紅茶と雑文記

なしごれん

未来へ


 胸がドキドキしています。こんな感情をいだいたのは初めて男の子を好きになった小学生の時以来です。目の前をピンク色の煙がふわぁっと流れ出ていくような感じです。その時の光景を思い出すと、今でも心臓がばくんばくんと高鳴って、ペンを持つ手が震えます。だから、なるべく一気にこの日記を書き上げたいと思います。いつもならトレーナーさんに見せるまでに五回くらい見直しをするのですが、読み返した時に恥ずかしさが身体中に駆けまわって、明日の練習に支障をきたしかねないので、どうか拙い文章になりますがわたしのこの気持ちを理解して受け止めてください。いや、理解してもらわなくても構わないです。どうせわたしはダンスも歌もヘタクソなチームいちの泣き虫ですから。


 慣れないこの韓国の地で合宿を始めてからもう二週間が経とうとしています。早寝早起きに加え、毎日の過酷なスケジュールは、なまったわたしの身体によく響きました。週明けの二日間は体調を崩して、練習にはほとんど参加できなかったのですが、同じ部屋になったCクラスの仲間(ゆみこさんとみーちゃん)が、優しく励ましてくれて、復帰明けの練習も親身になって教えてくれたこと、今でも感謝しています。

 けれど先週行われた再評価で、わたしは再び体調を崩してしまいました。その結果、評価は最低のFクラス。頑張って練習したテーマ曲のダンスは、トレーナーさんに見られることなく終わりました。クラスが降格になることをプロデューサーさんから聞いた時、わたしは誰もいない宿舎のトイレで泣きました。泣いても泣いても目から涙が溢れて、一向に止まりませんでした。朝から晩まで必死になって練習したこの課題曲を、わたしはみんなの前で踊ることができないのか―その時の感情を例えるなら、頂上の一歩手前で足場が崩れ、深い谷底に突き落とされたような、そんな感じです。わたしは自分のダンスが評価されなかったことよりも、好きだったダンスをみんなの前で披露できないと言うのが堪らなく悔しくて、そして緊張で体調を崩してしまった自分の弱さに苛立って、悲しみと怒りの悪い部分だけを抱きながらすすり泣くことしかできなかったのです。部屋に戻る時鏡を見たら、言い訳のしようがないほどに目元が赤く腫れて、明日の練習に出るのが嫌になりました。

 それから何日か経って、Fクラスの子たちとも大分仲良くなった頃、新たな課題であるグループ評価が発表されました。全ての練習生が大ホールに集まり、くじ引きで決められた練習生が前に呼ばれ、課題曲を記したプラカードを持って立っていました。選ばれた練習生は、席に座るAからFまでの練習生の中で、自分のグループに入れたい子を一人ずつ指名していくのです。テーマ曲でセンターを務めたAクラスの子が真っ先に選ばれ、それからAクラスBクラスと、実力者が次々と選ばれていく中で、Fクラスのわたしや周りの生徒は不安な面持ちでそれを見守っていました。グループ評価が終わった後の第一回投票で、わたしたちは五十位以内に入らなければならず、九十六名もいる練習生の中でFクラスは十三人。歌もダンスも未経験者ばかりのこのクラスから、五十位以内に入る練習生が現れるとは到底思えません。

 けれど、グループ評価にクラスは関係ありません。メンバーの決まったグループは、発表日までにそれぞれの課題曲で練習に励むのです。Aクラスの子もFクラスの子も、皆が平等に目立てるチャンスがあるのです。そしてもし、Aクラスの子や実力のあるメンバーと同じチームになることができれば、その期間だけでも、彼女たちと一緒に練習ができるのです。アーティストのバックダンサーとして舞台の経験のある生徒や、アイドルとしてのキャリのある生徒たちと、私生活を共にすることができるのです。そうすれば日々の練習にもおのずと身が入って、未熟なわたしでも五十位以内に入ることができるのではないだろうかと、そんな期待を心の底に潜めながら、わたしは胸の前で両手を組んで、次々と呼ばれていく練習生の名前に耳をそばだてていました。

