第33話 超常に座するもの

 地獄という名の絵画があるのなら、この光景を切り取らずにどうして名乗れようかという有様だった。

 走る火が草木を焼き、砕かれた大地を血が伝う。


「ふむ……試し斬りというのは好かんが、人類も腕を上げていることが知れたのは収穫か」


 禍々しい焔に照らされ、一つの影が色濃く浮かび上がる。

 黒を基調とした魔王軍の制服を着こんだ長身にして筋骨隆々の姿。


 手に持った剣は細身のものが二本、どちらも血の一滴すらついていない。

 周囲に斃れる騎士たちの姿と食い違うその光景は、卓越した剣技が刀身に血の残りすら許さなかったことの証左である。


「ひとまず私は本陣に戻る。遭遇した敵兵は適宜殺害しつつ、速度を維持して王都へ向かうぞ」

「ハッ」


 大きな影の言葉に、控えていた者たちが頷き、立ち去っていく。

 一人残った彼は剣を鞘に納めた後に、倒れた騎士たちへと一度礼をした。


「すまんな、本来の戦場であれば首を取り、身体は丁重に弔わせてもらうのだが……我が身は既に堕ちた。武の誇りを捨てた後の私と出会ったこと、その運を呪ってくれ」


 その眼には薄暗い炎が宿り、紫色の光となって浮かんでいる。

 彼こそ、十二魔将が一将、ヘブンマックス・メネラオス。

 かつて大陸に覇を唱えんとした魔王の元に結成され、人類の生息権を脅かすほどに猛威を振るった、超常に座するもの。


「君たちの同族も多数、そちらに送ろう。それを手向けとする」


 簡潔に告げた後、彼もまた、死体しか残っていないその場所を後にするのだった。




 ◇




「最悪の状況だね」


 砕かれた甲冑の山を見て、レイ君が冷たく呟く。

 騎士が戦闘の際に使う、教会の加護を込めた最上級の守りのはずであるそれらは、破壊されてしまえばガラクタ以下の価値しかなかった。


「まさか遭遇戦が起きただけでなく、そこから攻め込んでくるなんてね」


 私たちがベースキャンプにたどり着いてから、負傷した騎士たちは山のように来た。

 敵が侵攻を開始したのだ。迎撃に出た騎士は次々にやられ、帰ってこない者や、血まみれで運び込まれてくる者ばかり。

 外部の存在である私たちは、出撃ではなく負傷者の対応の手伝いに追われている。


「魔物の総数は百体を超えて、二百に届く規模らしい。放っておけば王都にまで攻め込んできそうだよ。というか、狙いはもちろん王都なんだろうけど……」


 腕を組み、彼はちらりとこちらを見た。

 さっきまでは救護テント……というよりは、テントの周辺に並んだ騎士たちの治療を手伝っていた私は、ふと思い立って彼の元へとやって来ていた。


「この甲冑を見てくれ。加護ごと綺麗に両断されている……恐らくヘブンマックスと直接対峙した騎士のものだね。だがそれ以外にも、砕かれるように、あるいは引きちぎられるように破壊された甲冑がいくつもある。彼の手下ですらもが、騎士の守りを瞬時に貫通できる証拠だ」


 彼は冷静だった。冷静に彼我の戦力差を見極めようとしていた。

 それはきっと私が求めてしまった、冷静な参謀の役割としては正しいものだ。

 けれど。


「あの……レイ君も、治癒の魔法を使えたりしませんか?」

「ん? ああ、もちろん使えるよ」


 あっけらかんと彼は言い放った。

 私は数秒言葉を失った。負傷した騎士たちが運び込まれているのを見て、治癒魔法が使えるアース君とセルフィーナさんは、私が声をかけるまでもなくすぐさま走っていき、騎士たちの治療を手伝っている。

