第2章 精霊の御使

第3話 再会

 何が起こった?

 さっきまで、窓際で外を眺めていた記憶はある。

 空調調節のきいてない冷えた空気と微妙な匂い。衝撃で尻餅しりもちをついた床は、石材で冷たさと硬さが伝わってくる。だがありえない。

 観測ステーションの個室コンパートメントの床は、断熱と保温を兼ね備えた高品質な特殊クッション材だ。


 あたりはやや薄暗く、視野調整が必要だった。カイルはようやく一人ではないことに気づいた。

 つい今しがた、描いていた肖像画のモデルである少女が少し離れた場所に立っていた。その横に見知らぬ背の高い青年がいる。

 少女と同じ青い髪の色と翠の瞳は、近い血族であることを示している。高窓から入る満月の光が二人を映し出している。


 絵のように美しい――。


 完成された一枚の絵だ。

 場違いなのは、冷たい石床に無様に尻餅をついている自分だとカイルは思った。


「カイル様……ですよね」

 少女が声をかけてくる。精神感応テレパスではない、紛れもない肉声だ。カイルは自分の両手を見た。精神飛行中ではない証拠に肉体がこの場にあった。

「君、確かあのときに会った……」

 少女は、はにかむように頷いた。

「覚えていてくださいましたか」


 すみません、さっきまで勝手に肖像画を描いていました、とカイルは内心で謝った。

 恐る恐るあたりを見回す。

 石材と色ガラスで構成された建築物の中だった。高い天井と石柱は彫刻が彫られており美しく、いくつかの木製の長椅子が均等に配置されている。大人数が収容できそうな、かなりの広さがあった。

 高窓と目に入るのは彩色が施されたステンドグラスの大きな窓だった。光源が、少女の持つ角灯と窓から差し込まれた月明りだけだと考えると、不思議と明るく感じる。ただ室温調整がなく、寒いのが難だった。

 座り込んだまま、カイルは近づいてきた少女を見上げた。


「……これは夢?」

「いいえ」

 あの時と同じように少女は優雅に一礼して微笑んだ。

「またお会いできて光栄です」

「ファーレンシア、客人をこちらへ」

「はい、お兄様」


 少女はカイルに手をさしのべ、助け起こした。幻でない証拠に、しっかりとカイルの手は握られた。

 カイルが立ち上がると青年が歩き出して、扉をあけて二人を別の部屋に誘導する。青年は少女の兄らしい。

 案内された隣の部屋は、華美ではないが整っており、暖炉に火がともっている。その暖かさにほっとすると同時に、現実がじわじわと迫ってくる。

 温かさを感じる感覚があるということは、間違いなく肉体を伴ってここにいる。その異常な事実を突きつけられる。


――夢ではない。どうしてこうなった?

 カイルの探す答えは、どこにもなかった。


******


 多人数で食事ができそうな大きな卓前の椅子にカイルは勧められるまま座った。対面に青年が腰を下ろし、少女はその脇に立った。外見上青年は二十代半ばぐらいに見えた。妹である少女と十歳ぐらいは年齢の差がありそうだった。

 話を切り出したのは青年からだった。

「私はセオディア・メレ・エトゥール。この地を納めているものだ。ここにいるファーレンシアの兄でもある」

 いくつかの事柄ことがらがパズルピースのようにはまった。ファーレンシアが語った「若き領主」とは彼女の兄のことだったのか。そしてこの場所は、先日、探索をした惑星の地上領域であった。

 しかも青年の言葉は少女の時と同様に理解できる。この男も精神感応能力を持つ人物なのだろうか?そういえば、彼女は一族特有の能力だと言っていた。

「貴方は『精霊の御使みつかい』か?」


 はい?