 AクラスとBクラスのほとんどの練習生の名が呼ばれていく中で、わたしはせめてCクラスの子のいるチームには入れればと、目を瞑って願っていました。最後まで名前の呼ばれなかった生徒たちは、その子たちでひとつのチームを作らなければならず、そうなるともうデビューへの望みは絶たれたも同然です。そのため上位のクラスではなくても、やる気のあるチームに入ることができればと、その時のわたしは思っていました。

 気が付くと、もうほとんどの生徒がチームごとに整列し、課題曲について話し合いを始めていました。残っているのはDクラスとFクラスの生徒たちで、諦めたように隣の子とおしゃべりを始める生徒や、下唇を噛んで俯いている生徒がちらほら見られました。

 もう呼ばれることはないだろうと諦めかけていた時、私の名前が呼ばれたのです。驚いて頭が真っ白になりました。ほわほわした状態のまま、わたしは呼ばれたチームの名前を確認して、グループの列に並んだ時、再び驚きが胸を打ちました。

 なんと、先頭にAクラスの生徒がいるのです。ウェーブされた髪は肩の前で揺れ、きりっとした横顔は、目尻から鼻にかけて綺麗な線を描いていました。チームの決まった安心から、浮足立つ周りの練習生など見向きもせず、一心にステージに目線を注いでいる。その様子は、わたしが何度もテレビで見たあの凛々しいA子そのものだったのです。

 一年前に解散したCinderella'sは、年末の歌合戦にも出場した国民的グループで、メンバーの五人が歌、ダンス、ルックス、どれをとっても一流のプロのアイドルでした。メインボーカルでリーダーを務めるイブキ。数々の雑誌で表紙を飾るビジュアル担当ササラ。才色兼備のラッパー&ボーカルマリエ。身長173センチ最年長ダンサーのメイコ。そして人気投票第一位、最年少でありながら圧倒的実力でセンターを勝ち取ったA子―そんな彼女が今、わたしの目の前に立っていたのです。

 わたしはびっくりして、ただその場に立ち竦むことしかできませんでした。メンバーの決まったチームは輪になって、それぞれが課題曲やセンター決めの話し合いを始めるなか、わたしだけがふわふわとした状態で放心していました。

 話の内容がまったく頭に入ってきませんでした。A子が口を開くたびに、わたしの身体に緊張が走って、自然と目線が下にいってしまうのです。

 Cinderella'sと言えば、誰もが知っている超スーパーアイドルグループです。国内のアイドルに疎いわたしでも知っているくらいです。そこでセンターを務めたことのある彼女なら、まずデビューは間違いないだろうと、誰もがそう思っているに違いありません。それなのになぜ、彼女がFクラスのわたしをグループに入れてくれたのでしょうか。歌もダンスも未経験で、次の投票で五十位以内も厳しいわたしと、どうして同じチームになってくれたのでしょうか。

 きっと、そこには彼女なりの同情や、困っている練習生の役に立てればという親切心があったのでしょう。

 明日の練習と時間割を確認して解散になり、練習生が次々と部屋から出ていきます。わたしも宿舎に戻ろうと立ち上がった時、A子と目が合いました。

「あっ」と一言だけ声が漏れました。その瞬間、わたしは自分の顔が尋常じゃないくらい赤くなっていくことに気づきました。逃げるように部屋を出て、宿舎の階段を勢いよく駆け上がりました。顔見知りの練習生が「なにごと?」と言った顔つきで笑っていました。自室に戻ってからも胸の高鳴りは治まらず、わたしは毛布をかぶって目を瞑りました。闇の中でも頭はA子でいっぱいです。昔からテレビで見ていたアイドルが側にいる―そう思っただけで、興奮から自然と涙が伝いました。

 彼女と目が合ったあの瞬間、わたしは言葉にできない多幸感が身を包んで、その場に居続けることができませんでした。そして、アイドルとはこの人のためにある言葉なのだと本気で思いました。ファイナルでわたしがメンバーの十一人に選ばれなくとも、彼女のいるグループを一生推していこうと、その時わたしの心の何ものかが、そう叫んだことを覚えています。わたしはこの一時的なグループで、A子やみんなの足を引っ張ってはいけない。Fクラスだから、未経験だからという理由を、できないことの言い訳にしてはいけないと、その時強く感じました。

