第11話 マルガレータ妃のギフトと目覚めた国王
慣例では、王子が十歳になったらギフトを判明させたのち、王太子に任命する。【悪魔】のように危険視されるギフト持ちでないかぎりは、長男であるヴィクトルが王太子になる。
ギフトを識別する石版はドロテに壊されてしまい、現在急ピッチで作り直しているところだ。
ヴィクトルの誕生日まで三ヶ月を切り、マルガレータの焦燥はますますシャルルへと向かった。唸る鞭の合間に、ヒステリックな声が響く。
「お前がグズグズしているから! さっさとヴィクトルを殺しなさいよぉ! でないとお前が死ぬことになるのよぉ⁉」
「うっ、あ……ぐっ……っ!」
――ヴィクトルのことなど関係なく、シャルルを殺すくせに。
この女には母性など欠片もないらしい。せっかく生まれた王子ルーセルのことも乳母に任せきりで、顔を見に行く様子すらないのだから。
こうなる十分前のこと。シャルルはマルガレータの部屋へ向かい、わざとドレスに足を引っかけた。癇癪を起こしたマルガレータのそばに侍女たちは近寄らない。一目散に部屋を出て行った。
(こんな横暴も、今日までよ!)
ふたりきりになれるこの時を待っていた。欲望の実は七つすべてが実った。教育係のドロテは檻の中。
マルガレータの息があがり、鞭を持った手が下がる。
(――いまだ!! <強欲>の実も十分に育った。いけるはず!)
シャルルが黒い大鎌をあらわすと、マルガレータの目が大きく見ひらかれた。引きつった唇が悲鳴をあげる前に、勢いよく振り下ろす。
相変わらず、刈り取れたのは<色欲>が八割に<強欲>が二割。しかもすべては刈り取れなかった。マルガレータは膝をついただけ。恐怖は感じているらしい。声が震えている。
「お、おまえは一体……、何なのよぉ?」
「何って……あなたの息子でしょ?」
気絶しないのがもどかしい。シャルルが【悪魔】のギフト持ちであることを、覚えていたら困る。
(<傲慢>の能力、使ってみようかな……)
この能力は、相手の体を支配下に置くことができる。<傲慢>の実に触れて右手をかざすと、マルガレータの動きが止まった。くるりと手をまわせば、ぎこちなくも後ろを向く。ここまで簡単に人を操れるとおそろしくなってくる。【悪魔】のギフトが危険視されても仕方がない。
(だけど、一番おそろしいのは……己の欲望のために人を殺せる人間よ!)
大鎌を振りまわすこと五回。やっとマルガレータは意識を失い、床に倒れ伏した。ギフトを奪い取ったという手応えもある。
「や……やった! とうとう、奪ってやったわ!!」
<強欲>の実に触れて表示されたマルガレータのギフトは、【錯覚】だった。
ギフトの説明を読んでみると、
「潤んだ瞳で見つめることにより、最愛の相手であると錯覚させる。……うん?」
マルガレータがいつも涙目でいる理由はわかったが、愛を錯覚させているだけなら、本当に愛されているわけではない――ということだろうか。
「ギフトを失うと、どうなるんだろう?」
最初は錯覚ではじまった恋が、愛に変わって定着することは十分ありえる。しかも能力が結実しても奪うのに苦労するほど、【錯覚】レベルが高かったのだ。しばらく様子を見るしかない。
シャルルは部屋の外に控えた侍女三人を捕まえて、マルガレータをベッドに運ぶよう申し付ける。
「ヒステリーが極まって卒倒したんだ。とばっちりを受けたくなかったら、起こさないことだね」
こう言っておけば、彼女たちはむやみに口を滑らせない。ヒステリーを起こした原因を思い出させないよう、ご機嫌取りに徹するだろう。
***
その日の夜。仕事から解放された国王ジェラールは、汗を流したあと、いつものようにマルガレータがいる王妃の寝室を訪れた。どんなに疲れていようとも、最愛の顔を見れば癒やされる。
「マルガレータ!」
「ジェラール! お帰りなさいっ。寂しかったわぁ」
「ああ、私もだよ」
両手を広げれば、マルガレータがジェラールの胸に飛び込む。これだけで疲れなど吹き飛んでしまう。
いつものように抱き上げ、ベッドに乗り上げる。押し倒して顔を近付けたとき、ふいに違和感を覚えてジェラールの動きが止まった。いつまで経ってもキスが降って来ないことに気付き、マルガレータは瞳を潤ませながらも首をかしげる。
「ジェラール?」
「……すまない。少し疲れているようだ。目が霞んでいるのか」
「まぁ、大変だわ! こっちに座って?」
ベッドのヘッドボードにクッションを並べ、ジェラールを座らせる。その腕にしな垂れかかり、マルガレータはまた瞳を潤ませた。
「ジェラール。明日の夜会では、シャルルを王太子に任命してくれるでしょう?」
「……シャルルを?」
「ええ。だって、あたしたちの可愛い王子ですもの。ね?」
