屈託とハンドクリーム

@zawa-ryu

第1話

 いつもの待ち合わせ場所に着くと、友人の結愛は「おはよう」と言う前に声をあげた。

「あっ今日の芽理いい匂いがする!」

 ふふ、気づいたか。さすが結愛、長い付き合いだけはある。

「失礼ね。私はいつでもいい匂いよ」

 少し気取って軽口でいなす。

「いや、今日はいつもと違う匂いがするよ。リンス変えた?」

 なかなかやるじゃない。けどリンスじゃないんだなこれが。

「姉貴が化粧品買ったらサンプルで付いてきたってくれたんだよね。ほら、この匂いでしょ?」

 私は結愛の鼻先に手を近づけた。

「これこれっ!すっごい爽やか!」

「でしょ?私も気にいってるんだよね」

 私たち高校生にとってはおいそれとは手が出せない高級ブランドのハンドクリーム。

 容器にはFruityと書いてあるだけで、なんの果実かは知らないが、ふとした時に柑橘系の爽やかな香りが広がって、気分がリフレッシュされる感じがする。

 匂いに関しては甘めのモノより爽やか系が好みな私はすぐに気にいって、さっそく今朝からポケットに入れて持ち歩いていた。


「ねえ、今日の放課後、駅前のあのお店に行ってみない?この時期限定の生チョコマシュマロパフェがもう出てるんだって」

 ほう、もうそんな季節か。

 んーと、今日?今日は何か予定あったっけ?

 私が脳内でスケジュール帳をめくっていると、後ろから元気な声が聞こえてきた。

「芽理先輩っおはようございます!」

 振り返るとそこに、うちの高校の制服を着た下級生が立っていた。 

「あーっあんたが来たってことは!私今週、美化委員会だ」

 毎回この後輩の姿で思い出す。

 そう、私は美化委員会の一員なのだ。なぜならくじ引きで負けたから。

 各クラスから1名ずつ選抜された美化委員は、1年と2年がペアになって、週替わりで校内の美化に努める。

 うちの高校は1学年8クラスなので計16人が8組に分かれて、約2か月ごとに回ってくる委員会活動に精を出すのだ。

「先輩、放課後迎えに行きますね」

 彼女はそう言って嬉しそうに笑うと、風のように消えて行った。

「あらら残念。今度にしよっか」

 結愛はそう言ったが、美化委員活動は今週一週間続くのだ。来週までパフェがお預けなんて、とても待ってられない。

「美化委員なんて30分ぐらいで終わるから、先に店で待っててよ」

 私が言うと、結愛も「そうこなくっちゃ」と笑顔を見せた。


「それであんた、今回はその指どうしたの?」

 放課後、後輩の彼女と連れ立って校内をぐるぐると廻る。

 美化委員の活動なんて、校内に目立った汚れや備品の破損は無いか見て回って、あとは花壇の水やりか草むしりぐらいで特にこれといってやることは無い。最後に美化委員日誌に「特記事項無し」と書きこめば任務完了だ。

「どうってこと無いんですけどね。昨日から急に腫れてきちゃって。お医者さんに行ったら大げさにされちゃいました」

「ふうん」

 昨日って日曜日なんだけどな。まあ救急指定の病院にでも行ったんだろう。

 うん、そういう事にしておこう。


 彼女と初めて出会った5月、その頃の彼女はもう少し余所余所しかった。

 まあ入学したての1年生が上級生とペアを組むんだから、多少は緊張していたのもあったのかもしれない。

 だけど、その時私が彼女から受けた印象は、「あまり人と関わりたく無い」

 いや、「関わって傷つきたくない」

 そんな感じだった。

 実際、校内で彼女を見かけても、彼女はいつも一人だった。

 体育祭の時も、学園祭の時も、私を見つけて手を振ってくれる彼女の周りには誰もいなかった。


 5月のその日、二人で校内を見回ったあと、私たちは最後に花壇に向かった。

 今朝まで降っていた雨がまだ植込みの土を湿らせていて、

 これなら水やりは必要無さそうだ、ラッキーさっさと帰ろう。

 そう思った時だった。

 彼女はぬかるんだ地面に足をとられ、それはそれは見事に半回転して私の視界から消えた。

 ドタン!

 派手な音を立ててすっころんだ彼女は、足首を押さえてうずくまった。

「大丈夫?立てる?」

 私は慌てて架け寄って肩を貸し、彼女を保健室まで連れて行った。

 泥だらけになった制服をの代わりに、私は自分の体操服を貸して「着替えな」と渡した。

「迷惑をかけてすみません」

 彼女は弱々しくそう言って俯く。

「何言ってんのよ、これから年に何回かは一緒にやっていくんだから、気にしなくていいよ。まあ、仲良くやろうよ。ねっ」

 そう言って私が元気づけると、彼女はそこで初めて私に笑顔を見せた。


 次の日、綺麗に折りたたまれた体操服を持って、彼女はわざわざ私の教室に現れた。

「先輩、昨日はありがとうございました!今日も美化活動よろしくお願いしますねっ」

 昨日とは打って変わって明るい彼女に私は少々面食らったが、「おうよっ」と愛想よく応えた。


 初回の美化委員活動が終わると、彼女は校内で私とすれ違うたびに、

「先輩、次の美化委員よろしくお願いします。私、楽しみにしてます」

と声を弾ませた。


 その次の活動日は7月、彼女は寝違えたといって首に大きな湿布を貼っていた。

 その次は腰痛でコルセット。そのまた次は左目に眼帯をしていた。

 彼女は私が、「どうしたそれ?」と声をかけて手を借してやるたびに、

「すみません」と嬉しそうに笑って、「私に親身になってくれるの、先輩だけですよ」と言った。

 

 で、本日12月18日月曜日。彼女の左手、人差し指にはぐるぐるに巻かれた包帯。

 うーん、だんだんネタも無くなってきたんじゃないか?