 だからわたしは、このグループ評価で自分を超えたいと思っています。歌やダンスを速く覚え、スキルを磨き、全体の評価を上げたいと思っています。そして第一回投票で絶対に五十位以内に入ってみせます。長くなりましたが、今日はこの辺で終わりたいと思います。いつも時間ギリギリに提出してすみません。おやすみなさい

 C子


 天気:晴れ 食欲:良い 状態:最高

 今日は新しい課題のチーム編成をしました。

 プロデューサーさんに呼ばれてステージに立ち、自分のチームに入れたい生徒を順番に指名するという、少し残酷なルールでした。初めにAクラスで仲の良かったナノカとミワコ、次に再評価でダンスの上手かったBクラスのオクダさん、それから長身で聞き取りやすい発声をするCクラスのサキノちゃんを入れました。

 あと一人という時に、私の欲しかったCクラスのフジカワさんが他のチームに取られてしまいました。フジカワさんはCクラスとは思えないほど歌もダンスも上手で、私と一つしか変わらないのに大人びた雰囲気を醸していました。チームを作る時彼女だけは絶対に入れようと考えていただけに、この失態は悔やまれました。あと一人…私は残っている生徒を見渡して、どうしようかと悩んでいました。

 その時、Fクラスの一番端にいる生徒と目が合いました。短髪で丸い顔の、動物で例えるならたぬきに似ている子でした。未熟なFクラスの中で、彼女は他の生徒と比べて身長が低いぶん、何か特別なオーラを放っているように見えました。化粧をしていなくてもパッチリとした目つきは、私がまだ駆け出しだった頃にそっくりだったのです。

 名前がわからなかったので隣のナノカに名前を聞き、すぐに彼女を指名しました。呼ばれると思っていなかったのか、彼女はおろおろと後ろに回り、話し合いの時も終始うつむいていました。自分より年上の、しかも上位の生徒たちとコミュニケーションをとることに慣れていないのか、萎縮している様子がこっちにも伝わってきました。近くにいたミワコが積極的に彼女に話を振っていましたが、「はい」とか「そうですね」とか簡単な返事しかしてくれません。心配して話を振ろうとすると、逃げるようにわたしから目線を逸らすのです。こりゃまいった!という感じです。

 それでも、彼女は私たちのグループが話した内容について、丁寧にメモを取ってくれていました。宿舎に帰ってベッドを見ると、一枚のコピー用紙にさっきまで話していた内容がびっしりと、それも綺麗な文字で書かれていました。同部屋の子に尋ねると、ついさっきFクラスのTシャツを着た子が部屋に入ってきたのだと言って笑っていました。随分慌てていたらしく、紙を置くとすぐに別の部屋に行ってしまったというので、お礼を言うことはできませんでした。明日必ず言いたいと思います。

 そう言えば、明日でこの合宿が始まってちょうど二週間が経つことになります。

 最初は何となくフワフワとした気持ちが抜けませんでしたが、トレーナーさんやスタッフの皆さん、そして日々生活する仲間たちと時を過ごすとともに、自然と自分の中であの頃の情景がめらめらと立ち昇ってきます。華やかな装飾に身を包んで、おびただしいスポットライト浴びながら、イヤモニから漏れる歓声に奮い立ち、大量の汗を流しながら歌って踊るあの舞台を……

 だから、私はこの九十六人の中で一番になって、もう一度アイドルとしてステージに立つ。絶対に立ちたいと思っています。そのために今回のこのグループ評価で優勝して、第一回投票で必ず一位を獲って見せます。

 それではおやすみなさい

 A子

 第一回順位発表が終わってからも、わたしは毎日テーマ曲の歌とダンスを欠かさず練習しました。次の合宿まで三週間ほど時間が空いたので、その期間を使って初めてダンス教室に行きました。講師の先生はわたしをテレビで見たと言って大いに歓迎してくれましたが、いざ練習が始まると「きみ、それでデビューできるとでも?」といった表情で苦笑いしていました。わたしの弱点でもあるプロポーションの悪さと身体の硬さ、前者はどうすることもできませんが、後者はレッスンをするにつれ、だんだんと改善されてきました。

