても、小型機のように小刻
な翼の振り方はできないので、ゆっくりと
両翼を振って見せた。
高度を50m位まで落とし、改めて各艦艇
を観察すると、艦種は中山の報告どおりで、
どの艦にも旭日軍艦旗が掲げられ、日本の
艦艇であることを示している。
金山は、何だか少し嬉しくなった。
元々は日本領土の父島を目指していたの
だから、日本艦艇を見掛けて嬉しくなるの
もおかしな話ではある。
再び西山上飛曹が、怒鳴るように話し
掛けて来た。
「分隊士ぃ、着水して母艦と合同するんです
よね。」
「そうだ。何か情報を得られるかも知れんし、
何より、父島が見えない状況で、このまま
飛び続けられんだろう。」
金山も怒鳴るように言い返す。
「そうするとです、救助した少女2人はどう
なるんですかね。まさか捕虜扱いになりは
しませんか。」
「ああ、そうだった。」
父島の消失騒ぎで頭の隅に追い遣られてい
たが
「そんなこともあったっけ。」
と言いながら、金山は少女たちの顔を思い
出した。
「まさか艇内に匿う訳にもいかないだろう
からなぁ。艦隊の偉い人にでも正直に
相談するしかないさ。」
「でも、任務の途中で余計なことをした
とかいって、咎められませんかね。」
「そん時ゃ、『義を見てせざるは勇無き
なり』って言ってやるさ。」
「へえ、論語ですか。学がありますね、
分隊士。」
「ふん、格好をつけるつもりはないが、
海の真ん中を漂っている娘っ子を助け
ないなんて、当に『勇無きなり』じゃ
ないか。」
正副操縦員同士がそんな会話を交わし
つつ、波一つない、南洋の海の鏡のよう
にトロリとした海面に、二式大艇は着水
する準備態勢に入った。
水上機母艦千早 12月24日 16:05
「左舷から二式大艇が接近しまーす。」
対空見張り員の報告に、千早艦橋にいた
将兵が一斉に左舷を向いた。
千早の左舷、つまり西の方角から爆音が
聞こえ、エンジン4基を備えた二式大艇が、
ゆっくりと翼を上下に振りバンクをしなが
ら近付いて来るのが見えた。
ここが本来の父島ならば、帝都東京から
南へ1,000㎞の距離にあるから、冬至を過
ぎたばかりの東京や横須賀よりは、かなり
日が長く感じられる。
だいぶん日が傾いて来た西空を背景に
飛来した大艇は、低空で艦隊上空をいった
ん通過し、反時計回りにぐるりと艦隊上空
を旋回した後、千早の艦尾方向から平行に
着水態勢に入った。
千早のほか、各艦艇の乗組み将兵たちが、
歓声を上げながら大艇へ向けて帽子や手を
振っている。
「大袈裟ですなぁ。」
半ば呆れたように副長宇月中佐が艦長の
如月大佐に向けて言うと
「それだけ不安だったんだろうな、兵隊
たちは。」
と如月が答えた。
父島が「消失」した今、内心、如月たちも
不安が募っていたところであるから、将兵
たちが、二式大艇の飛来を見て歓喜するのも
当然と言えた。
金山から見た千早は、艦首の両舷から海中
に錨鎖を垂らしながら、のんびりと海面を
漂っているように見える。
副操縦員の西山上飛曹も同じように思った
らしく
「分隊士、ありゃあ錨が海底に届いていない
ですね。」
と話し掛けて来た。
湾内など、浅い海であれば錨が海底に届く
であろうが、こんな洋上では、200mや300m
かそこらの錨鎖など、海底に届くとは思えな
かった。
「てことは、だ。」
金山が推理を語り始める。
「艦隊の連中は、みんな錨を垂らしている
だろう。ありゃあ、洋上で停泊ってより
も、どっかの湾内や陸地近くに錨泊して
たところ、思いがけず大洋の真っ只中に
来ちまったってことじゃねえかな。荒天
で波が高けりゃ、『ちちゅう』するんだ
ろうけど。」
「ちちゅう」とは、荒天で波浪が高いと
き、船舶が洋上で行うやり過ごし方で、錨
を流したまま、波の間に間に漂うことであ
る。
水深が深く錨が届かなかったり、走錨で
錨が効かなくなりそうな場合に、この方法が
採られる。
だが、今の海面は鏡の如くであり、大艇の
着水も楽なものであった。
大艇は、千早の艦首をゆっくりと左へ回り、
機首を左舷艦尾へ寄せて行き足を止めた。
搭発の中島一飛曹を先頭に、4人が主翼上面
