第30話

 そうと決まれば早い方がいい。

 俺は早速爺ちゃんに電話をかけることにした。


 時間が遅い?

 知らん。

 あの爺ちゃんが何時に寝ているかなんて知ったことじゃないし、もし寝ていて出なかったら、明日またかけるだけだ。


 とにかく今は何かをしたかった。


 俺はまだかがみの家から帰っていない。

 突然押しかけて長居しても迷惑だろうし、お暇して外で電話しようと思ったのだが、かがみが自分も隣にいるからここでかけるように言ってくれたのだ。

 その気持ちはものすごくありがたくて、心がじんと痺れた。


 携帯端末で爺ちゃんの連絡先からコールする。

 呼び出し音がしばらく鳴った後に、爺ちゃんは普通に出た。


「あ、爺ちゃん?」

『おお、凡夫。久しぶりじゃな。元気にしとったか』

「ああ、うん。元気元気。それでさ――」

『お前、ゴールデンウィークに一度も顔を見せんかったじゃろ。夏休みは帰って来るんじゃろうな?』

「うんうん、わかった。帰るから。で――」

『おー。じゃあ帰って来るときに買ってきて欲しい土産ものがあるんじゃけど、リストを送っておくから――」


「だー! うるせーーー!!!」


『なんじゃ凡夫。いきなり叫びおって』

「お土産なんていくらでも買っていくから、俺の話聞いてくれよ」

『……なんじゃ? 改まって』


 さっき俺が叫んだからか、爺ちゃんが神妙な調子で言った。

 ようやく話を切り出せる。


「サイカのことなんだけどさ、率直に訊くけど、あの記憶方式……どうにかならないの?」

『……サイカから何か聞いたのか?』

「うん、聞いた。一日毎に記憶がリセットされるって話も、重要な部分だけテキストで記録されているって話も」

『そうか……』


 爺ちゃんの声が、少し沈んだように感じた。

 きっと爺ちゃんも、このことを俺に話すつもりはなかったのだろう。


「なんとかならないの? 継続して記憶出来るようになるシステムみたいなやつ……どうにか考えられないかな?」

『無理じゃ』


 即答だった。

 心に冷水を浴びせかけられたような衝撃が走る。

 絶望感が全身を支配し、一瞬、思考が停止した。


「そこをなんとか……」


 それだけ絞り出した俺に、爺ちゃんは冷静に言い放った。


『無理なもんは無理じゃ。もうあれは現行の技術ではどうにもならん。大体、出来たらとっくにワシがなんとかしとるわ』

「もっと記憶媒体を多く積むのは? 少々サイカが巨大化しても別に俺は……」

『確かにな。それなら多少はマシになるじゃろ』

「だったら――」

『でもな、凡夫。お前それでサイカの記憶をどれだけ延ばせば気が済むんじゃ』

「……どれだけ?」


 どれだけだろう。

 そんなこと、考えてもみなかった。


『三日か? 一週間か? 一か月か? それとも一年か? お前、それだけの記憶と感情を蓄えたサイカに、自らをリセットさせる気か? そこんとこ考えとるんか』

「あ……」


 頭にガツンとした衝撃が走った。


『その方がよっぽど残酷じゃろうて。少なくともワシはそう思っとる。何十年と保てるならともかく、少々記憶が長くなる程度なら一日でリセットさせた方がよっぽどマシじゃ。今ある記憶を大切に抱え込んで、消える未来を指折り数えながら過ごすなんて、恐怖以外の何物でもないじゃろ』


 言葉が心に響く。

 何度も何度も想像し、納得した。


 そうか……。

 俺なんかより、爺ちゃんの方がよっぽどサイカのことを考えていたんだな……。


「そう、かもしれない……でも……」


 それでも、俺の中の違和感は消えない。

 どうにかしたい。


 でも、どうにもならないのか?

 何も方法はないのか?


『なんじゃ凡夫。そんなに一生懸命になるなんて。お前、もしかしてサイカに惚れとるのか?』

「そうじゃねぇよ」


 なんでそんな話になるんだよ。


『失敗したかのぉ。そうならないようにわざわざキツーい性格に設計したのにお前も物好きな。めちゃくちゃ口悪いじゃろあいつ。それにな、下ネタも大好きじゃしな。あれもそのためじゃ』

「は? え?」

『まー下ネタは女性としてはともかく、ルームメイトとして過ごす分には別にかまわんじゃろ。むしろ男友達と一緒にいるようで楽しいまである』


 なんだそれ……。

 そんなこと考えていたのかよ。


「だったら男にすればよかったじゃねぇか」

『せっかく大学生になったのに、男と二人暮らしとか嫌じゃない? ワシは可愛い女の子とじゃないと絶対に嫌じゃ!』

「こンの……スケベジジィが!」

『カッカッカッ! それにそこまで聞いたということは、きっと名前の由来も聞いたじゃろ。爺ちゃんの初恋の人って言ってなかったか? あれ嫌じゃない? 爺ちゃんの顔ちらつかん?』

