第18話

 そのうち買い出しに行っていた爽太と渚が帰ってきて、みんなで一旦小休止を挟んだ。

 買ってきたお菓子などを摘まみながら、口々に会話する。


「ねー、中間試験が終わったらみんなで遊びに行かない?」

「おお。行こうぜ!」


 言い出しっぺは渚。

 そして乗ったのは爽太だ。

 二人が会話を続ける。


「どこ行こう?」

「と言ってもここら辺のことあんまり知らないしな。買い物くらいなら行ってるけど、レジャースポットとかはさっぱり」

「爽太、サークルでどこか行ったりしないの?」

「つってもサークルってほとんど夜だしな。今のところ、ダーツしたりビリヤードしたりした後は、飯食いに行ってるくらいかな」


 そこで爽太は一旦言葉を切り、俺とかがみの方を見た。


「どこか知らねぇ?」


 うーん。どこかって言われてもな。

 俺もここら辺に来てからそれほど経っていないし、アクティブに活動しているわけでもないから、詳しくない。


 ちらりと視線をやると、かがみも首を捻っていた。

 どうしたものか、と思っていると、そういえばとふと思い出した。


「楽しく遊べるスポットってわけじゃないけど、そういえばサイカと花を見に行ったな」

「花?」


 爽太が聞き返す。


「そうそう。わりと近くにさ、すげーいっぱい花が植えられている公園があるんだよ。ひと月ほど前に行ったんだけど、めっちゃ綺麗だった」


 俺は振り返り、サイカを見た。


「な?」

「ええ、行きましたね」


 サイカは首肯する。


「へー。二人とも仲良いな。オレは花なんてあんまり興味ないや」

「いや、よかったんだって、本当に。俺も別に花が好きってわけじゃないけどさ、なかなか圧倒されたわ。えっと、サイカ。あの熱心に見ていた花、なんだったっけ?」


 訊ねると、サイカはなぜか固まった。

 俯いて、顎に手を当てて考え出す。

 そしてしばらくした後で、おずおずと言った。


「…………チューリップでしょうか?」


 その答えを聞いて、俺は笑った。


「チューリップではないだろ。確かにあったけどさ」

「そうですか」


 サイカはまたしばし考え込んだ後、申し訳なさそうに言った。


「――すみません。失念してしまいました」

「そ、そうか」


 サイカの反応に、戸惑う。

 オートマタであるサイカが忘れてしまうなんて、あり得るのだろうか。

 訊いてみたいけど、どうにも胸がざわざわして、躊躇してしまい、口に出せない。


 ――きっと、記憶の読み込みに時間がかかったとか、そういう理由なんだろう。

 俺は、頭の片隅で起こった違和感から目を逸らしながら、そう考えることで自分を納得させた。


 けれど、それは壁に付いたシミのようになかなか消えてくれなかった。

 頭を振って、余計な考えを追い出す。

 そして話題を変えるように、少し大きな声を出した。


「ま、それはいいとして、じゃあ中間試験が終わったら調べてみようぜ。遊園地とか水族館とか、定番の場所なんていくらでもあるだろ」


 俺のその言葉に、みんな首を縦に振って頷いた。


 そして休憩が終わり、陽がだいぶ傾きつつある時間になってから、ようやく本腰を入れた勉強会がスタートした。

 とはいえやっと始めたからといって、そんなに理解が進むはずもなく。


「やっば。全然わかんねー」

「あたしもー。センスなさすぎて泣ける」


 爽太が渚のノートを覗き込んだ。

 眉間に深い皺が刻まれる。


「いや、お前はまだ……――なんもねーわ」


 何か言いかけた爽太は、しかし何も言わずに目を伏せた。

 その反応を見て、俺は合点がいった。

 きっと全然わからないのレベルが違う。


 渚の「わからない」はきっと講義をきちんと聞いた上で、理解できていない箇所が多いという意味だ。

 そして俺と爽太の「わからない」は文字通りの〝無〟である。