上目遣いに見つめられても、マルガレータは三十歳近い大人の女性。わざとらしいほどあざとく見えてしまう。いままでと見た目は変わらないはずなのに、なぜか気持ちが冷めていく。
ジェラールはひどく混乱した。
「よく、考えたい。今日は部屋に戻る」
「あんっ、じぇらーるぅ……」
甘い声が耳をくすぐるが、ジェラールの心は、別の意味でかき乱されるばかりだった。
***
翌日の夜会で、ジェラールは奇妙な光景を目にした。いつもなら、ジェラールが追い払おうともマルガレータのそばに侍る男たちが、挨拶を交わしただけで去って行く。皆
ジェラールはちらりと隣の女性を見やる。童顔のかわいらしい顔には笑い皺。淑女は大口をあけて笑ったりはしない。庇護欲をそそる仕草も、王族としては無作法だ。ピンク色のドレスが安っぽく見えてしまう。しかも、うねった赤毛に乗せられているのは王妃のティアラではないか。
「マルガレータ、そのティアラはどうした?」
「これですかぁ? お部屋に置いてあったからぁ、使ってもいいのかなってぇ」
「……そうか」
記憶がないわけではない。王妃の部屋をマルガレータに与えたのも、王妃セリーヌを離宮へ追いやったのも自分だ。だからこそ己の行動が信じられない。
セリーヌとは政略結婚ではあったが、お互いに温かい愛情と信頼を育み、結婚した当時はたしかに愛し合っていた。その愛情はベルティーユが生まれてからも変わることはなかったはずだ。
遅れて王妃の入場が告げられた。毎度のこと、ジェラールがマルガレータをエスコートするものだから、セリーヌはひとりで入場する。女性ならば足の竦む行為であろうに、セリーヌは凛として微笑みを崩さない。その姿はまるで、
「……私はいままで、何を見ていたのだ?」
「ジェラール? 何か言ったぁ?」
マルガレータの手が絡みつくよりも前に、ジェラールはまっすぐセリーヌへと向かう。
「セリーヌ。どうか、私と踊ってはくれまいか?」
一瞬、セリーヌは目を瞠ったが、すぐにいつもの微笑みを浮かべてジェラールに手を重ねた。十年近くまともに見ていなかった
――そうだ。
彼女は王妃というビジネスパートナーなどではない。一曲踊り終えてもまだ足りない。ずっと彼女を見つめながら、踊っていたい。
手を放さないジェラールに動揺したのはセリーヌだ。やんわりと眉尻を下げる。
「陛下、後ろに……お気付きになって」
「後ろ?」
幽鬼のような顔をして立っていたマルガレータは、突然の視線を受けてすばやく瞳を潤ませる。その変貌ぶりはジェラールの背筋を凍りつかせた。
――だが、何をおどろくことがある? 何度も見ていたはずだ。記憶にも残っている。
マルガレータを寵妃に選んだのは、ほかでもないジェラールだ。なぜか興味を失ったからといって無下にするわけにもいかない。渋々とマルガレータの手を取り、何食わぬ顔をして踊り出す。
目にしているのは、いつものマルガレータと違いはない。踊りにくいほど体を密着させてくるのも魅力的だったはずなのに、嫌悪感が募っていく。
――なぜだ? おかしい。私は、どうしてしまったのだろうか。
夜会が終わったあと、湯に浸かりながらぼんやりと考えるのはセリーヌのことだった。
――こんな自分を許してくれるだろうか。
ここまで不安な気持ちになったのは、隣国との戦争を回避しようとして、部下に裏切られたとき以来だ。あのときもセリーヌだけはあきらめず、和平の交渉に臨むジェラールを隣で支えてくれた。
「…………」
ジェラールは立ち上がり、活を入れるかのように頭から水をかぶる。
「何を迷うことがある。……まずはセリーヌに会い、許しを請わねば」
髪も乾き切らぬうちにせわしく夜着をまとう。部屋を飛び出すと、扉を守る近衛たちが何事かと慌てた。彼らを気にする余裕もなく、ジェラールは王城の離れへと走る。
もう秋も終わり、冷たい風がジェラールの頬をなで、体を冷やしていく。侍従がタオルを持ったまま、必死に蜂蜜色の髪を追いかけていることなど、気付きもしない。
離宮の扉をひらき、顔見知りの女官を捕まえて「セリーヌに会わせろ」と迫れば、申し訳なさそうな声が返ってきた。
「王妃陛下はまだ、お仕事中かと……」
「な、なんだと⁉ 夜会のあとに仕事を? なぜそんなに忙しいのだ⁉」
「……僭越ながら、わたくしが耳にした情報によりますと、側室様がぞんざいに扱われた家具の補填や、お買い物の予算をどうにか埋め合わせようと、あちこち飛びまわってらっしゃるようなのです」
もう言葉もなかった。ただ、やるべきことだけはハッキリした。
「セリーヌと子どもたちを王城の客間に迎える。引っ越しの準備を始めてくれ」
「客間に……ですか?」
「一時の措置だ。大掃除が必要であろう?」
その言葉に瞳を輝かせ、女官は最敬礼をとった。
「仰せのままに」
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