29話、おかえり、アンリエッタさん

 毎朝、体の為と思い義務で食べていた、味気が無くて水分も無い、パッサパサのパサパンが何だか今日は少し美味しい。これは気のせいだろうか? 

 朝食を終えたら、水魔法で軽く水を溜めて顔を洗うんだけど、今日は念入りに洗っておくとしよう。

 髪の毛に寝ぐせはついて無いかな?

 目ヤニは残っていない? ホント?

 あともう少しすれば、あの人に会えるかもしれない。

 どうせなら、成長した俺を見て欲しい。

 少しでも小奇麗な自分を見て欲しい。

 皆が当たり前のように過ごす日常が、慣れ過ぎて当たり前の様に感じてしまう小さな幸せの数々が、やっと俺の日常に帰って来ると思うと、最高に気分がいいんだ。


「よし、行くか」

 いつものとおりに扉を開けて、いつもの様に階段を降りる。

 でも、今日はギルドの受付へ向かわない。

 真反対に向かって歩いて、建物を出たら太陽が凄く眩しかった。


 知らず知らずに、追い詰められていたのかもしれない。稼がなきゃ、稼がなきゃと一人気ばかりがいていた。余裕が無さ過ぎて、この世界の美しさに目を配る余裕すら無かったのかも。

 空は突き抜けるように青くて、 緑は青々として美しい。

 人の営みに汚された地球ほしの、現代の日本とは美しさのレベルが違った。


 冒険者ギルドを出た俺は、一人商業ギルドへ向かって歩いている。

 みんな付いてくるのかな?

 そう思ってたんだけど、マリーさんが言うんだよ。

『明日は一人で行きなさい。大事な人を取り戻す日に、周りにぞろぞろいたら恰好付かないでしょ』とね。そうそうこうも言ってたよ『荷造りもしておくから、落ち着いたら呼んでね』とも。

 恰好いいよな、ホント。

 ああいう大人になりたい。素直にそう思わせてくれるよ。

 って、俺中身おっさんなはずなのにな……。っかしいなぁ。

 

 石造りで出来た建物はこの街でも有数の大きさで、商業を冠するギルドに相応しい立派な建物だ。その立派な建物の軒をくぐって中に入ると、ゴードン武器店のインゴット運搬クエストでお世話になった、受付のお姉さんと目が合った。

「よく頑張ったわね」

 ん? 何のことだろう? この前のインゴット運搬の事かな?

 いまさら褒められても……、まぁいいか。

 よくわからなかったけど、待ちきれない俺は早速ロルフさんを呼び出してもらう。


 あれ? おかしいな。

 もうすぐアンリエッタさんに会えるかと思うと、何だか緊張してきたぞ。

 毎日一緒にいたのに? なんでだろう。

 

「おお、坊主来たか」

「ロルフさん、こんにちは」

「よし、じゃあ付いてきな。応接室に案内してやる」

「はい、宜しくお願いします」

「ん? そういや坊主、今まで俺に『さん』て付けてたか?」

「え、いやあ。すいません」

「カハハハ、現金な奴め」

 バンバンバンと、背中を3回も4回も叩かれたよ。

 正直、昨晩合うまでは『ロルフ』でした。すみません……。

 それにちょっと敵側寄りでしたよアナタ。本当にすみません……。

 三カ月は無理だと聞いたときはマジで恨みました。ごめんなさい。


「初めまして、私が当商業ギルドのマスターをしておりますヨハンと申します」

「ヨハンさん初めまして、フェリクス・コンスタンツェと申します」

「これはこれは、ご丁寧に」

 軽い挨拶のあと、マスターであるヨハンさんへ勧められ、立派で高そうなソファーへと腰を沈めた。おおお、沈む沈む。

 

「さてフェリクス様、当ギルドにてお預かりしている女性を一人、お引き取り希望と伺いましたが間違いありませんか?」

「ええ、間違いありません」

「念のため、その者の名をお伺いしても? ああ、他意はありませんよ。万が一違う者の契約書を見せてしまわない為の質問です」


「なるほど、名はアンリエッタと申しまして、黒い髪に蒼い瞳の女性です」

 商業ギルドのマスターに改めて問われ、わかった事が一つある。

 俺ってさ……、アンリエッタさんの事何も知らないんだよ。生まれを知らなければ、誕生日も年齢も、苗字さえ……だよ。

 はぁ、ホント駄目な奴だよな。何が最愛の人だよ。

 これからは少しずつ教えて貰おう。

 