によじ登り、艦上への吊り揚げ作業に備えた。
千早の艦尾に備えられた、35頓ジブトラス・
クレーンは、大艇の到着に合わせるつもりだっ
たのか、ちょうど積んでいた魚雷艇2隻を海面
へ降下させる作業を終えたところである。
千早の中央煙突から後方の甲板は、広いスペ
ースが取られており、ここに大艇を搭載して整
備を行うようになっていて、一番後ろにクレー
ンが備えられていた。
このスペースへ大艇を後ろ向きに置き、整備
その他の必要な作業を行っているが(ただし、
大艇搭載中は不安定となるため、航行はできな
い。)、このスペースを利用し、魚雷艇の運搬
や、作業機械類を設置して工作艦としての活動
も行っている。
翼の上の中島たちは、艦から渡ったワイヤー
を受け取って主翼へ回し吊り下げ器具に連結し、
さらに、近付いて来たクレーンのフックを器具
に引っ掛け、大艇の重心を見極めながら調整し
ている。
吊り上げられた大艇は、大艇の底の形に合わ
せ作業スペースに据えられた、V字型の台座に
収められ、吊り上げ作業が終わった。
同時に、整備員たちが機体のあちこちに群が
るように取り付き、今度は整備と補給の作業が
始められ、それと同時に、艇内からは、搭乗員た
ちがゾロゾロと降機して来た。
機長の金山少尉を先頭に、佐々木参謀と同行の
中尉も混ざっている。
一行は、出迎えた千早の当直士官に案内され、
艦橋へ向かった。
羅針盤艦橋へ入り、兵隊たちの敬礼に迎えられ
た一同は、まず、艦長如月大佐のもとへ向かい、
整列し、折り目正しく敬礼して、金山が到着を
報告した。
「報告します。801空、金山特務少尉、只今到着
いたしました。」
金山の申告に続き、佐々木参謀が
「第27航戦参謀の佐々木です。陸軍第109師団
へ連絡参謀として赴く途中ですが、やむを得
ず本艦へ立ち寄った次第です。」
と申告した。
如月艦長は、佐々木の報告が終わるのを待って
「うむ、ご苦労でした。」
そう言いながら答礼した後
「君たちも承知と思うが…。」
と切り出した。
日本陸海軍共通で、同格かそれ以下の人物を
指す二人称「貴様」を用いなかったのは、佐官
である佐々木少佐への気遣いだったのかも知れ
ない。
「…承知のことと思うが、我々は今、理解し難い
状況下に置かれている。艦隊も君たちの大艇も、
目視のみならず、無線という言わば聴覚におい
ても、父島を失ったらしい。」
如月は、窓の外を右手で指しながら続けた。
「ここには、本艦以下5隻の艦艇と魚雷艇2隻、
そして君たちの大艇がいる訳だが、さて、
各々が元の目的をどう果たすのか、いや、
それ以前に今我々がどこにいるのかをどの
ように把握するかなど正直、途方に暮れて
いるところだ。」
如月は、一気にそこまで言うと、一呼吸置い
てから
「ああ、ちなみに無線は方々色んなところを
呼び出したが応答は、無しだ。どんなでも
良いから電波を拾おうとしたが、何の通信
も放送も受信できなかった。味方のも、敵
のものも、だ。要するに、無線通信に限っ
て言えば、今、ここに我々だけがポツンと
孤立しているようなものなのだ。」
と付け加えた。
「艦長、よろしいでしょうか。」
金山が口を開いた。
「何だ、言ってみろ。」
如月が先を促す。
「実は、ひょっとしたらではあるのですが、
今艦長が仰った『我々の現状』を理解する
糸口になるかもしれない事実がありまして
まあ、その…相談でもあるのですが。」
少し口籠ったような金山の口振りに、如月
は怪訝そうに
「事実の相談だと?よく分からんが、まずは
説明してくれ。」
如月にそう言われて、金山はクリステルたち
を救助した経緯などを、詳細に報告した。
「欧米人らしき少女2人を救助した…ね。ふむ。
聞いた限りでは難破船か何かの生存者とは
思えるが、人道上はやむを得ぬとしても、
敵性外国人かも知れんし、難題が一つ余計に
増えた気もせんではないな。」
如月の言ったことは、予想どおりと言えば
そのとおりだが、金山は
「まさか、海に放り出せとは言わんだろうな、
この御仁は。」
と、内心、少々心配になった。
ここで意外な人物が口を挟んだ。