 ダンスのレッスンに加えて、ボーカルの練習も欠かしませんでした。歌はレッスン料がハネ上がるので、悩んだ挙句カラオケで自主トレに励むことにしました。前にトレーナーさんから言われた「C子は低音が良いから」という言葉を信じて、男性ボーカルの曲を二三曲仕上げました。ビブラートやこぶしなど、聴く人を引きつける歌い方は魅力的ですが、アイドルはなるべくみんなと合わせることを意識した方がいいと思って、癖の出ない歌い方を心がけました。

 二回目の合宿が始まった今日、久しぶりにトレーナーさんや練習生のみんなと会えてうれしかったです。前回の韓国と違い、今回の合宿は熱海で二週間と、心なし安心できる環境での練習だったので、以前よりかはのびのびとした自分を出せるような気がします。三人部屋のベランダから見渡せる青い海と白い砂浜は、太陽に光って澄み渡り、さざ波が長くこちらへ流れてくるのが心地よいです。そんな風景を眺めているうちに、わたしは自然と「五十位以内に入れて本当に良かった」とその時つぶやいていました。

 昼食を終えてホールに案内されたわたし達は、次の評価のためにポジションごとに分かれました。ダンスにボーカルにラップ。経験者組はボーカル、上位者はダンスを基本的に選んでいるようで、わたしはどれにしようかと悩みましたが、他の人と同じことをやっても上に行けないと思ってラップを選択しました。

 ラップ組に顔見知りの人はいませんでした。部屋に案内されて各々の自己紹介が済むと、早速リーダー決めが始まります。三週間後の発表日までにチームをまとめ上げる役割は、それなりに重荷で、ほとんどのチームが経験者や年長者から選んでいます。わたしは率先して発言をしましたが、周りの子たちは何となく浮かない表情で、黙って下を向いていました。ダンスやボーカルを上位組に取られてしまい、仕方なくラップを選んだ子が大半のこのチームで、果たして完璧なパフォーマンスができるのかと不安なわたしは、このままでは練習が始まらないと思って、仕方なくリーダーを引き受けてしまいました。

 宿舎に戻ったあと、A子にこのことを話しました。彼女はわたしと同い年ですが、知識も経験も豊富で、いつも困っているわたしに的確なアドバイスをくれます。前回同じチームになった時に、未経験のわたしに懸命に教えてくれたこと、今でも感謝しています。わたしが四十七位になれたのもA子のおかげです。

 そんな心優しいA子に、わたしはいつも甘えてしまうのです。A子は泣いてしまったわたしの背を優しく擦り、いつまでも傍にいてくれました。わたしは彼女の前でなら自分の気持ちを素直に伝えられるような気がしました。初めてリーダーになるという心細い気持ちを、彼女は何も言わずに汲み取って、優しく抱きしめてくれました。

 天気:曇り 食欲:普通 状態:まあまあ

 ポジション評価でボーカルを選んだのは、単に歌に自信があるからというわけではありません。むしろ、私は前のグループでダンスを買われていたわけだし、ラップの経験もそこそこあったので、未経験者の集まるポジションでも明確に目立てる算段はありました。

 でも、私はボーカルで一番になりたかった。私と同じAクラスでボーカルを選んだミワコがいたからです。

 ミワコとは合宿初日から同じAクラスで練習してきました。無口で物腰柔らかな性格は、積極的に練習に参加する他の生徒と違い少し浮いていました。彼女は前世の活動があるわけではないけれど、大手事務所の練習生として何年も韓国に住んでいた経験がある、いわゆる落選組のひとりです。

 彼女の強みは、何と言ってもその類まれない歌声でしょう。身長は私より五センチほど低いのですが、放たれる歌声は透き通った清流のように聴く人の心を掴んで離しません。クラスで初めて歌のレッスンを受けた時、その無垢な少女の姿からは想像もつかないのびのびとした歌声に私も他の子も度肝を抜かれました。楽器のように鳴り響く高音と、はっきりと聴き取りやすい低音。その迫力のある歌唱に、私たちは一瞬で彼女に魅了されていたのです。この歌声を持ってしてもデビューは難しいのか、と改めて大手の壁を実感しました。どこか遠くを見つめているトレーナーさんの横顔と周りのすすり泣く声が、空っぽになった胸を突きました。私はこの時初めて自分の位置が危ういなと感じました。

