第16話 兄妹と予言

 シルビアはセオディア・メレ・エトゥールの執務室を訪れた。

 最近はシルビアがアイリと共に現れると、戸口の専属護衛がすぐに通してくれた。言わば、『顔パス』状態だった。

「カイル殿の様子は?」

「相変わらず眠ったままです。それよりファーレンシア様があまり食事をおとりにならず、そちらの方が心配でして……」

「やれやれ、世話がやける……」

 セオディアはファーレンシアの侍女に、ファーレンシアの食事をカイルの部屋に用意するようにと命じた。執務を中断してシルビアと共にカイルの部屋に向かう。

 途中、彼はシルビアの肩にウールヴェがいるのを見て微笑んだ。

「よくなついているようだ」

「ウールヴェですか?はい、最近はどこにでもついてきますね。よく食べるので、戸惑とまどいますが」

「際限がないので、控えめにしてかまわない」

「そうですか。少し控えます」

「ウールヴェは森まで喰らい尽くすからな」

 シルビアはセオディアの冗談に少し笑った。


 二人がカイルの部屋に入ると、ファーレンシアは眠り続けるカイルの傍らの椅子にいた。侍女達がテーブルと椅子を用意し、食事の準備を始める。

「ファーレンシア」

 兄の呼びかけに返事はない。

 少女はこの間の件からセオディア・メレ・エトゥールと口を聞こうとしなかった。シルビアは初めて見る兄妹の対立に気をもんだ。

「ファーレンシア、食事をしなさい」

 少女はその言葉を無視するかのように寝台のかたわらから動かなかった。だが、そんなことはメレ・エトゥールの予想の範疇はんちゅうだったらしい。

「ファーレンシア、食事をしないならばカイル殿の部屋の出入りを禁じるが?」

「――!」

 兄の脅迫に少女は即座に立ち上がると、侍女のマリカの用意した食事の席についた。

 そこへ追い討ちがかかる。

「ファーレンシア、残しても同様の処置を取る」

 きっ、と少女は自分の兄をにらんだ。目が赤いのは、泣いてたからに違いない。ファーレンシアは大きく息をつくと、侍女の用意した食事をゆっくりと取り出した。

「……お見事です」

「あとはまかせていいだろうか」

「はい、お手数をおかけしました」

「それはこちらの台詞だ。ああ、午後にお時間があるならウールヴェの使役しえきについてお教えしよう」

「ありがとうございます。ぜひお願いします」

 セオディア・メレ・エトゥールは立ち去った。

 シルビアはファーレンシアが食事を取ったことに安堵あんどした。カイルより少女の心労の方が不安な要素だったのだ。侍女のマリカを振り返った。

「私の食事もここに用意していただけますか?」

 マリカは、ほっとしたように頷いた。


「あの……シルビア様」

 ファーレンシアが食事をしながらためらいつつ切り出した。

「おききしたいことがあります」

「なんでしょう?」

「カイル様は、戻られると自由を失うのですか?」

 ああ、あの時カイルとうっかりかわした会話を気に病んでいたのか、とシルビアは気づいた。

「わかりません」

 シルビアは正直に答えた。

「これだけの違反は前例がありませんから、何とも言えないのです」

「そうですか……」

「ファーレンシア様がお気になさることはありませんよ。彼自身の選択ですから」

「……でも」

「多分、私達の世界よりエトゥールの方が彼にとって魅力的なのでしょうね。何にも縛られず彼の人生は彼が決める、それでいいような気がしてきたのです」

「……」

「それより、カイルが目を覚ました時に、手伝っていただきたいので、ファーレンシア様も体力を温存してください。睡眠と食事は看護の基本ですよ。この調子ならお手伝いをお願いするのを断念します」