「あの少女たちは、我々が考えているような
北欧、南欧、米州といった辺りの白人とは
違うように思われます。」
佐々木少佐がインテリっぽい口調で話し始
めた。
「話す言語も、私の思うところでは、英語、
ドイツ語、スペイン語、ロシア語などと
全く異なった系統の言語のように思われ
あるいは、我々の現況を理解する縁にな
るやも知れず、調べるに如くはないと思
料いたします。」
佐々木が話終わると、その場の一同が、
思わず
「なるほど。」
と納得させられた雰囲気となった。
「取りあえず、会ってみよう。」
如月の一言でその場は決した。
さてその頃、二式大艇の周辺は、ちょっと
した騒ぎになっていた。
クリステルたち少女2人を、日高二飛曹を
付き添わせ、取りあえず機内に残していた
金山だが、整備のために艇内に入って来た
整備兵の一人が2人を見つけ、思わず外に
向かって
「女の子だ!女の子が大艇に乗っているぞ!」
と叫んだものだから堪らない。
「何だと!」
「女の子がいるってか!?」
「ウーだ、ウー。」(「ウー」は海軍の隠語で
女性のこと。)
などと言いながら、10人ほどの整備兵たちが
我も我もと大艇の後部乗降口から中を覗き込もう
と殺到した。
中には強引に乗り込もうとする兵もいる。
「馬鹿野郎、御客人だそ。騒ぐな騒ぐな。」
日高が押し止めようとするが
「ねえ、二飛曹。あれは誰なんですか、日本人
じゃないですよね。」
「何であんなナイス(美人)が大艇に乗って い
るんですか。」
などと口々に言い出し、
日高が
「今、ウチの機長が艦の偉いさんに話をしに
行ってるんだ。みんな落ち着いてくれ!」
と言って押し戻そうとするが、収拾が付かなく
なりそうであった。
そこへ
「オイ、みんな落ち着かんか!下がれ下がれ。」
当直士官が大艇の方へ叫びながら走って来たの
で、ようやく一同は後ろへ下がり、道を開けた。
「二飛曹、少女たちを艦橋まで連れて来てくれ。」
日高は、騒ぎが収まったのにホッとしながら
「了解しました。」
と返事をし、当直士官へ敬礼してから、少女2人
に向かって付いて来るように手招きをした。
クリステルとエミリアは、一瞬、躊躇したよう
に見えたが、日高の手招きに逆らうでもなく、
日高に続いてタラップを伝い、大艇から降りた。
日高は、大艇の周りに大勢の人だかりができて
いるのに驚いたが、少女2人はもっと驚いたらし
く、ビクついているようにも見えた。
「嬢ちゃんたち、大丈夫だよ。少しばかり女が
珍しいだけで、取って喰いやせんから。」
日高の言うとおり、男所帯の軍艦内で女性、
しかも少女は珍獣のようなものであるから乗組
み将兵が集まってはいるが、もとより危害を加
えるつもりはないのである。
少女たちの方も、言葉は理解できなくても、
日高に優しく諭されると安心するようで、歩き
出した日高の後ろに着いて、艦橋へ歩み始めた。
日高が、艇内より明るい場所で立ち歩く少女
たちを改めて見ると、年嵩のクリステルは身長
5尺位、腰まである
両側をお下げに結い、セルロイド人形のような
青い眼にボディーナイス(スタイルが良い)、
透き通るような白い肌、まず見たことのない
美少女っぷりである。
エミリアの方は、身長4尺5寸ほど、こちらは
同じ金色の長髪であるが結ばれてはおらず、
小さな花飾りの付いたヘアバンドをしている髪
と、眼や肌の色はクリステルと同じであり、よく
見ると、どことなく顔つきが似ている。
「この2人、姉妹なのかしらん。」
白人の顔はよく見分けがつかないものの、日高
は内心で、そう思った。
ただ
「服装は薄汚ねぇなぁ。美人が台無しだぜ。」
とも思った。
艦橋に向かっている間、2人とも艦が珍しいら
しく、時折、壁やそこいらの備品類をコンコン
と叩いてみたり、触ってみたりしながら、互いに
何かを囁き合っていた。
「ひょっとして鉄の船が珍しいのかな。」
日高はそう思った。
「日高二飛曹、救助者2人をお連れしました。」
日高は、羅針盤艦橋に数歩入ったところでそう
申告し、如月の前へ少女2人を連れて行った。
如月の前で日高は敬礼し、答礼を待ってから