 講義なんてただ出席していただけでもう聞いちゃいないし、そもそも教科書に折り目すらない。

 それなのにさっきまで遊び呆けて時間を浪費していたとか、救いようのないバカとしか言えない。


 今さらになって本格的に焦りがこみ上げてきた。

 脳裏に浮かんだのは、来年順調に進級した渚とかがみペア、そして二度目の一年生をやる俺と爽太ペア。

 あまりにもリアルな想像に、おぇってしたくなった。


「過去問見た感じ、暗記である程度対応できそうだから、覚えるだけ覚えちゃって」

「お、過去問あるんだ。ラッキー。それなら余裕じゃん」

「あげてもいいけど、毎年問題変える先生だからきっとあまり役に立たないよ」

「なんだ……」


 かがみの発言に上げて落とされた。

 大学って過去問を手に入れられればなんとかなるんじゃないのかよ。


 ……ダメだ。思考が腐り切っている。

 高校生の頃まではまがりなりにも『大学受験』というとりあえず目指すべき目標があったから、意欲こそいまいちでもそれなりになんとかなった。


 しかしここに来て全く何もなくなってしまったのは大きい。

 大海の真ん中に小舟で放り出された気分だ。

 何を目指して漕ぎ出せばいいのか分からないから、動く気すら起きない。


「ただ今回はともかく期末はやる気を出した方がいいよ。噂によると成績順でいける研究室が決まってくるとか」


 そんなことを考えていると、かがみがタイムリーな話題を振ってきた。

 そういえば工学部は三年生の夏に所属する研究室が決まると聞いたことがある。


 だけど研究なんて言われても、夏休みの自由研究と何が違うの? といったレベルの無知さなので、そもそも考えるといった土台にすら立っていない。

 もちろん『こんなことがしたい』という展望もない。


「とは言うものの行きたいところなんて特にないしな。みんなは?」


 だから正直に言ってみることにした。何か参考になる意見が聞けるかもしれないし。


「あたしもまだピンとこないな」

「オレは卒業出来りゃいい」

「わたしはまだどこに入るのが一番良いかわからないし、今は勉強しておこうかなって感じ」


 渚と爽太は俺と似たり寄ったりだけど、かがみだけ少し違う答えが返ってきた。


「やりたいことはあるってこと?」

「うん」


 はっきりと言い切ったかがみに、爽太と渚が感嘆の声を上げた。


「すげぇなぁ」

「本当。頭も良いし、きっと卒業後には住む世界が違っちゃうんだろうな」


 しかしかがみは、ううんと首を振って否定した。


「わたしなんてたいしたことないよ。実際、ちょっと前までは不貞腐れてて何もしていなかったし。ただ、最近また頑張ってみようかなって思えることがあっただけ」


 かがみはなぜかちらりとこちらを見た……ような気がした。

 けど、勘違いかも。

 今も渚と爽太の方を見て気恥ずかしそうにへらっと笑っているし。


 前にも考えたけれど、そのきっかけってなんだろうな。

 かがみとはかなり多くの時間を過ごしているけど、大きな出来事なんて俺の記憶にはない。


 まぁ四六時中一緒にいるわけではないから、俺の知らないところで何かあった可能性も全然ある、というかその可能性の方が高いくらいなんだけど。


「――みなさま、お茶が入りましたが」


 とか考えていると、サイカが四人分の湯呑みをお盆に載せてやってきた。

 飲まれますか、の声を待たずしてすぐさま爽太が飛びつく。


「よっしゃ。キリいいし、休憩しようぜ、休憩」

「あんた休憩してばっかじゃん」


 渚がそんな爽太に悪態をついた。


「うるせぇ」

「サイカ、ありがとう」


 俺はそれを後目にサイカから湯呑みを受け取る。


「ほんと、凡夫のところに置いておくにはもったいないよねー。うちに来ない?」

「せっかくのお申し出ですが、私は凡夫さまに仕えておりますので」

