第5話
ネットワーク構築の設計書に頭を悩ませていた。手を止めて、目の前に置かれたコーヒーをひと飲みする。ペンを持つ指先が冷たくて、両手にハーっと息を吐いて擦り合わせた。高校の頃からICTベンダーの仕事に就きたいと思うようになり、成就させるために工学系の大学に入った。ここで知識を得て、在学中に資格も取ろうと頑張ってきた。
指に貼られた絆創膏。君も今、頑張っているんだろうな……。
背負っているリュックのベルトが肩に食い込む。今日はやけに重たく感じる。歩く足取りまでも重たい。
疲れたな……。
まだ桜が?
その小さな白い花びらを、拾い上げようとして気付く。
イヤリングだ。
ここは絆創膏を貼ってもらった場所。あの後、彼女はイヤリングを失くしたと言っていた。
これ、テンちゃんの……?
大事なイヤリングと言っていた。これが彼女のものなら早く渡してあげよう。
ところが、キャンパス中を探してみても、彼女の姿は一向に見当たらない。思わず天を仰ぐ。上空のすじ雲がオレンジ色に染まっていた。
「そうか、カフェだ」
彼女は大学の講義が終わった夕方以降、アルバイトをしている。あの丘陵にあるカフェにいるのかもしれない。
行ってみるか。重いリュックを背負い直し、歩み出した。
「おーい、
どこかで
「どうしたんだ? 戻って来いよ」
わかっているよ。夢なんだろ。だけど、大事なものを渡しに行かないと、過去へのループが終わらない。
濃紺の夜空に星が瞬く。地上の街明かりが街路樹を影絵のように映し出していた。
息を切らしながら、薄暗い坂道を上がって行く。何度も通った道なのに、今日はやけに遠く感じる。見上げる坂の左側に、三角屋根の建物が見えてきた。あそこだ。もう少しでテンちゃんに会える。
歩き続けた先には、小さなライトに照らされた看板が、歩道の端に置かれている。
店側へ渡る横断歩道の前で足を止めた。きっとここにいる。いつものように温かく迎えてくれるはずだ。
まるで辿り着いたのが分かったかのように、カフェの扉が開いた。店内の明るさで逆光となり、人影だけが映る。扉の前で何かを探しているかのように、影が左右に動く。こちらに気付いたのか、その動きが止まった。
「ハル君」
呼びかけたのはテンちゃんの声だ。良かった。これでイヤリングを渡すことができる。彼女の喜ぶ顔を思い浮かべて、思わず頬を緩めてしまう。
道路を横断してカフェへ向かおうとした時、またしても靴紐が解けていることに気付いた。
なんだよ、またか……。
はやる気持ちが焦りを生んだのか、解けた靴紐をもう一方の足で踏んでしまった。
うわっ……。
バランスを崩し、転がるように道路へ出てしまう。
それはほんの一瞬の出来事だった。運悪く車が向かって来て、目が眩むようなヘッドライトの光に晒される。タイヤが地面を擦る音に続き、ドスンという鈍い音と強い衝撃。
深い暗闇に包まれるように、意識が薄らいで行く。
どこからか悲鳴が聞こえた。
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