「そんな……兄のような脅迫はやめてくださいませ」

「脅迫が有効手段に思えましたから」

「……反省します」

「メレ・エトゥールはさすが妹君いもうとぎみのことをよくわかっていらっしゃいますね。説得がお上手です」

「……そうではないのです」

「え?」

「あの兄はやると言ったら本当にやるのです。鬼です。鬼畜です。しかも一番の弱点を的確についてくるのです」

「……鬼畜?」

「あそこで従わなければ、私は一生カイル様の部屋を出禁できんにされたでしょう。本当にやるのです。シルビア様もお気をつけください」

 その鬼畜に協力を約束をしてしまった。早まっただろうか。


 セオディア・メレ・エトゥールがウールヴェの使役しえきについて教えるという約束は守られ、午後に二人は中庭の東屋あずまやでおちあった。

 専属護衛達はやや離れて警護につき、会話が聞かれる心配はなかった。内密の話題を予想した配慮かもしれない。

 侍女達がお茶と焼き菓子を用意し終わり立ち去った。傍目はためには、長閑のどかなお茶会だった。

 セオディアは自分用に新しいウールヴェを調達していた。

 小さな生物にアイリが用意した菓子を与える。しばらくして彼は手の平にウールヴェをのせ、シルビアの目の前に差し出した。


 彼の手の上のウールヴェは姿を消した。

 ――え?

 次の瞬間、シルビアの右肩に自分のではないウールヴェが乗った。

 ――え?

「ええええ?!!」

 シルビアは大混乱におちいった。


 今、この小さな生物は短い距離とはいえ、確かに瞬間移動テレポートをした。

「こ、この瞬間移動は貴方の能力ですか?!ウールヴェの能力ですか?」

「さあ?」

「さあ――って……」

『冷静なシルビア嬢が慌てる様は面白い』

「!!!!!」

 完璧な精神感応テレパスだった。ディム・トゥーラやカイル・リードに匹敵する。シルビアには近距離の精神感応能力しかない。しかも相手が強力な精神感応者であることが条件になる。

――待って、待って、待って。何から突っ込めばいいの?

 シルビアは両手で顔を覆って息を整えた。能天気に寝ているカイルをたたき起こしたい衝動にかられた。

 セオディアはそんなシルビアの反応に笑いを噛み殺しているようだった。

 一つ一つ疑問をつぶしていくしかない。質疑応答の基本だ。シルビアは必死に頭を整理した。

「ウールヴェは思念――考えを伝達できるのですか?」

「できるが、誰にでもできることではない。ほとんどの人はウールヴェを使いこなせない」

 セオディアは自分のウールヴェを呼び戻した。彼のウールヴェは素直に彼の肩へと戻った。

「まず、絆を作るのが難しい。だがシルビア嬢はすでにできている」

「私がですか?」

「ウールヴェが逃げ出していないだろう?」

「それは餌付えづけしているから当たり前ではありませんか?」

 セオディアは首をふる。

「自由気ままな生物だ。絆がなければ姿を消す」

「それほど難しいことだと?」

「簡単だとウールヴェを使った諜報ちょうほう天国になると思わないか?」

「……確かに」

「加護の強さもウールヴェの使役に影響する」

 セオディアのウールヴェは主人の指に無邪気にじゃれている。

「あと、ファーレンシアは相性がいい子が手にのると説明していたが、実際は違う。一度に使役できる数なのだ」

 シルビアははっとした。カイルだけ腕がウールヴェにまみれたことを思い出した。

「貴方はカイルを試したのですか?」

「どちらかというと、貴女達二人を――が正しい。精霊の加護があるか知りたかった」

「私達には『精霊の加護』が理解できないのですが、『加護』とはなんです?『能力者』という意味ですか?」

「我々にはむしろ『能力者』が理解できない」

 どう説明したものか、とシルビアは言葉を探した。

「私達の世界では、個人的に特殊な能力を持つ者が多いのです。ウールヴェを使わなくても遠方の会話ができたり、意思の力で物を動かせたり、自身を瞬間的に移動させたり、身体能力が飛び抜けていたり様々です」

