なぜ、奈良の石清水八幡宮は歴史から消されたのか?
@tataneko
第1話 2つの「石清水八幡宮」
「石清水八幡宮」は、京都府八幡市(やわたし)の男山に鎮座する荘厳な神社です。旧官幣大社であり、三大八幡宮の一つに挙げられます。
京の都、平安京の鬼門(北東)を守護する「延暦寺」に対して、裏鬼門(南西)を守護する神社として位置づけられました(厳密には、神社は都の南南西にあります)。
また、八幡神を氏神とする源氏の崇敬を受け、武運の神としての信仰が篤く、特に源義家は7歳の時に「石清水八幡宮」で元服し「八幡太郎義家」を名乗っています。
「石清水遷座縁起」によると、貞観元年(859年)に奈良の大安寺の僧侶「行教(ぎょうきょう)」が、豊前国「宇佐八幡宮」(大分県宇佐市)から勧請したとあります。「石清水」の社名は、男山の中腹から湧き出ている「石清水」が由来とされます。
しかし、その50年以上前から、奈良の都に「石清水八幡宮」が存在したのです。
現在の奈良市東九条(とうくじょう)に鎮座する「八幡神社(元石清水八幡宮)」は、同じく大安寺の僧侶「行教」が唐から帰国する際に、宇佐八幡宮(宇佐神宮)から神影を奉戴して、大同2年(807年)に大安寺の石清水房に鎮座したのが起源とされます。
後に社を造営して遷座し「石清水八幡宮」と号して、大安寺の鎮守神とされました。その52年後「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という八幡神の神託によって山背国男山へ遷座したのが、京都府八幡市の「石清水八幡宮」と伝わっています。
大安寺の鎮守社として創建された「八幡神社(元石清水八幡宮)」には、その名前の由来になった「石清水の井」が、同じく大安寺旧境内にある「御霊神社」にあります。
その後、奈良の大安寺の鎮守神の石清水八幡宮は、紆余曲折があり、正式な神社の登録名が「八幡神社」となってしまいました。現在は「石清水八幡宮」を正式には名乗れないため「元石清水八幡宮」としています。
しかしながら、京都の「石清水八幡宮」は、奈良の大安寺の鎮守神を遷座したのではなく、行教によって宇佐八幡宮から勧請したとしています。
老舗の和菓子屋の「元祖」と「本家」争いのようにも見えますが、京都の「石清水八幡宮」が奈良の大安寺との関係を否定するのは、政治的な背景と新興仏教との関係などが絡んでいます。
政治的な背景である「平安京遷都」と新時代のスーパースターの出現が、奈良の「石清水八幡宮」が歴史から消され、京都の「石清水八幡宮」が三大八幡宮として現代においても隆盛を誇っている、その歴史の謎を解明するヒントになると考えられます。
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