 その予測通り、彼女はグループ評価で大幅に認知を上げて、第一回国民投票で見事一位に輝きました。

 あっぱれです。二位の席から私が彼女に目配せをすると、彼女は白い歯を覗かせて、まだ緊張の抜けない笑みを満面に湛えていました。グループで一緒になった子が一位を取ったことはとても嬉しいし、笑顔で祝福したい気持ちももちろんありますが、何だか納得できないという感情も底の方にわだかまっていました。

 このオーディションに参加した生徒の中に、前世の経験があるのは私とナノカ、シオリ、キアラ、イクコさんだけで、後の生徒は初心者や候補生の経験があるだけの、いわゆるデビュー未経験の子たちです。まだステージに上がったことのない、スポットライトの浴びたことのないルーキーです。

 私のほうが、認知も実力も遥か上の筈なのに、一位になることができなかった。ルーキーのミワコに一位を取られてしまったのです。私は自分の実力が世間に認められていないことが悔しくて、そして心の内のプライドがギタギタに裂かれ、二位という素晴らしい順位にも関わらず素直に喜ぶことができなかったのです。

 だから、私は今回のポジション別評価で、あまり得意ではないボーカルを選んだのです。ミワコと再び同じステージに立ち、どちらがセンターにふさわしいか、ハッキリ証明したいと思ったのです。

 あとひとつ、嬉しいことがありました。グループ評価で私やミワコと同じチームになったC子が第一回投票で五十位以内に入れたことです。

 彼女は初日から練習についていくのが難しく、何回もトレーナーさんに怒られていました。そのためチーム内練習の時間も、彼女だけ違う部屋で振りを覚えたり、居残りで歌のレッスンをしたりと、別行動の時間が多かったです。休憩時間に話を聞くと、びっくりした表情で固まっていました。子供のころから歌が下手で、体育では三以上を取ったことがないと、照れ臭そうに話してくれました。それでよく書類選考を通過したなと、つぐつぐそう思いましたが、彼女はそれでもめげずに二週間やり通し、リハーサルまでに何とか人前に立っても不自然じゃないくらいには上達していました。(それでも歌はめちゃくちゃですが笑)

 私は彼女と会ってひとつ学んだことがあります。それは、彼女はどんなにダンスが上手に踊れなくても、最後まで楽しそうにパフォーマンスするところです。これはステージ経験のある私でも、思いがけず顔に出てしまうことがあることなのに、彼女はテンポが遅れたり振りを間違えたりしても堂々と自分を表現しています。遠くから見ると、まるで彼女ひとりが別のステージに立っているみたいです。技術の面ではまだまだ他の練習生には及びませんが、彼女は何か周りとは違うモノを持っている。その時私は、彼女に対して秘めたる感心と、そして憧れを抱きました。もし私がデビューメンバーを選べるとするのなら、絶対に彼女をチームに入れたい。彼女と一緒にステージに立ってみたいと、前髪から垂れる汗などものともせず、一心に練習に励む彼女を見て、私はつぐづぐそう思うのです。

 天気:快晴 食欲:良い 状態:絶好調

 コンセプトバトルが終わればいよいよ第三回順位発表です。ファイナルへ進む二十人がようやく決まります。ついこの間まで九十六人いた練習生があっという間に二十人です。ほんとうに時間の流れは速いものですね。

 先日行われた第二回国民投票でC子が十八位に入りました。未経験のFクラスから何とか四十七位に入り、次に行われたポジションバトルで見違えるほど腕を上げました。この短期間で人はここまで成長できるのかと、私自身とても驚いています笑。この勢いだとファイナルへ進む二十人に入れるのは確実。それどころか、デビューメンバーの十一人に選ばれるチャンスも見えてきました。彼女にそのことを伝えると、いつものように可愛らしい笑顔を見せて「ありがとう」と少し恥ずかしそうにしていました。彼女もまだ実感が湧いていないようで、普段の練習もなんとなくそわそわした感じが抜けずに、慌ただしい一日を過ごしていました笑。同い年ですが、なんだか妹みたいな感じがしてとても可愛いです。