「ほお」

 セオディアは目を細めた。

「貴女は治癒師だ」

「正しくは治療の知識を豊富に持っているで、特に秀でた能力ではありません」

 シルビアは告げた。 

「そういう意味ではカイルの能力は、私達の中でも異質かもしれません。ただ言語習得などの学習能力に秀でているのは共通です。私達の位置付けは学者に近いかもしれません」

「賢者であるメレ・アイフェスにふさわしい」

「加護とはなんです?」

「言葉の通り守護だ。精霊が守り助ける」

「…………では『精霊』とは?」

「世界の番人という表現が近いかもしれない。世界の秩序を守る存在だ」

「……番人……姿形すがたかたちは?」

「ない」



 実体はない存在……カイルの言った通り理解しがたいものだった。

姿形すがたかたちのないものが存在すると、どう証明されているのでしょうか?……すみません、我々の概念にない存在でして理解ができないのですが……」

「では姿形すがたかたちのあるものを呼ぼうか?」

「え?」

 セオディア・メレ・エトゥールは立ち上がり、東屋あずまやから中庭に降りたつと右手を上げた。

 どこからか羽音が聞こえた。

 鳥。赤い鷹だ。あれはカイルが言っていた精霊獣せいれいじゅうではないだろうか。見たいと言ったら、彼は露骨ろこつに嫌がったが。

 赤い鷹がするりと彼の腕に舞い降りる。

 それはまるで一枚の絵のような光景だった。青い髪の領主が緑豊かな庭で、腕に赤い鷹を従えている。祝福するかのように太陽の光がそこに降り注ぐのだ。なんと美しいのだろう。

