【三】私が歩き出すまでのお話

17 離婚

 わたしは夫とすぐに離婚できた。


 暴力、精神的不一致、子どもができない……最も大きな原因は、わたしの足が傷つけられたということだ。パパは激怒して、慰謝料の請求を行った。ママはさらに人権団体にも訴え、元夫の社会的地位の剥奪工作を行った。そして、それらはすべて成功した。


 ママは、実家のベッドに横たわるわたしにむかって謝った。

「紅玉、ごめんなさい。まさかあの人があんな人間だったなんて……結婚をすすめたりして、本当に悪かったわ」


「いいえ、わたしにもよくないところがあったのよ」

 親から言われるままに結婚して、判断を放棄したのはわたしだ。


「なにいってるの。紅玉は何も悪くないわ……そうそう、ケガが治ったらね、あなたに会わせたい人がいるのよ」

 

「えっ、誰? まだ何かあるの?」

 わたしはてっきり、弁護士との間でさらにやりとりが必要なのかと思った。


「学者さんなんだけどね。こういう人ならいいんじゃないかしら? 大人しそうだし」

「まさか、再婚しろっての?」


「あなたを助けてくれた、あの人。馬君武さんね。とってもいい人だけど、お父様から勘当されたってきいたわよ。バイトしながら音楽をやってるとか……そんな人だと不安でしょ」


 君武を勝手に値踏みしないでほしい……そのことが無性に腹正しかった。


「今すぐにとは言わないわ。ただ、いつまでも独身でいられるものでもないでしょう。だってあなた、まだ子どもを一人も生んでいないのよ。これから先のことも考えておかないと」


 ママは、子どもを産むのがいかに重要なことか、子育てがどれだけ楽しかったか、などをべらべらしゃべりはじめた。

 わたしはまだ足が治っていない。しばらくは車椅子生活だ。


 足が治ってそして? わたしはまた足を小さく縛って、男性に供さなければならないの?


「あのね、ママ……わたし、足をほどこうと思うんだ」

「え?」

 ママが、わたしを信じられないという目で見た。


「通ってる病院のお医者さんがね、これ以上足に負担をかけないためにも、纏足をほどいたほうがいいっていってるの」

 あの時、わたしは君武に頼んで、以前カウンセリングを受けていた年配の女医のところへ連れて行ったもらったのだ。


「その人、自然足派の人なの。纏足の上手なほどき方を研究してるのよ」

「自然足派? あの病院にそんないかがわしい人がいたの?」


「だって、わたしケガをしてるのよ。足の布をゆるめて、大き目の靴をはいたほうが、血行がよくなって治療の予後がいいって……」

「――いけません!」

 ママはぴしゃりといった。


「纏足をほどくですって? そんなくらいなら、生涯寝たきりになったほうがマシよ。ええ、そうしなさい。あなたは高貴な生まれなんだから、自分で歩く必要なんてないのよ」

「ママは昔、歩けなくなったら困るって、わたしをムチでぶったよね?」

「それは……そうだけど……纏足しないなんてありえないわ!」


「どうして?」

 わたしが昔から何度も問いかけてきた質問。

 ママはそのたびごとにいろいろなことをいった。マナーだから。身だしなみだから。おしゃれだから。無人島に生きてるんじゃないんだから。みっともない格好しちゃいけないから。女だから――どうして女の子は纏足しなきゃいけないの? そういうものなのよ。女は我慢しなきゃいけないの。美しさのためよ……そしてわたしが最もききたかった質問。


「もしわたしが纏足しなくても、ママはわたしを愛してくれる?」

「だ、だめっ! そんなの、許せない!」

 ママは間髪入れずに答えた。


 ――許せない。

 わたしは足を折って痛みに耐えながら小さい靴で優雅に歩く。食べたくもない物を食べて、毎日せっせと太る。髪を長く伸ばして手入れをして、編み込んだり飾りをつけたりする。顔にいろいろとクリームや粉をつけて、頬と唇を赤くぬる。わたしはすべてあなた方の望む通りにふるまっているわ。だから、ほらわたしを愛してよ。


 わたしは必死に自分を飾り立てている。もしそこに何もしていない女が現れたらどなるだろう。


 わたしは中学生のとき、さいしょ仿蘭を嫌悪した。あんなみっともない子にはなりたくない、って思った。わたしは、自分より自由な者に嫉妬していたのかもしれない。ママもそうなの? わたしに美しい服を与え、化粧させて、足を縛る――いい結婚をしていい家庭を築くように。それはわたしを支配するためだったの?


「わたしの足をどうするかは、わたしが決めるわ。結婚も同じよ」

「紅玉……」

 ママは、唇をぶるぶるふるわせた。そしてこわばった顔のまま、ドアを荒々しくしめて、部屋から出ていった。


 わたしは足の布を巻きなおした。ちょっとずつ布をゆるめていこう。もう、こんなに固く足を縛る必要はないのだから――もう、わが身を傷つけて誰かに愛を乞うことはしない――わたしは、ちょっと涙がにじんできた。そして「さよなら、ママ」とつぶやいた。

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