7 マネキン野郎

 ――駅から地下鉄に乗る。


 だいぶん歩いたんで、足がふらふらしてる。無理しないで座ろう……運よく座れたけど、車内には後から後から人が乗り込んできた。


 しばらくすると、どこかで男性の大声がした。わけのわからないことをわめいている。こっちに声が近づいてくる……うわ、やだな。別の車両にいく? でも、足がじんじん痛いし。その人が、すぐ近くまでやってきた。


 おじさんは、あから顔をして酔っぱらっているみたいだった。そして、わたしの足に目をとめた。


「おい、おまえ。纏足してないのか?」

「え……」

「それ、纏足じゃないだろう。小靴に見せかけてるけど、まがいもんだ。そうだろう?」

 そうだけど、だからってそれが……。


「纏足しない女なんて、ろくでもねえ。ラクすることばかり考えてるアバズレだ――ほら、靴をぬげよ。おれが縛ってやるから」


 おじさんはしゃがみこんで、わたしの足首をぐっとつかんだ。

「ひ、ひっ……」


「やめなさいっ!」

 わたしのすぐ近くに立っていたきれいなお姉さんが、おじさんの頭に思いっきりハンドバッグをふりおろした。ものすごい音がした。


「いってーな……なんだ畜生」

「いやらしいわね、この変質者!」


「おれは、この娘に教育してやろうとしただけだよ」

「とっとと消え失せなさい!」

「なんだよ、女のくせに?」


 そのおじさんは立ち上がって、お姉さんをこづいた。お姉さんはぐらっとよろめいて――当然、彼女も纏足をしている――バランスを崩して倒れそうになった。彼女は一瞬ひるんだけど、近くの人に「警備員を呼んで!」と頼んでいる。


 坊主頭の強そうな男性が「やめろ、このマネキン野郎!」と、わって入ってくれた。


 他の人たちも「子どもに何をするんだ、恥知らずめ!」「どうせ、マネキンの足ばっかり集めてるようなモテない男だよ。女一人かつげやしないくせにさ!」と非難しだした。


「な、なんだよ。おれはただ……」

 おじさんは、その声にひるんだようで、おろおろしだした。 


「――だ、だってこいつは纏足してないんだぞ!」


 わたしの足に視線が一斉にそそがれた……ような気がした。


「ほら、この大足を見ろ! 男みたいにどこへでも出かけて、なんでもするってことだろ? 何が起こっても平気だってことだろ? 男に声をかけられようがへっちゃら なんだ。纏足しないってことは、そうだってことだろ? だから、おれはそうしたんだよ。この大足女が悪いんだ。おまえが纏足もせずにふらふら歩いているからだ。纏足してないおまえが悪いんだ!」


 ――そのとき、ちょうど電車が止まった。


「バカ、おまえが変態なのが悪いんだ!」

「こいつ、頭おかしいぞ」


 坊主頭の人と、近くにいた男性が、二人がかりでおじさんをひきずりおろした。ちょうど警備員の人がホームで待ち構えていて、おじさんはすぐに捕まえられた。わたしも、お姉さんにうながされて電車をおりる。


「ねえ、平気? 一緒にいきましょ。被害届を出さなくちゃ」

「あの、わたし……わたし……すみません!」


 わたしは慣れないハイヒールで床をがんがん蹴って、一目散に駆け出した。

 ――こんなにも早く走れるなんて、自分でもびっくりだ。


 でも、痛い、痛い、痛い! かかとがものすごく痛い。どうして? わたしは、明るいショッピングモールのトイレに入った。ここまでくれば、警備員の人も追ってこないだろう……いや、わたしは被害者なんだけど……。


 ――だけど、纏足はいつまでもわたしを追ってくる。


 わかってる。わかってた。纏足しないと就職で不利、ってこういうことだ。それは男子がドレッドヘアーをして面接にのぞむようなものだ。


 ちゃんとしてない。アバズレ。ラクすることばかり考えてる。努力してない。不品行な女。そういわれちゃう。


 パパとママは、それが心配なんだ。わたしには幸せになってほしいんだ。わかってる。わかってるけど。


 とんでもなく足が痛い。それに、なんだか頭もガンガンしてくる。

 ハイヒールをぬいでみると……あれ? この靴の中敷きの色って、こんなのだったっけ。牛柄模様?……じゃない!


 それはわたしの血の色だった。

 カカトとつま先の皮膚がやぶけて、血がじんわりとにじみ出ている……痛い。こんなに痛いのに。それでも、ハイヒールじゃダメなの? 纏足しなきゃダメ?


 わたしは纏足がこわい。いや。痛そう――でも、纏足はステキ。憧れる。小靴は美しい。手作りの小靴を作ってみたい。


 もしわたしが纏足をしたら、こんな目に遭わなくてもすむのかも。自信が持てるかも。あのお姉さんのようにしゃんとしていられるかも……。


「――わたし、纏足しないよ。だって、する必要ないもの」

 わたしは急に、仿蘭の言葉を思い出した。


 まっすぐな瞳でそういった仿蘭。わたしは彼女の瞳がまぶしすぎて、まともに見ていられなかった。


 なんで仿蘭なんかと話をしてしまったんだろう。もしもあの子がいじわるでイヤな子だったら、わたしも迷わなかったのに。纏足するのが正しいことだって信じられたのに。


 ねえ、なんでそんなに強くいられるの。わたしには無理だよ。


 誰からも愛されなくなって。カフェで良い席に座れなくなって。酔っぱらいからからまれて……。


 ああ、やっとわかった。わたしがとっても恐れてたこと。そうじゃないといいなって思ってたけど、気づかないふりをしていた、そのこと。


 ――わたしはからっぽだ。


 わたしは仿蘭じゃない。纏足しないでどうしたいのか、何もわからない。しかもわたしの足は大きく醜く汚れててどうしようもない。だったら、せめて足でも縛るしかないじゃない。こんな世界で纏足しないで生きるなんて……こわい。


 わたしは血まみれの足を引きずって、家に帰った。そして、リビングにいたママとパパにいった。


「わたし、纏足するよ」

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