「――意味がわからない」

 カイルは率直に答えた。

「……」

「……」

 気まずい沈黙が流れた。

「いくつかの事実を確認したい」

 若き領主は、気を取り直したように正面からカイルを見据みすえた。

「妹が二週間ほど前に『精霊樹せいれいじゅ』で会ったと言っていた」

「『精霊樹せいれいじゅ』?」

「初めてお会いした巨木きょぼくのことです。ここからも見えますわ」

 少女が示した窓から、月光の中に浮かび上がる見覚えのある大樹たいじゅが見えた。

「……ああ、あの時の……」

「はい」

「鳥の姿で移動してきたと彼女は言うが」

「……まあ、あの時は」

「国の守護の象徴である赤い『精霊鷹』の姿で」


 はい?


「城下でも目撃した者が多数いて、知らぬものはいない。貴方は『精霊鷹』でこの地を訪れたのか?」


 やっちまったぁぁぁぁ――カイルは青ざめた。


 子供が素体を、はしゃぐように追いかけてきたのも、それをからかうように旋回せんかいしたのもはっきりと記憶していた。

 吉兆きっちょうのシンボルの生物が出現すれば、当然の反応だ。

 思いもよらぬ自分の失態をつきつけられ、カイルは冷や汗を感じた。自分が気楽に同調した鳥は、この世界での神聖な象徴だったに違いない。これ以上、目立つ行為はないだろう。

「……自分がどの鳥の姿をしてここを訪れたのはわからない」

 これは事実だった。はるか上空からの視認で同調する素体を選んだからだ。

「だが、鳥の姿できた」

「……それは認める」

「貴方はこの地を救うために降り立ったのではないのか?今、またこうして姿を現している。私もその瞬間を目撃した。妹の予言通りに、この聖堂内にまばゆい光とともに――」

「――待ってくれ!」

 カイルは青年の言葉をさえぎった。片手で顔を覆う。状況を整理しなければならない。

「話が半分も理解できないんだっ!逆にいくつか確認させてくれ。……ここは地上?」

 何を当たり前のことをという表情を青年は浮かべたが、理解を示したのは少女だった。

「そうです。エトゥールの地です」

「……予言ってなに?」

「今夜この場所に救い手がくると」

「……誰が言ったの?」

「『精霊』がお告げになりました」


 だからその『精霊』って何⁈ カイルは心の中で絶叫した。


「……君達が僕を『ここに』よんだの?」

 目の前の兄妹は顔を見合わせた。

「我々にそんな能力はない」

 話がここでみ合わない。

 だが、その力はどこかにあるのだ。衛星軌道上の狙った個体を強制瞬間移動テレポートするほどの力が。

 その得体のしれない力にカイルはぞっとした。

 彼の脳裏に「惑星探査プロジェクト終了」の垂幕たれまくがよぎった。


「カイル様?」

「……僕は救い手ではない。『精霊』とやらも無関係だ」

「だが貴方あなたは、ここにこうして現れたではないか」

――いや、それは僕にもわかりませんっ!こっちが聞きたいっ!

 カイルはその叫びを押し殺し、冷静であることにつとめた。

「何かの間違いだ。僕はここにいてはいけない存在だ。先日ここに降りたことで罰を受ける身なんだ」

 その言葉に、はっとしたように少女は顔をあげた。

「先日、私が話かけたせいでしょうか?」


 鋭い。


「いや、うん、まあ……」

 カイルの返答はやや歯切れの悪いものになり、少女に追い討ちをかけてしまった。泣き出しそうになる少女に青年が慰めの言葉をかける。

 最高に居心地いごこちが悪かった。


「……話だけはきいているが、僕は北の進軍も南東の水害も力にはなれない」

「北⁉」

 青年は顔色を変えて立ちあがった。

斥候せっこうからはなんの情報もないが、北だと⁉」

 青年の反応にカイルはファーレンシアを見たが、彼女はふるふると首を振った。

「私にはわかりませんでした」

 二人が欲する一番の救いは何か?