「こちらが、大艇が救助した少女2人です。背
の高い方がクリステル、小さい方がエミリア
と名乗っております。」
と不動の姿勢のまま、紹介するように言った。
これを引き継ぐように、金山が救助の状況など
を説明した。
如月は
「ふーむ。」
と言ってから、英語で幾つか簡単な質問を試み
たが、2人は顔を合わせてポカンとしている。
「今、艦長がなさったように、我々も色々と
試みましたが、身振り手振りの意思疎通が
やっとの状態です。」
金山が説明を加えた。
「その足首の痣や傷はどうしたんだね?」
如月がクリステルの足首の痣と傷に気付き、
指差しながら尋ねた。
金山が
「救助の当初、2人とも足首に鉄環と鑑札の
ようなものが着けられており、それを外した
痕跡です。」
と答えると
「なんだそれは、まるで囚人か奴隷のようでは
ないか。では、この2人は、何者かの監視下
から逃れて来たとでも言うのか。」
宇月副長が口を挟んだ。
「私にもわかりません。ただ、鑑札のようなもの
に書かれた文字は、この2人の言葉同様、アル
ファベットやアラビア数字のように、我々が知
っているものではありませんでした。」
金山が宇月に答えて、そう言った。
金山や如月たちの遣り取りは、そんなに長い
ものではなかったはずだが、当の少女たちにして
みれば、見知らぬ男たちが延々と話し合っている
のがもどかしいと感じたのか、クリステルの方が
少し焦れた表情に変わっていった。
そして、やがて決心したかのように、肩掛け鞄
に手を突っ込み、ゴソゴソとかき回し始めた。
これに気付いた日高が
「おい、嬢ちゃん、何をするんだ!」
と、止めに入ろうとしたが、クリステルは構わず
かき回し続ける。
「おい、止めろったら。」
どうやら日高は、彼女がナイフのような武器を
取り出そうとしたと思ったらしいが、取り出され
たのは、1冊の古びた本と細い棒であった。
日高が
「何の本だい?」
と言って手を伸ばそうとすると、クリステルは
今までにない様子で、きつくこれを拒んだ。
「分かった、分かった。大事な本なんだろ。」
日高が引っ込むと、クリステルは数歩後方へ
下がり、棒の先で如月と宇月を交互に指しながら
「寄れ」
という仕草をした。
宇月は
「何のこっちゃ。」
と思いながらも、如月に歩み寄り、クリステルの
方を向いて右横に立った。
次にクリステルは、金山と日高を棒先で交互に
指し、続けて如月たちの方を指して
「寄れ」
という仕草をした。
「え、俺たちもかい?」
金山が訝し気に言ったが、2人とも仕方がない
といった表情で如月たちに
「失礼します。」
と言ってから金山と日高は、連れ立って宇月の
横に立った。
「記念写真でも撮るつもりですかね。」
宇月が冗談を言ったが、残りの3人は苦笑いを
するだけだった。
当のクリステルは、というと、本のどこかの
ページを開き、ブツブツと何かを唱えている。
「分隊士、経文でも唱えてるんですかね。」
日高が金山に耳打ちしたが
「いや、お経じゃねぇだろうよ、全然似合わ
ねぇし。でも、何かのお祈りの類かもしれ
ねぇな。」
金山は思った通りのことを言った。
何十秒か経った頃であろうか、「お祈り」が止んだ。
そう思った次の瞬間、棒の先から光が飛び出し、
また次の瞬間、今度は本から光が飛び出し、2つの
光が空中で合わさったかと思うと、光の筋が如月
たち4人の頭上に達し、大きな光の環を形成した。
「貴様、何をする!」
金山が、腰ベルトに無造作に差してあった拳銃を
取り出しクリステルに向けながら怒鳴った。
「待て、少尉。」
宇月が、自身も驚きながらも、ようやくのこと
で金山を制した。
止められた金山は、銃口を下に向け、顔は天井に
向けた。
頭上には、直径3~4mほどの金色の環が漂って
いて、内側には、何か文字のようなものも浮かんで
いる。
次の瞬間、その「環」が4人を包むようにストン
と落下したかと思うと、そのまま消えてしまった。
「分隊士、今のは何ですかね。」
「俺に分かるか馬鹿野郎。」
大艇コンビが言い合っていると、2人の耳に女性
の声が聞こえてきた。