 そう、正直なところ私は詐病なんだろうなと疑っていた。

 なぜ彼女がそんな事をするのか。

 私には分からない。なぜそこまでして私に構ってほしいのか?

 いや、理由は何となくは分かる。

 初めて会ったあの日、あのアクシデントがあって、私と彼女の距離は縮まった。

 それ自体は別にいい。他人同士が友達になるきっかけなんて、そんなものだろうと思う。


 だけど彼女は、そのあとが少し違った。

 彼女のやり方、いや生き方とでも言うべきか。

 人との距離感。その計り方、その縮め方に、私は違和感を覚えたのだ。



「先輩、今日も水撒きは必要無さそうですね」

 あの日と同じように、今朝まで降っていた雨は花壇を濡らしていた。

「そだね。じゃあ草だけむしって帰ろう」

 しゃがみ込んだ彼女の手に視線をやる。

 私は包帯よりも、彼女のひどくカサついた両手に目がいった。

「あんた手荒れひどいね」

「そうなんです。この季節になると乾燥しちゃって、いつもなんです。ささくれまで出来ちゃって最悪」

「ふうん。ちょっと手出してみな」

 私はポケットからクリームを取り出すと、彼女の手にワンプッシュして乗せてやった。

「うわぁすごくいい匂い。先輩と同じハンドクリームなんて感激!ありがとうございます!」

 そういって手を擦る彼女の人差し指は滑らかに動き、クリームをしっかりと塗り込んでいた。

「あんた、それ。包帯巻いてる指、痛くないの?」

 私の指摘に、彼女はすぐにしまったという顔をした。

「あ、いえ痛いのは痛いんですけど……なんだかマシになってきたみたい、です。……ハハハ」

 彼女の言葉に、私は小さくため息をつく。

「あんたね、そういうのって良くないと思うよ」

 彼女の顔がさっと曇った。

「えっ?……それ、どういう意味ですか」

「別にあんたが怪我してようがいまいが、どっちでもいいんだけどね。でももし、そうやって怪我した振りして、私の気を引こうとしてるんだったら、それは良くないよ。やめときな」

 彼女の顔面がみるみる紅潮していく。

「……先輩も、そうなんですね」

「何が?」

「私が怪我してるかどうかなんてわからないじゃない!」

「うん。わからない。確かめようもないし、確かめる気も無いしさ。私が言いたいのは、誰かに構ってもらおうと思ってそんなことやってるんだったら、やめた方がいいよって言ってるの。あんたにとっても何の意味もないから」

 彼女の顔はどんどん赤くなっていった。

「何よっ!私のことなんか何も知らないくせに、分かったようなこと言わないでっ」

 彼女は立ち上がって私を睨みつけると、そのまま私の前から走り去っていった。



「私が悪かったのかな」

 店で待っててくれた結愛は店員を呼んでコーヒーをお替りし、二人分のパフェを注文してくれた。

「うーん、私は芽理は悪くないと思う。まあ言い方としてはキツかったのかも知れないけど、後輩にそこまで気を使うってのも、なんか違う気がするし」

 私は、彼女が後輩だから云々というのはどうでもよかった。

 ただ、彼女がああいった方法でしか他人との距離を確かめられないのであれば、それはとても悲しいことに思えただけだ。

「所詮、彼女の問題なんじゃない?」

 うん、結愛の言う通り。結局はそこに帰結する。

 彼女の過去に何があったのかなんて私には知りようも無いし、知ったところでどうする事も出来ない。

 ただ一つ確かなのは、彼女はそうやって生きてきて、いつも独りぼっちでいる。

 

「さあ、気分変えて食べようよ。せっかくの期間限定生チョコマシュマロパフェだよっ」

 運ばれてきたパフェを見て、結愛が目を輝かせて言う。

「ああ、うん」

 私が曖昧に答えたその時だった。

「あっ」

 パフェを口に入れようとした結愛の手が止まる。

 振り向くと、後輩の彼女が店に入ってくるのが見えた。


 彼女は今日も独り。

 その指にはもう包帯は巻かれていなかった。

 彼女は店員が「いらっしゃいませ」というより先に私を見つけると、一瞬苦い顔をして、ぷいっと踵を返して店から出て行ってしまった。



「なんだかなぁ」

 窓の外に見える、小さくなっていく彼女の背中に、私は呟く。

 彼女はきっともう、美化委員には来ないだろうな。

 まあ、別にいいんだけどね。


 何となく胸がちくちくして、マシュマロを乗せたスプーンを置き、私は頬杖をつく。

 頬にあてた指先から、ほのかにハンドクリームの香りが漂った。


 姉貴のくれた高級クリームも、期間限定パフェの甘さも、

 この胸のささくれを癒してくれるようには、

 今はとても思えなかった。

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