 カイルはこの場を収める覚悟を決めた。

「……何か、かくものを」

 青年はすぐに動き、ドアの向こうに指示をくだした。

「羊皮紙とインクを持ってこい」

 用意された羊皮紙をカイルは卓の上に並べた。彼はペンを取ると一気に書き出した。

 ファーレンシアは察して、すぐに予備の羊皮紙とインク壺を窓際に用意した。青年はカイルの手元から目を離さないが、邪魔もしなかった。時々、少女が作業をしやすいように角灯の位置を調整したり、新しい角灯を用意したりした。

 カイルは自分で光源を作ろうかと思ったが、さらに騒動になるので断念し、作業に没頭した。

 すべてが完成し顔をあげたころには、窓の外が明るくなっていた。

――我ながら大作だな。

 カイルは自画自賛をした。

「……地図か」

 青年が茫然とつぶやく。

「こんな精密な地図は見たことがない」

 その賞賛にカイルの自己満足はさらに満たされた。カイルはほんの数時間前のディム・トウーラの会話記録を思い出しながら語り始めた。

「ここに集団がいる。僕が先日教えてもらった『隣国との争い』に関連している」

 若き領主はその意味を正確に悟った。

「そこは隣国のとりでだ。戦争時には拠点になる」

 ディム・トゥーラの推測は正しかった。

「人が集まりつつある。数は二千くらいだったかな」

 観測ステーションの一日は対象目的の惑星と一致させていたはずだ。

「約十四日前の話だ」

「私とお会いした時ですか?」

 カイルは少女に頷いてみせた。


「クレイ!」

 扉から体格のいい武装した人間が入ってきて、カイルはぎょっとした。この惑星住人の体格の個人差は激しいのだろうか。そんなに身長の低くないカイルが完全に見上げるほどの男だった。2mを越えているのではないだろうか。

「――」

「――」

 青年が厳しい調子で何事かを告げているが、先ほどと違って二人の会話は全く違う音声であり理解できない。

 カイルは翻訳インプラントが作動していることを確認した。翻訳されないのは言語情報のサンプル不足によるものだ。


「……やっぱり会話は君達だけに限定されるんだな」

「そうなのですか?」

「僕の言葉は、君には問題なく通じている?」

「異国の方より、はるかに聞き取りやすいですわ」

 カイルは二人をあごで示した。

「彼らの会話はさっぱりだ」

「……不思議ですわね。精霊の加護の有無でしょうか?」

 また『精霊』――全く理解できないキーワードだった。

 兵士らしき人物が立ち去り、青年はカイルに向き直った。

「カイル殿。その地図をお貸し願えないだろうか?敵の侵入をはばむ最大の武器だ」

 この若い領主は頭がいい。この時代に欠けていて持ちえない、『情報』が武器になることを理解している。

 責任と重圧を背負っている目。

 ――こういう目は嫌いじゃないんだけどな……。

「地上への干渉は禁じられているんだ」

 建前上の理由を述べたが、セオディアは引き下がらなかった。

「地上への公平さを欠くことは理解できる。『精霊』は人にくみしない。『精霊の御使みつかい』である貴殿もそうであろう。だが、昔より隣国の侵入は頻繁ひんぱんで犠牲も多大だ。掠奪りゃくだつ虐殺ぎゃくさつ――私はエトゥールのたみを守りたい」


 ……ですよね。

 カイルはため息をついた。

『カイル様』

 そっとファーレンシアは思念を飛ばしてきた。

『どうか、エトゥールのたみにご慈悲じひを』


 いやいや、職場の解雇クビが確定している身としては、慈悲じひが欲しいのはこっちだ。カイルは心の中でなげいた。

 先の先まで考えて立ち回る必要があるのだ。『精霊』うんぬんの下りはまったく理解できなかったが、勘違いに便乗するのは悪くない。

 カイルは青年をにらみ、威圧いあつした。

「これは禁忌きんきとされている。これを手に入れるには、相当の代価と覚悟が必要だ」

 嘘は言ってない。

 兄妹はその言葉に息を飲んだ。

 セオディア・メレ・エトゥールは一方で理解していた。これが市場にでていたら、大金を積み上げても入手するであろう。等価交換の要求は金か、地位か、それとも妹の身か?

「――代価とは?」


「とりあえず宿泊と3食昼寝ひるね付きで」

「は?」

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