第4話 悪魔が育てる破滅の樹
考えごとをしているうちに話は進み、部屋の隅に控えていた女性が、シャルルの侍女として付くことに決まった。
黒目黒髪の侍女はベラと名乗り、シャルルの体をくるりとドアへ向ける。
「さっそくお着替えしましょうね。シャルル殿下」
猫なで声を発したベラだったが、ジェラールの姿が見えなくなるとすぐに表情を消した。その冷たい眼差しにシャルルの体が強ばる。縫い止められた足を強制的に動かすよう腕を強くつかまれ、廊下を引きずられていく。
(――痛い!)
四歳の子どもに対する力加減ではない。顔をしかめただけですんだのは、シャルルの中身が大人だからだ。それに大声で叫べば、いまならまだ父に届く。
(でも、シャルルが何をされたのか、ありのままを知っておきたい)
なぜギフトを譲ってまで、シャルルとして生まれるのを嫌がったのか。火事で死ぬのがこわいだけではない気がする。
幸い、いまのシャルルは大人の知能を持っている。
(なんとか乗り切れるはず――)
――と、思っていたけど甘かった。
シャルルの部屋に戻った途端、ベラがマウントを取ってきた。それはもう物理的な意味で。上にのしかかられてブラウスの襟元を交差される。
「いいこと? あたしは子どもが大っ嫌いなの。少しでも泣けば、
「っ……」
わかったから放せと言いたいけれど、締め上げられて息も吐けない。シャルルがぐったりしたのち、ベラは乱暴に服を脱がしはじめた。シャルルはやっとのことで肺に空気を送り込む。
「も、いい……、あたくしが、じぶんで――」
「――あたくしですって? あの乳母、全然仕事してないじゃない。女のような発言や行動は一切禁止だと習ったでしょう⁉ お仕置きが必要ね」
あ、と気付いたときには、鬼の形相で手を振り上げるベラが見えた。息を飲んだシャルルは、手の中にあらわれた棒を無意識につかみ、ベラの横腹に叩きつける。
「ぎゃっ⁉」
棒は体を素通りしたはずなのに、悲鳴をあげたベラがスローモーションで崩れ落ちていく。顔から床に落ちたようだが、馬乗りの状態からなので問題はないだろう。ちゃんと息もある。
それよりも気になるのは、突然手の中にあらわれた黒い棒きれだ。
「もしかして……あくまのぶき?」
いまはただの棒きれだが、レベルを上げていけば変化があるのだろう。しげしげと眺めていると、棒きれは姿を消した。『出ろ』と念じれば、またあらわれた。
「れべるあげ、がんばらなくちゃね」
ギフトの説明によれば、悪魔が好むのはネガティブな感情。それらを持つ人間を狩ることでレベルが上がっていく。幸か不幸か、王城は魔の巣窟。すぐに上がりそうだ。
シャルルはもたつきながらも服を着替え、部屋を抜け出した。
向かう先は厨房。
乳母がいなくなってから一日しか経っていないが、記憶がよみがえる前のシャルルには、とても長く感じられた。思い出してみれば、食事を与えられなかったわけではない。いつもそばにいてくれた乳母がいなくなり、寂しすぎて食べ物が喉を通らなかっただけだ。
記憶が戻ったいまでは、寂しい気持ちはなくなったものの、お腹が寂しくて鳴いている。
あけっ放しのドアから厨房をのぞき込むと、白い服を着た料理人が三人、椅子に腰かけて談笑している。シャルルが声をかけようとしたところ、ひとりが深刻な表情で身を乗り出した。
「エミリー夫人は残念だったな」
「ああ……、王都から出た途端に襲われたらしい」
「最近治安が悪くてしょうがねぇなぁ」
エミリーという名を聞いて、シャルルの心臓が飛び跳ねた。たしか乳母の名前がエミリーだったはず。思わず料理人たちに走り寄る。
「えみりーがどーしたの?」
「――殿下!!」
「どうしてこのようなところに……」
「お部屋へお戻りください!」
慌てた料理人たちに追い出されそうになったが、シャルルは猫のように床に吸い付いた。
「おなかしゅいた! なにか、たべしゃせて!」
そう言われてしまえば料理人たちは逆らえない。料理を作るためにここにいるのだから。