「…カ様。ヒダカ様、カナヤマ様。私の言うことが
お分かりになりますか。」
「おい、日高、今の声…。」
「あ、分隊士も聞こえましたか。」
2人とも、幽霊の声でも聴かされたような面持ち
である。
「貴様らにも聞こえたか。」
不意に宇月の声がした。
「え、副長もですか。では艦長も今の声が…。」
金山の問いに
「おう、俺にも聞こえたよ、天の声がね。」
と如月が答えて寄越した。
「天の声か。上手いことを言う。ならば喋って
いるのは差し詰め天女ってところか。」
金山はそう思いながら、改めてクリステルたち
を見据えて、彼女の問いに答えた。
「今、俺と日高を呼んだのは君だね。俺たちはなぜ
クリステル、君の言葉が分かるようになったんだ
い?君たちは日本語が分かるのか?」
金山は、普通に日本語で話し掛けた。
「いいえ、私たちは二ホン語という言葉は分かりま
せん。先ほど、あなたたち4人に『言の葉の理』
という魔術を掛けました。だから、あなたたち4
人は、私たちの話す言葉が理解できるのです。
おそらく文字もお分かりになると思います。」
これを聞いた金山は
「はあぁ、まじゅつぅー?」
と言いながら、あんぐりと口を開けて、顎が外れ
かかったような表情になってしまった。
「分隊士、魔術って、あれですか。欧州の童話とか
に出てきて魔法使いが『チチンプイプイ』とか言
うやつですかね。」
日高が耳元で囁いた。
「いや、知らんよ。どっちにしろ、そりゃお伽噺か
何かの世界だろう。何で本物の魔法に、しかも俺
たちが掛かっちまうんだい。訳が分からんよ。」
「皆様は、魔術をご存じないのですか?」
クリステルが驚いたように質問する。
「知らんな。少なくとも現実には存在しない。物語
や空想の世界ならともかく。」
如月が困惑した様に答えると、彼女は
「私とエミリアからすれば、皆様が鉄の鳥に乗って
空を自由に飛び回ったり、鉄の船が海に浮かんで
いたりする方が不思議なのです。」
と、こちらも困惑した様に答えた。
「いずれにせよ…。」
宇月が、艦の実務担当者らしく、話を引き取って
まとめに入る。
「いずれにせよ、日没となりますから、各部の作業
を終了させます。対空、対潜の警戒は怠らず、休
める者から休息を取らせます。なお、戦闘配食は
通常の夜食に切り替えさせます。」
如月がこれに対して
「よし。」
と承諾した。
「ただ、彼女たちからの事情聴取は、引き続き行い
たいと思いますが、場所は私の自室を提供しま
す。それから、大艇乗員休息室の空きを2人の
居室に充当します。」
宇月は、重ねててきぱきと提案を出した。
「副長に任せる。」
この艦長の返答を脇で聞いていた金山と日高は
「それでは、我々はこれで失礼します。」
と言って艦橋を立ち去ろうとした。
すると
「おい、待て。言葉が分かるのは俺と艦長以外、
貴様たちだけだし、第一、貴様らが拾った者
だろう。ちゃんと面倒くらい看てやれ。」
宇月に呼び止められてしまった。
「そうですね。ただ、私は大艇のこともあります
ので、日高二飛曹を残すことにしますが、よろ
しいですね。」
金山はそう返答してから日高に向かって
「そういうことだから後は頼んだぞ。2人ともに
心細いだろうから、しっかりやるんだぞ。」
と言い残して立ち去ってしまった。
「よし、日高二飛曹、少女らと一緒に、俺の部屋
へ来い。」
副長に言われては嫌も応もない。
母艦で宿泊するなら、ゆっくり風呂に入って、
できれば一杯やってなど、色々と算段していた
日高だったが、全ておじゃんになってしまった。
美少女と一緒に居られるというのは、ある意味
乗組み将兵羨望の的ではあろうから、これが救い
ではあったが。
「さあさ嬢ちゃんたち、一緒に来な。」
そう言ってから
男
両手に花持って チョイナチョイナ♪
鼻歌を口ずさんだところで
「何ですって?」
とクリステルの突っ込みが入り
「いやいや、言葉が分かるのを忘れてたーっと
きたもんだ。すまねえ、すまねえ。」
日高は調子の良い言い訳をした。
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