「あちゃーフラれちゃった」


 俺の目の前で堂々とサイカを勧誘したかがみが断られて残念がり、それを見ていた渚が「ひゅーひゅー」と茶化してくる。


 するとかがみが「凡夫ー、可哀想なわたしを慰めてー」と近くに寄ってきた。


「え、なにこれ。いきなり修羅場発生?」

「あわわ、あたしはかがみとサイカちゃんのどちらを応援すれば」

「お前ら俺で遊んでるだけだろ」

「てへ」


 それからお茶を飲んでまたひと頑張りし、みんなでサイカの作った夕飯を食べ、その後も余韻でゆるゆる勉強していると、いつの間にか夜の一〇時を回っていた。


 すると渚が、明日急遽バイトが入ったからそろそろ帰らなきゃと言い出した。

 もう時間も遅いし爽太に送らせることになった。


 渚は最初こそ遠慮していたけれど、最終的にはどこか嬉しそうに受け入れた。

 照れ笑いのようなその顔には、当事者でない俺でさえグッときてしまう魅力があった。


 やっぱり女の子は恋をしているときが一番可愛いと思う。

 もちろん、推しの視点から。


 で、結局アパートには、俺とかがみとサイカの三人だけが残った。

 二人が完全に去ったのを確認してから、すかさずかがみがサイカに訊く。


「モニタリングの結果どうだった?」

「はい。まず、お二人の視線のやり取りについてです。爽太さまは、渚さまを見る回数が一時間あたり平均一五・六回。渚さまは、爽太さまを見る回数が一時間あたり平均一八・二回でした。これは、他の人を見る回数の平均である一時間あたり三・八回と比較して、有意に高い数値です。また、お二人が互いを見つめる際の瞳孔の直径は、通常時と比べて平均で一・二ミリメートルほど拡大していました。これは興奮状態や好意を示す反応と考えられます。さらに、まばたきの回数も通常時と比べて約二〇%減少しており、相手に強い関心を持っていることを示唆しています。加えて、お二人が会話をする際の心拍数は、他の人と会話をする際と比べて平均で毎分一二回ほど増加していました。声の周波数も、わずかに高くなる傾向が見られました。これらは恋心を抱いた際に見られる生理的反応と一致します。――以上の各要素を総合的に分析した結果、お二人が互いに恋心を抱いている可能性は九九・八%以上と推定されます」

「程度を以前と比較しても同じことが言える?」

「比較に使用するデータがありません」

「むむ。そっか。まー、両片思いに裏付けが取れただけで儲け物と思うしかないか。うーん、わたしから見てもあと一押しっぽい感じ。サイカちゃん、作戦立てたいから協力してよ」

「ご用命とあらば」

「かがみ、なんかサイカの使い方熟れてきてない?」


 まぁサイカもちょっと楽しそうにしている気がするし、俺の方から何か言うこともない。

 そういえばかがみは、なぜこんなにも二人の恋に関心を向けているのだろう。


 単なる興味?

 それとも友情?


「わたしはね、どんなことであれ、頑張ってきたことはなるべく報われてほしいんだよね。だから二人っていうよりも、渚の味方かな。あの子、絶対に爽太のこと追っかけてきたでしょ。賛否あるだろうけど、ガッツあるなーと思う」


 なるほど。


 その後、話し合いの結果、作戦が決まったらしい。

 きっかけはサイカの言葉だ。


「少々古典的ですが、ダブルデートなどいかがでしょうか? 片思いをしている人は、周囲の人に恋人が出来たり出来そうだったりすると、自らも焦ったり欲しくなったりするものと聞き及んでいます。雰囲気次第では二人きりになれる時間を作ってしまえばより効果的かと」

「それだ!」


 かがみがパチンと指を鳴らす。


「凡夫、頑張ろうね!」

「あ、はい」


 なんか決まっちゃったみたいだけど、それって俺とかがみがカップル設定じゃないの?

 大丈夫?

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