急遽作られたパン粥を、スプーンと格闘しながら口へ運ぶ。服が汚れたら面倒極まりない。お行儀がわるいけれど、お皿に口をつけてかき込んでいく。
三人いた料理人のうち、ふたりが消えた。倉庫から野菜を取ってくるというもっともらしい理由だが、先ほどの話を振られたくないのだろう。ひとり残ったのは料理長で、バヤルと名乗った。
食べ終えたあと、「ばやる」と名前を呼べば、わかりやすく肩を揺らした。
「あっ、そうだ! ミルククッキーがありますよ。お持ちしましょう!」
「たくさんあるなら、みっちゅのふくろにわけてくれりゅ?」
「へ? 構いませんが……、分けなくてもいつでもお出しできますよ?」
「ふたちゅはひとにあげりゅから、りぼんでむすんでね」
「は? はぁ……」
バヤルは困惑しながらも紙袋にクッキーを分ける。小さなカゴに入れて持たせてくれ、そのまま「さぁさぁ」と厨房から追い出された。
無理に聞かなくともわかる。乳母エミリーはきっと口封じされたのだろう。シャルルが女だと知っている者たちに未来はない。
(人を道具みたいに切り捨てるなんて……)
ベルティーユたちが心配だ。様子が知りたい。クッキーを手土産に意気揚々と歩き出したものの、四歳児の体では無理があった。王城はムダに広いし、ベルティーユたちは王城のさらに北にある離宮へ追いやられている。
なんでも『マルガレータ妃が怯えるから』という理由らしい。前回はベルティーユたちも見た目に騙されていたが、シャルルとして生まれてからというもの、図太いマルガレータしか見たことがない。あれは転んでもただでは起きないタイプだ。
「あのばけぎちゅねめ……。ハァ……ハァ……、ふぅ、もーだめ」
長い廊下でひと休みしていると、横からニュッと手が伸びてきて、カゴが引ったくられた。
「殿下にクッキーはまだ早いわ!」
ヒステリックに言い放ったのは、でっぷりとした腹を持つ給仕メイド。乳母がいない隙を狙って、お菓子はぜんぶこのメイドに取り上げられていた。
四歳ならクッキーも食べられるし、このミルククッキーは子ども用の優しい味だ。
「かえして!」
取り返そうにも手が届かない。ならば、とシャルルは黒い棒を
「……?」
けれど、メイドは不思議そうな顔をするだけで倒れない。もう一度お腹に向けて棒を振りまわすと、メイドの眉根が不快そうに寄った。
(もしかして、すべてを奪うにはレベルが足りない? それなら……)
数をこなすしかない。
同時にシャルルの左手の甲に痛みが走る。顔をしかめながらも見やると、手首から一本の黒い木が伸びており、七つに枝分かれした先端には、黒い蕾がひとつ芽吹いていた。
(これは……悪魔のシジル⁉)
教会で見たことがある。異端者が好んでタトゥーにする“破滅の樹”のシンボル。それに似ている。
そっと蕾に触れると、目の前に小さな空間が浮かび上がった。
(これが空間魔法ね。一定のレベルに到達したから使えるようになったんだわ。だけど、小っさ……)
クッキーの袋は入るが、カゴは無理だ。もっと“暴食者”を狩らなければならない。
ゆっくりと後ずさるメイドを見上げ、シャルルはニンマリと笑う。
「ヒッ⁉」
「にがしゃないよ?」
メイドが気絶するまで棒を振りまわすと、余裕でカゴが入るサイズになった。欲望を十分に吸い取った棒きれは、小さな鎌に姿を変えた。手の甲に咲いた蕾は花がひらきかけている。
(使い方がわかってきたわ。さっさとレベルを上げてしまいましょう)
あの天使がギフトを書き換えるレベルに達するのは、十七歳くらいか。それまでにこちらのレベルが上まわっていれば、書き換えることはできない。
すべてのギフトにはレベルがあり、性能はレベルに左右される。同じギフトであっても、老人のギフトと生まれたての赤子のギフトでは、天と地の差があるものだ。
(とりあえず次は……悪魔の翼を手に入れたいわ。“怠け者”たちを狩りましょう)
翼があれば行動範囲が広がる。ベルティーユたちにも簡単に会いに行けるだろう。
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