「では、こちらをご確認ください」

「はい」

 この前少し見た、アンリエッタさんと商業ギルドが交わした契約書だ。

 たぶんこれが原本なんだろうな。差し出された一枚の羊皮紙は、年月を表す様に薄汚れていた。心なしかアンリエッタさんの字も子供っぽい気がする。

「私どもがお預かりしているアンリエッタを買い取るのでしたら、金貨100枚が必要です。ご用意されてますか?」

「はい、ここに」

 俺は、金貨が丁度100枚入った皮袋を取出してテーブルへと置いた。

 昨晩に夜中、朝や出発前も含め10回は数え直したから間違いないはず。

「では、確認させて頂きます」

 そう言うや、商業ギルドのマスターであるヨハンさんが目にレンズなようなものを装着し、金貨を一枚一枚確認していく。なんだろう、真贋の見極めとかかな?

 偽物の金貨の存在とか全く頭になかったよ。

 偽物とか混ざってないよな? 少し不安になった。

 そんな俺の脳内に、一瞬あのクソ領主のツラが浮かんだ。


「確かに、金貨100枚お預かりしました」

「──ではロルフ、彼女を連れて来なさい」

「わかりました」

 

 きた、とうとうこの時が。

 やばい、まだ会ってもいないのにしている。

 俺の涙腺、弱すぎるだろうよ。


「実は、あなたの事は当ギルドでも、ちょっとした話題になってましてね」

「え、そうなのですか?」

「お若い青年が、当ギルド預かりの彼女アンリエッタを取り戻すために日夜頑張っていると、何度かロルフが騒ぐものですから、皆の知る所となってしまいまして」

「ロルフさんが……」

「で、不謹慎ではありますが、当ギルド内で賭けが行われておりましてね」

「賭けですか?」

「ええ、フェリクス様がアンリエッタの契約が決まるまでに取り戻せるか、取り戻せないかを賭けてるようです。ちなみに取り戻せる方に賭けたのは私とロルフだけございます。いやぁ、個人的にも大儲けさせてもらいました。ありがとうございます」

 

「は、ははは。そうですか」

 だから、あの受付のお姉さんも何だか優しかったのか。なるほど……。

 しかしさすが商人だな、商魂たくまし過ぎて恐ろしいよ。

 

 場を繋ぐヨハンさんの話を聞きながら、しばしの時を過ごす。

 そうして30分ほどの時が過ぎただろうか。

 扉は静かに開かれて……、開かれた先からそっと一人の女性が姿を現す。


 突如この世界に飛ばされて、記憶喪失なフリをする俺にさ。

 貴女はいつも優しかったよね。

 それだけでも有難い事なのに、貴女は本当に美しくて嫌味が無かった。

 慈しみと思いやりで、俺をずっと見守り導いてくれた人がそこに立っていた。


 もう少し待っててね? 今、貴女に返すよ。

 

「フェリクス様、最後の確認です」

「はい」

「これで彼女は貴方の物です。どうしようが貴方の自由です。ですが、やはり聞いておくべきかなと思いましてな。なに爺のお節介です」

「はい」

「本契約書の契約者の欄は、これであなたの名前になりました。どうします? もし、貴方が真に彼女の自由を望むなら、焼却させて頂きます。焼却し効力が失われば、彼女は貴方の側を去るかもしれませんが……」

 とうとうこの時が来た。

 俺の答えはもう決まっているんだ。

「ヨハンさんがおっしゃって下さらなければ、私の方から申し上げるつもりでした」

「そうでしたか、では?」

「彼女を自由にしてあげてください」


「ううっ……」

 小さな小さな悲鳴を上げて、アンリエッタさんが泣いていた。

 ごめんよアンリエッタさん。

 泣かせるつもりじゃなかったんだ、ただ自由にしてあげたくて。

 そしてもう一つあるんだ。約束したよね? 幼かった僕と貴女で。


「ヨハンさん、彼女の首輪もとってあげてください」

「本当によろしいので? アンリエッタの力が貴方に向く可能性もあるのですよ? 主人と使用人、信頼していたのは片側のみ。よくある話です」

「ええ、構いません」


 彼女の力が俺を襲う? そんな事はあり得ない。

 あり得たとして、それならしょうがない。甘んじて受け入れるよ。


 おかえりアンリエッタさん。

 君はもう自由だよ。好きに生きていいんだ。

 

 

 アンリエッタ僕が君を守るよ

 ─ 第2章、取り戻すために ~完~ ─

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