 順位を聞かされたとき、あまりの衝撃で全身の血がスーッと抜けていくような感覚に、足に力が入りませんでした。と同時に、ああ、必死にやってきて良かったなという感慨が、とめどなく心に広がりました。

 コンセプトバトルで再びA子と同じチームになりました。彼女は前回のポジションバトルで別のチームでしたが、熱心にわたしの悩みや相談を聞いてくれる、まさに姉のような存在なのです。そんな前世経験のある彼女が、こんなヘタクソなわたしに時間を割いてくれるのはどういうわけなのかと、そういつも彼女に言うのですが、彼女は笑って「だってあなたは魅力的なんだもん」と、そう言ってくれた時、わたしは我慢していたものが一気に溢れ出て、思わず彼女の胸に抱き着いていました。今思えば恥ずかしいことですが、わたしはやっぱり心細かったのです。慣れない環境で日々練習を重ねることは、自然とわたしのなかで不安と緊張を大きくさせ、思うように身体が動かないスランプのような状態に見舞われました。このままだとオーディションを棄権しなくてはと、そう何度も思いました。そんな危うい精神の中彼女だけが親身にわたしに寄り添ってくれました。過酷な合宿生活。みんな自分の事で精一杯なはずなのに、常にA子はわたしのことを気にかけ、励ましの声を掛けてくれました。わたしは初めて自分の理解者―心の底から大事に思ってくれている人と巡り合えて、本当に嬉しかった。

 長かったとも、短かったとも言えるこの合宿で、私は様々なことを経験し学びました。今までに味わったことのない厳しい練習の日々は、張り詰めた精神状態の中で次第にストレスに変わり、弱音を吐こうと思ったことが何度もありました。けれど、思うようなパフォーマンスができなくて、責任と葛藤に押しつぶされそうな毎日は、自然と私のなかで周りへの意識を強くました。練習では気にすることのなかったスタッフさん、私たちの見えないところでも気を配ってくれたトレーナーさん、互いに励まし合ってここまで過ごしてきた仲間たち。そして、私を応援してくれている全国のファンの皆さん。挫けそうになった時、私はその人たちのことを考えます。そして自分はひとりでじゃないんだと、そう心の中で唱えると、私は自分が自分じゃないくらい立派なパフォーマンスができる自信が湧いてくるのです。

 この合宿は私の弱い部分を鍛えてくれたました。アイドルとしてのキャリアがある中、どうしても他人と比べてしまうことが練習中にありました。その度に、どうして自分は上手くできないのだろうと苛み、挫けそうになったことが何度もありました。それを肯定し、励ましてくれたトレーナーさん、そしてC子の存在は、この合宿で私が得た宝物です。そして練習をともにしてきた仲間たち―悲しいことも、辛いことも、嬉しいことも、楽しいことも一緒にしてきた仲間たちのおかげで今の私があります。落ちていった子たちの分まで精一杯頑張りたい。この想いを胸に、私はコンセプト評価で今まで以上の実力を出したい。想像以上のパフォーマンスを見せたいと思います。あなたとわたしに

 ファイナルまで一週間を切りました。今でも自分が二十人に選ばれたことが信じられなくて、手足が震えています。

 合宿初日から体調を崩し、緊張と不調でやり切れるかどうか不安だったわたしが、まさかファイナルまで進むことになるとは。毎日投票してくれているファンの皆さんに感謝です。

