【BL】矢島店長の機嫌の良し悪しを決めるモノ

祐里(猫部)

1.バス代をケチる飯島


「僕には無理ですって! ほんと無理、無理無理!」


「こんな土砂降りの中、自転車で来たおまえが悪い。バスもあるってのに」


「……うっ……」


 僕は飯島光いいじまひかる、大学三年生。今はバイト先のカフェのバックルームにいる。郊外にある大きめのおしゃれなカフェで、バリスタに憧れを持つ僕は採用されてとてもうれしかった。そう、うれしかったんだ。あの時は。


「ったく、制服ずぶ濡れにしやがって。合羽着てたって、こんな雨じゃ焼け石に水だろうが。あーあ、ちゃんと洗って乾かさないと」


「でも、だからってこれは……!」


「それしかねえんだよ。ぜってぇ飯島に似合うから大人しく着ろ」


 実際に働いてみるまで、爽やか大人イケメンの矢島やじま店長がこんなに口が悪い人だとは思っていなかった。いや、それだけならいい。


「こんなの似合わないですーっ!」


「似合うっつってんだろ! いいから黙って着替えろ、風邪引くぞ! 濡れてるのは洗濯しといてやるから!」


 白い丸襟ブラウスと白い裾フリル付き黒ミニスカートと黒ニーソックスという制服が、何で男子バイトばかりのこの店にあるのか。そして、何で僕が着用しないといけないのか。罵声を浴びながらそんなことを思っていると、矢島店長が偉そうに足を組んで座っている立派な椅子を、偉そうにくるりとこちらに向け、偉そうに顎を上げて、偉そうにしゃべり始めた。


「何で僕がこんなの着ないといけないんだって顔してんな。じゃ、言ってやろうか。理由その一、梅雨前線ががんばってる土砂降りの中、おまえがバス代をケチって自転車で出勤したから。理由その二、おまえが面倒がって家から制服を着て来たから。理由その三、制服を洗って乾かすのに時間がかかるから。理由その四、これしか代替だいたいの服がないから。理由その五、きっとパンツも濡れてるだろうからスカートの方がいい。理由その六、俺が見たいから」


「ひっ、人のパンツの心配までしないでください! ていうか俺が見たいって何ですか! 知りませんよそんなの!」


「理由その五と六がなくたってあと四つもあるだろうが。人手が足りねえんだから早くしろ!」


「……くっ……、どうなったって知りませんからね!」


 どうやら豪雨の影響で、バイト仲間が二人来られなくなったようだ。人手が足りないというのは本当なのだろう。僕は仕方なく更衣室に入り、女性用の制服を着ることにした。幸い……と言っていいのかは疑問だが、サイズはぴったり。どうせ細いですよ、どうせ身長低いですよ、どうせ長髪ですよ。ええ、どうせ。


「飯島、着たか? どれどれ……お、似合う似合う。思ったとおりだ、おまえ顔かわいいもんな。しかも太ももの絶対領域が絶妙で抜群に良い味を……」


「店長の感想はどうでもいいです」


「髪が長いのも良い味を……」


「そういうのいいですから」


 靴は自分の黒いローファーでいいらしい。更衣室を出て履いてみたところ、良い具合に合っている。何でだよ……せめて間に合わせ感を出してくれよ、靴くらい……。


「やっぱりローファーだよな、うん。うちの制服はちょい大人しめだからな。よーし、今日は一日それでやれ」


「ううっ……、乾いたら元の制服着ますからね!」


「乾かねえよ、こんなに湿度が高いんだから」


「あとでコインランドリーに……」


「馬鹿野郎、その制服も濡らす気か!? 俺の夢とロマンが詰まったその制服を!」


「僕の夢とロマンじゃないし!」


「っと、時間だ。ホール出ろ」


 すったもんだしているうちに、出勤時刻の午前十一時になってしまった。矢島店長にしっしっと追い出され、ホールへと……ホール?


「そうか、厨房にこもってればいいんだ!」


「んなわけにいくか、ホールの方が足りねえんだぞ」


「……ハイ……」


 僕の最後の切り札は、あっけなく消滅した。



 ◇◇



 バイト仲間たちは僕の女子制服姿に驚いていたが、矢島店長が挙げていた理由その一から六までを伝えると「なるほど。ま、店長だしな」と軽く納得していた。何でだ。せめてその六には異を唱えてほしかった。


 そのようにして仕事が始まったのだが、バイト仲間は「おい、あのテーブルのお冷もうないぞ」だの「早くレジ行けよ」だのと言い、僕が厨房にいることを許してくれなかった。何でだ。大学一年生の新人バイトの池崎、遠くから憐れむような視線を送るのはやめろ。食器洗いと清掃係のコミュ障の田原さん、メガネの向こうでいつも伏せている目を輝かせているのは何でだ。おかしいだろ、普通にしてくれ。