 けれどレイ君だけは、野戦病院と化しているベースキャンプを一瞥した後に、脱ぎ捨てられた甲冑の山へと歩み寄っていたのだ。


「て、手伝ってください! 今にも死んでしまいそうな人がたくさんいて……!」

「ああ……手伝えばいいんだね、分かったよ」


 得心がいった様子で、レイ君は頷く。


「そうか、なるほど。こういう時は手伝うんだね。今後気を付けるよ」

「……はい」


 彼は──最初に私の仲間になってくれた。

 でも彼は、きっと、私たち人間から一番遠い存在でもあった。

 そのことを、日々を過ごす中で、すっかり忘れてしまっていたのだ。


「……っ」


 私は自分の頬を両手で叩いた。

 落ち込んでいる場合じゃない。彼に落ち度はない。価値観に差があることなんて分かり切っていた。

 すり合わせを怠っていた私の責任だ。


「左の方はアース君とセルフィーナさんが手伝ってくれています。レイ君は右手をお願いします」

「承知した。カナメ、君はどうするんだい?」


 言葉に詰まる。

 私には、魔法なんて使えない。

 ポーションだって手持ちは全部渡したけど、雀の涙にすら満たない程度の量だ。


 身体は今すぐに走り出して、敵を討てと叫んでいる。

 でも敵は魔族だ。対人戦に特化した私は、魔物数匹と遭遇すれば死ぬだろう。

 私ができることは、あまりにも少ない。


「……連絡を、取ってみます。さっきの輸送部隊の人たちに」

「そうか。期待できるかは微妙だけど……頼んだよ」


 それだけ言って、レイ君は私が指示した方へと駆けていく。

 一つ、深く息を吐いた。


 私にできることなんて、分かり切っているのだ。 




 ◇




 王都中心にそびえたつ王城、会議室。

 第二王子テルミットは王族が座る豪奢な椅子に腰かけ、父や兄弟と並び、眼下で紛糾する議論を眺めていた。


「では、騎士団本隊の出撃はいつになるというのです!」

「落ち着け。王都に攻め込まれないように、まず守りを固める必要がある」

「貴族院のメンバーに避難通達はしたのか?」

「大隊長たちに武装の許可を。王都外縁部に展開させろ」

「貴族院のメンバーに避難通達はしたのかと聞いているんだ」


 紛糾する議論、しかし中身が伴っているとは到底思えない。

 今現場で防衛線を維持している騎士たちへの増援の話はほとんど出てきていない。


「安心するがいい、我が息子たち」


 不意に聞こえたのは、王族たちの中心にて玉座に腰かける、この国の王の声だった。

 ケラス国王は豪奢なあごひげを撫でながら、自分の子供たちに優しい笑みを浮かべる。


「いざという時は、王城は最高峰の魔法使いたちが展開する防御魔法で守られる。魔将といえども、ここには来れないよ」


 ──ここ以外の、王都に住む人々については何も思わないのか!

 テルミットは極めて冷静に、自分の腹の底から飛び出そうになった言葉を抑え込んだ。


(クソッ……上層部の連中も半数は貴族院メンバーを守るために来ているようなものか。現場に伝令兵をどれくらいの頻度で出している? 今この瞬間にも攻防の趨勢が変わっているかもしれないのに……)


 あくまで彼らが守ろうとしているのは、王都の中だ。

 外で戦っている騎士たちが追い返せればそれでよし、打ち破られたとしたらそこで対応する──完全に後手の対応だというのに、それが正しいこととして議論は進んで行く。


 テルミットにはその理論がすべて分かっていた。分かっていたからこそ、全てが根底から間違っていることも理解できた。

 唇を噛みながら、彼は椅子のひじ掛けを指で叩き、いら立ちを紛らせようとする。


(カナメ……! 魔将率いる魔物の軍勢に、君では対応できない! 頼むから今はこらえて、逃げてくれ……!)


 信頼する少女への祈りにも似た切実な感情は、堅牢な王城の中からでは届かなかった。






◇◇◇

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