 わたしは他の練習生と違って、歌もダンスも未経験でヘタクソで、そんな自分がデビューする未来を思い描くことがなかなかできませんでした。

 だけど、この合宿でわたしは変わりました。それはデビュー圏内に入って初めて思ったことです。普段通り歌やダンスのレッスンに励むのですが、何となく心が昂っているような、自分が自分じゃないような落ち着かない感じがするんです。どうしてだろうと顔を上げてみると、そこには汗を流すみんなの姿がありました。パフォーマンスをするみんなの表情はみな違って、笑顔にもその人の個性が現れていました。緊張と不安の毎日を過ごしながらも、その状況を楽しんでいる。そんな光景が、わたしには堪らなく美しく見えました。仲間たちとひとつのものを創り上げていく喜びは、かつて感じたことのない幸福になって広がったのです。この経験をもっとしてみたい。デビューしてもっとみんなと踊りたい練習したいと、そう願う気持ちが日に日に強くなりました。

 ファイナルでは二十人全員が歌う楽曲があります。わたしはこの歌が大好きです。特に「わたしたちの明るい未来へ高く飛び上がるの~」の部分は、先の見えない未来が幸せであることを示しているかのように伸びあがる曲調で思わず口づさみたくなります。

 わたしは応援してくれるファンの皆さんのためにも、絶対にデビューしてこの歌を歌いたいと思います。

 ダンスレッスンを休んでしまいました。本番まであと三日しかなく、リハーサルを抜けば明日が合宿最後の練習になります。ほんとうに色々な事があったなと、目を瞑れば自然と想い出が溢れてきそうです。

 そんな残り少ない時間を、ベッドの上で過ごさなければならないは本当に悔しいです。先週から体調がすぐれず、食欲もあまり湧かない日々が続いていたこともあって、トレーナーさんからレッスン中断を告げられた時、わたしは悲しくもないのに涙がこぼれました。ファイナルで披露する歌とダンスは、まだ完成には程遠い出来栄えなのに、わたしだけレッスンを休まなければならない。ただでさえ未経験で容量も悪いのに、練習ができないとなると不安はいっそう増すばかりです。

 残っているメンバーは、みんな実力のある素晴らしい子たちばかりです。そんな子たちの中だと、やっぱりわたしは少し浮いていて、動画を見返しても粗が目立ちます。トレーナーさんに肩の力を抜けと何度も言われましたが、わたしは振りを覚えるのが必死で、とてもそんな余裕などありません。A子にそのことをたずねると、「気にしなくていいから、いつもの自分でいいのよ」と普段通りの優しい笑顔で答えてくれました。

 その笑顔が、わたしにはとても辛かった。一生懸命練習して、やっとデビューが目指せると思ったら、その先は果てしのない暗い闇。ゴールの見えない道が永遠と続いているのです。二十人のメンバーはみんな、本番で実力以上のものを発揮しようと細部にまでこだわっています。ダンスのキレはもちろんのこと、指使いや手足の微妙な位置、曲調に寄って変わる表情、全体で見た時の映え方。どんな些細な事でも、気になったことは言い合って改善します。

 彼女たちアイドルを目指す身でありながら、またひとりの表現者として自分を追い込んでいるのです。達成を決めず、常に想像以上のものを求めるその姿は、まさにプロのアーティストそのものです。

 そんな彼女たちを見ていると、わたしはどうしても不安になってくるのです。わたしの目指す夢、自分の未来、アイドルとはなんなのかと。

 わたしの部屋は二階の角部屋で、ちょうど窓から桜の木々が見えます。今は冬なので、花も葉も一枚も生えていませんが、こずえの先から夕日が射しこんで、部屋いっぱいにオレンジ色の陽だまりができる頃になると、なんとなく心が落ち着いて気持ちがいいです。切れ長の雲に星が浮かびだし、小鳥たちがさえずりながら彼方へ消えていくと、どこからともなく吹きだす木枯らしが、ちょうど練習を終えて帰宅する仲間たちのはしゃぎ声を乗せて部屋にたちこめます。

 その時、わたしはこの空をアイドルだと思いました。決して華やいで見えるわけではないけれど、見る人の心の中に確かに刻みこまれる。人によって違った感情や情景を浮かばせるあのおおらかな空を、赤い日差しを包んで新たに浮かんでくるあの太陽を、わたしは自分の目標とするアイドルだと思ったのです。

 もうすぐみんなが帰ってくるのでここで終わりたいと思います。

 明日は最後の練習。みんなとできるといいな。

 C子

《おわり》

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紅茶と雑文記 なしごれん @Nashigoren66

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