 これも、幸い……と言っていいのか、僕の女子制服姿はお客さんたちにおおむね好評だった。特に女性客は、僕が注文を取ったり料理を運んだりするたびに「かわいいっ!」「その制服どうしたの!?」と騒いでいた。もちろん僕の笑顔は、引きつったものになった。なったが、一応褒めてもらえているし……と自分に言い聞かせ、なるべくにこにこ笑って「どうしたの!?」に答えるべく、自然に会話できるようがんばった。お客さんが多いと矢島店長の機嫌が悪くなりにくいから、また来てもらえるなら安いものかもしれない。


 謎だったのは、男性客から熱い視線をもらったことだ。おまえ何度も来てるだろう、ここのコーヒーとプリンの組み合わせが好きなんだろう、家が近所なの知ってるんだぞ、彼女連れてきたこともあっただろう、その眼鏡を念入りに拭いてからこちらをじっと見つめるな。


 そこのおまえはバイク乗りだろう、この土砂降りの中必死に走ってきてタオルで肩を拭きながら僕に視線を送るのをやめろ、というか何で驚いていないんだ、まさかSNSでこの店に珍獣がいると拡散されているのを見たんじゃないだろうな? ……などと心の中で叫んだところで、熱い視線を避けられるわけもない。避けるためには厨房に引っ込む以外に術はないのに、バイト仲間が厨房にいさせてくれないのだ。


 しかし、この大雨のおかげでお客さんの数が少ないのは不幸中の幸いだ。売上は少ないだろうに、矢島店長の機嫌が良くなったのも。


「な、おまえさ、何で髪伸ばしてんの?」


「え……、いや、別に理由なんてないですよ」


 休憩中、矢島店長と話をする。今日は暇だからか、いつもは事務作業をしている店長がこちらを向き、偉そうに顎を上げて、偉そうに上から目線でしゃべっている。これでも機嫌が良い方なのだ。これでも。


「俺も大学生の頃、伸ばしてたんだよ。んで、おまえと同じように後ろで結んで」


「へぇ、そうなんですか」


 矢島店長は男性にしては少々髪が長めだがいつもきっちり前髪を後ろになでつけていて、清潔感がある。それがまさか同じ長髪だったとは。何とも意外だ。


「だからおまえ雇ったんだけど。もしかして円形ハゲできるタイプ?」


「……えっ!? ち、ちがっ……!」


「やっぱそうかー」


「……何で、わかるんですか……」


「なーんか、同じ匂いがしたんだよなー。大学入って一人暮らし始めて、学校では変に気を遣ったりして、ってやってたんだろ。俺もそうだった。ま、ストレスってやつだ」


「…………」


 髪を伸ばしている理由を言い当てられ、僕は黙り込んだ。まさにそのとおりだった。入学直後に一度円形ハゲができ、皮膚科に通って治ったのだが、またできてしまったらと思うと短髪にできない。長い髪で安心感を得られるのであれば、このままでいいと思っている。


「似合ってるんだから、別にいいだろ。そんな思い詰めた顔すんなよ」


「……はい……」


「それに、その制服にもすげえ似合ってるしな」


「それ関係なくないですか? ていうか足がスースーして……」


「関係あんだろ? もしおまえがスポーツ刈りで筋骨隆々のデカムサ野郎だったら追い返されたうえに俺に恨まれてたんだぞ、髪と体格に感謝しろ。スースーなんざ我慢しとけ」


「そう、かも、しれませんけど……いや、感謝って……スースー我慢はしますけど……」


 矢島店長が返答に困るような悪言を一気に早口で言えるのは何なんだ。もしかして常に脳内で罵詈雑言をシミュレートしているのだろうか。ありえる。


「んじゃ、今日はおまえのがんばりを評してまかない好きなやつ作ってやるから、帰りに食ってけよ。何がいい?」


「えっ、いいんですか!? じゃあ鶏肉とエビのベシャメルソースホットサンドとマカロニサラダ!」


「二種類かよ、図々しいな。……まあいい、楽しみにしてろよ」


 罵詈雑言シミュレート疑惑なんか持ってしまってスミマセンでした。矢島店長のホットサンド、おいしいから楽しみだ。「楽しみにしてろよ」と言いながらニヤリと笑う顔が少し怖いけど。


「ここのバイトは楽しいか?」


「えっ?」


「もう一年半経つだろ」


「あ、はい、そうですね……。わりと? 店長の口の悪さにも慣れたし」


 真剣な面持ちで急に尋ねられ、驚きながらも答えるとふっと優しい笑顔を見せられた。


「ここではあまり気ぃ遣わなくていいからな」


「……はい」


 口が悪くて少し怖いけど、矢島店長がたまに優しくなるのを、僕は前から知っていた。

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