 シルビアはその光景に見とれた。

「エトゥールを守護すると言われる精霊鷹だ」

「……呼べるのですか」

「もちろん。貴女に理解してもらうためにと言えば、応じてくれた」

「カイルが言っていた精霊獣せいれいじゅうの一種ですね?精霊獣せいれいじゅうは知性があるというのですか?」

「間違いなくある。ついでに言うと、カイル殿があまりにも毛嫌いするから、嫌がらせでつきまとい認知にんちさせようとしているようだ」

「……」

 それは人間並に知性と感情があるということではないだろうか。

「うちの馬鹿な子が失礼いたしました。代わっておび申し上げます」

 謝罪とともにシルビアは精霊鷹に頭を深々と下げる。

 赤い鷹は高い声で鳴いた。なんとなく謝罪を受け入れてもらえたような気がした。

「貴女の方が、カイル殿よりはるかに頭が柔軟なようだ」

 セオディアは精霊鷹を空に放った。鷹は城の上空を滑空かっくうすると再び東屋あずまやに戻りその屋根にとまった。

「我々エトゥールの王族は、古来より精霊の言葉をきく能力に秀でている。その最たるものがファーレンシアだ」

「ファーレンシア様が?」

「あの子は幼い頃から先見さきみの能力があった。精霊の言葉も聞ける。それで災厄さいやくを免れることもある。カイル殿の来訪もファーレンシアが予知した」

「――」

 未来予測はシルビアの世界でもあるので、不可能なことではない。エトゥールの妹姫は予知能力を持っている、とシルビアは理解した。

「カイルについてはなんと予言されたのですか?」

「『今夜、聖堂せいどうに救い手が現れる』」

 シルビアはため息をついた。

「私達の世界では、カイルが消えて大騒ぎだったのですが」

「それは悪いことをした」

 セオディアは謝罪したが、言葉と表情が伴っていない。彼は少し笑っていた。

 あのとき生体反応バイタルを追跡していたシルビアとしては、心的外傷トラウマレベルだったので恨めしい。

「カイルをエトゥールに連れてきたのは『精霊』ですか?」

「我々はそう信じている」

「なんのため?」

「エトゥールを救うため」

救済きゅうさいの定義がよくわかりません。過去にも戦争や災害はあったのではありませんか?なぜ、今に限って、救い手をほっするのです?」

「――」

 シルビアの質問にセオディアは口を覆って笑いを漏らした。

「本当に貴女は賢いな」

「意味がわかりません」

「ここだけの話にしてほしい」

 セオディアは身をわずかに乗り出した。

「ファーレンシアがエトゥールの大災厄だいさいやくを予知している。エトゥールは滅びるらしい」

「――」


 予想外の話にシルビアは言葉を失った。

「それを回避するために、我々は救い手を欲した」

「――滅びるのは戦争で、ですか?」

「わからない」

 セオディアは手元のウールヴェをもてあそびながら答えた。

「大災厄が戦争なのか、自然災害なのか、疫病なのか、まだそこまでは見えないらしい。あるのは精霊の警告だけだ」

「……カイルの言っていた悪意のある存在のことでしょうか?」

「それもわからない。だが、メレ・アイフェスのあのときの言葉は、我々は驚いた。彼に先見の能力は?」

「ない……はずですが……」

 シルビアは自信がなくなってきた。

「我々は大災厄に繋がる芽を摘み取らねばならなかった。隣国との戦争、西の民との和議の件、カイル殿とシルビア嬢には感謝しかないのはそういうわけだ」

「ファーレンシア様の予知がはずれたことは?」

「ない」

「そんな重要なことを私達に告げてよろしいのですか?」

「信頼のあかしと思っていただいてよい」

 シルビアは視線を落とした。この後ろめたさはなんだろう。

「……私達は迎えがくれば帰る身です」

「わかっている。今までのことで十分だ」

 セオディアはそこで話を切り替えた。

「さて、使役しえきの練習をしてみようか」



 ウールヴェを念話の中継点とすることはたいして難しくなかった。もともとシルビアにも精神感応能力があったからだ。

――思念を強化する感じかしらね……

 ウールヴェには思念を増強する触媒効果があるのかもしれない。

 だがウールヴェを移動させることはできなかった。

「命じるだけ」とセオディアは言うが、全く動かない。

「アイリのところに行って」と少し離れた場所に立っているアイリを目標にしたが、ウールヴェは全く反応はなかった。

 1時間がすぎ、シルビアは音をあげた。

「私には才能がないのでしょうか?」

「そんなことはないが、シルビア嬢は命令慣れしていないのでは?」

「確かに慣れてはいませんが……」

 命令、命令――最近の命令はカイルに二週間の療養を宣言した時だ。「療養期間を二週間。仕事は禁止」と命令したとき、カイルは情けない顔をしたものだが……。

『アイリのところに行きなさい。さもなくばお菓子は禁止にしますよ』

 ウールヴェは消え、離れたアイリから驚きの声があがった。

 彼女は突然現れたウールヴェに慌てたようだが、東屋の二人の視線に、移動してきたウールヴェの理由を察したようだ。

「できたではないか」

「……え、ええ」

 命令口調がきいたのかお菓子禁止の恐喝きょうかつがきいたのかは謎だが、その件は恥ずかしくて言えなかった。

 お菓子をやりすぎた、とシルビアは深く反省した。この子の食い意地は矯正しよう。

 加護と命令口調で使役しえきできるなら、イーレやディム・トゥーラは百匹くらい使役しえきできそうだ。

 ふと、疑問がわいた。

「メレ・エトゥールはどのくらいの数を使役しえきできるのですか?」

「上限は試したことはないが、機会があれば試してみよう」

「ぜひ」

 思考が研究者のものになっていたが、シルビアには自覚はなかった。


 メレ・エトゥールと別れて部屋に戻ったシルビアは、このわずかな時間でえた情報を整理した。カイルやディムにどう伝えたらいいだろう。

 この世界には、『精霊』という非物質な存在があり、番人として星を守っている。カイルを地上に呼んだ張本人だ。

 人を一人、衛星軌道上から転移させるエネルギーを行使できる存在で、観測ステーションの様々な探索機械シーカーが壊れたのも、彼らの仕業と考えられる。当然、カイルの帰還を阻止するため移動装置ポータルを壊した。

 ここまでは現状と一致する。

 大災厄の救い手として、カイルが選ばれたと言う。そこで疑問が生じる。なぜカイルだったのだろう。

 また、ウールヴェという不思議な生物もまだまだ謎だらけだ。多少の精神感応の才があれば使役できるのかもしれない。

 使役できる数は何に比例するか?思念エネルギーの大小ではないだろうか?


――ウールヴェは思念エネルギーを好むのかもしれない。だから桁違いの能力を持つカイルに群がったなどあって……

 その仮説をたてたとき、シルビアは重大な見落としに気づき部屋をとびだした。

 通りすがりの侍女達皆が驚く中、シルビアは廊下を走り、カイルの部屋にたどりつくと中に飛び込んだ。


 中にいたファーレンシアとマリカが、息を切らしたシルビアの出現に驚く。

「シルビア様、どうされましたか?」

「……………………」


――ああ、遅かった。


 眠っているカイルの枕元にいるウールヴェは大きく成長していた。

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