「な……」


 俺は絶句した。


「あれ、嘘だったのかよ!」

『いや、それは本当じゃけど』


 今の話、なんだったんだよ……。

 もうなんか疲れてきた。


『あのな、彩華さんはな、爺ちゃんが高校一年生のときのクラスメイトで――』

「いやその話はマジでどうでもいいから。そうじゃなくてさ……サイカは、家族だよ」

『なるほどのぅ……』


 爺ちゃんはしばらく黙り込み、神妙に話し出した。


『凡夫、お前サイカを家族と言うたな?』


 爺ちゃんの確認するような言葉に、俺は困惑しながらも「言ったけど……」と返す。

 すると爺ちゃんは意外なことを口にした。


『お前がそのつもりなら、方法はなくもない』

「な……本当か!?」


 それは今までの流れを撤回するような言葉だった。

 希望の火が微かに灯り、食いつくように耳を澄ませた。


『サイカの記憶をなんとかするのは難しい。さっきも言った通り、それは現行の技術では到底不可能じゃからな』

「うんうん」

『しかしそれをどうにかする方法を考えるしかない。そのためには――』

「そのためには……?」


 爺ちゃんは言葉を切り、そのまま沈黙する。

 焦れてどうにかなりそうになった頃、爺ちゃんが言った。


『凡夫……――お前が世代を超えさせろ』

「世代……? は? なに?」

『更新じゃ。アップグレードじゃ。お前自身がサイカの新しい記憶方式を作るんじゃよ』

「……――はぁぁぁあああ!?」


 大混乱に陥る。


 この分野で世界的な権威の爺ちゃんでも無理なものを?

 ただの大学生の俺が?

 は?


『大声を出すな、バカもんが。いいか、よく聞け。何も今すぐやれという話じゃない。あくまでも未来の話じゃ』

「未来……」

『今はどうあがいても無理じゃ。だが一〇年後は? 二〇年後は? もしかしたら何か方法が生み出されるかもしれん。それだけ技術の発展というものは目覚ましい。お前がやらなくても誰かがやるかもしれん。だがやらんかもしれん。見知らぬ他人に期待するな。サイカが大切で、家族のように思っているなら自分でなんとかする気でやれ。欲する道は自ら切り開け。時代を変えてきたのは決まってそういうものたちの情熱じゃ。仮に徒労に終わったとて、情熱を傾けた経験は無駄にはならん。直接的にせよ間接的にせよ、人生のどこかで必ず役に立つ』

「いや、ちょ、ちょっと待って。……俺は爺ちゃんみたいに優秀じゃなくて……」


 爺ちゃんの言うことがもっともなことはわかるけど、そんなことどれだけ頑張ってもやれる気がしない。

 俺は爺ちゃんほど優秀じゃない。

 そんなこととっくにわかっている。


 その爺ちゃんですら難しいことを、俺がやる?

 絶対に無理だろ……。


『凡夫、現状なんて気にするな。ワシから見れば大学生なんぞ全員ひよっこ。どんぐりの背比べじゃ。じゃが、これからどんぐりで終わるのか、そうでないかはお前次第じゃぞ』

「だけど……」


 俺の気弱な反論を許さないように、爺ちゃんが先を紡いだ。


『それが実現するころにはワシはとっくに死んでおるじゃろ。だからお前がやるしかないんじゃ。腹をくくれ。サイカのために人生を尽くすくらいの言葉、言ってみせろ。そもそもサイカは、端から凡夫それしか見ておらんし、これからもそうじゃ。お前にはそうなる覚悟はないんか?』

「あ……」


 頭にサイカの顔が浮かんだ。

 サイカはいつも、俺のために何かしてくれていた。

 それを思い出した俺が決意を新たにしようとしているとき、爺ちゃんが唐突に言った。


『とはいえ、もちろんそう簡単にはいかんじゃろうな。だから凡夫、それならワシの研究所に来い』

「――……え?」

『今は解決できん。じゃがうちの環境は世界でも指折りじゃし、学校だけで学ぶよりもよっぽど効率的じゃ。そのうち何か糸口が見つかるかもしれん。とはいえ、さすがに研究所に正式所属させるわけにはいかん。だからワシの研究助手としての立場になるがの』


 思いがけない提案に頭が真っ白になった。

 何と言っていいかわからずまごついている間に、爺ちゃんは話を進めていく。


『研究助手という名前じゃが、別に雑用をしろという話じゃないぞ? 喜べ。ワシが直接指導してやる。とはいえ、ワシとて別に暇ではない。だからせめて、やる気があることくらい見せてくれんとな』

「ど、どうやって……っ」

『そんなに難しく考えんでええ。大学生なんじゃから素直に試験を頑張ればええ。成績証明もあるし誰が見てもわかりやすいじゃろ』

「……成績……――成績……!? いや、あの……っ」


 焦る。


 大学に入ってからの俺の勉強は壊滅的だ。

 それは先日行われた中間試験でも見事に証明されてしまっている。

 成績証明なんて、むしろ無能の証明にしかならないんじゃないか?


『研究助手としての業績次第では卒後に研究所で正式採用となる道もあるじゃろ。うちで不足なら関連機関へ紹介することも出来るかもしれん。あとはお前次第じゃ』


 爺ちゃんは俺の狼狽など気にせず話を先へ進めていく。

 しかも、どう考えても一介の学生にとっては破格すぎる申し出だ。

 考えることが多くなってきて背筋に冷や汗をかいてきた。


『ただし――結果が及第点にすら届いていなかった場合、この話はすべて無かったことになると思え。まぁ、余計な心配かもしれんがな。じゃあ、期待しとるぞ』


 それだけ言い残し、爺ちゃんは通話を切ってしまった。

 どうすりゃいいんだよ……。


 通話を終えた俺は、改めて状況を整理しようと息を深く吸った。

 サイカのために頑張ろうという気持ちに変わりはない。


 だが、爺ちゃんの言葉を聞いて、その覚悟の重さと俺の甘さを思い知らされたような気がした。

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