第39話 マダムの恋文


※シグモント視点に戻ります

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 仕事を再開することにした。例の代筆業だ。この長屋の家賃をヴァーツァに立て替えてもらったことを思い出したのだ。返済しなくちゃならない。


 べ、べつに、それを口実に彼に会いに行くとか、そういうことをするつもりはない。カルダンヌ公は王都の屋敷に引き籠ったきり出て来ないという噂だし、お金は送ればいい。


 もちろん、お金に添える書状に、ここの住所を書くつもりもない。

 ヴァーツァは既に、この長屋の場所を知っている。だって、家賃を建て替えたのだから。それでも、一度も訪ねて来ないということは……馬鹿だな、俺。何を期待しているんだ?



 幸い俺のことを覚えてくれた人がいて、ぽつぽつ仕事が入ってきた。厄介な役所への書類を代筆しながら、ふと思う。そういえば俺、ヴァーツァから雇われたんだっけ。戦争の報告書を書けと言われた。あれは、どうなったのだろう。


 いけない。なぜ俺は、ヴァーツァのことばかり考えるのだろう。どうしようもなく残酷で、移り気な男のことを。



 自分で言うのもなんだが、俺はなかなか腕がいい。つまり、ラブレターの代筆だが。文章は流麗だし、字もきれいだ。おまけに、くずし字を書くこともできる。


 公文書作成はさておき、ラブレター代筆の方は、次々と仕事が入ってきた。リピーターも多い。


 もっとも、相手を乗り換えた場合を除き、リピートされるのはあまりいいことではない。だって、恋文の効果がなかったってことだからね。

 それなのに、みんな、何度も何度も俺のところにラブレターを書いてもらいにくる。

 まあ、こっちも、成就率○%以上、とか、誇大広告はしていないから、商売的には問題ないわけだけど。



 そんなある日、地味なドレス姿の女性が訪れた。地味ではあるが、どっしりとした質感の、上等な生地の服だ。栗色の髪がきれいにカールし、顔はレースのベールで覆われている。


「シグモント・ボルティネさんですね?」

 入り口で声を掛けてきた。おつきの少女を連れている。


「はい、マドモアゼル」

書きかけの代筆から顔を上げ、応えた。


「マダムよ」

「失礼しました、マダム」


 最初に奥さんマダムではなくお嬢さんマドモアゼルと呼びかけるのは、こういう商売の鉄則だ。実年齢より若く見られる方が無難だから。やりすぎると嫌味になるから、注意が肝要だけど。


 それにしても、この「マダム」は、随分若く見える。そして、言葉に軽いなまりがある。


「恋文の代筆をお願いできなくて?」

 ためらいがちに貴婦人は切り出した。妙に物慣れない感じだ。

「もちろんです、マダム」


 足音を忍ばせるようにして、彼女は室内へ入ってきた。玄関ドアは開けたままだ。なにしろ一間きりしかないから、外から丸見えである。


「では、まず聞き取りをさせて下さい」

彼女が席に着くと、俺は申し出た。


「聞き取り?」

「ええ。どういったラブレ……恋文を書くか、その基礎となる情報が必要なんです。まずは、お相手のお名前ファーストネームを窺います」

「あなた、でいいわ。夫なんです」

「ご主人ですか」


 気の毒に、彼女の結婚生活はうまくいっていないようだ。

 手紙のあて先が夫という例は、ないことはない。自分の元に戻ってきてくれるようにという哀願から三行半みくだりはん(離別・離婚宣言)まで、今まで書いた手紙は多岐に亙る。


「私、子どもが欲しいんですの」

思い切ったように貴婦人は言った。切羽詰まった眼をしている。

「それなのに、夫は、私の寝所を訪れてくれないんです」


「それは……困ったことですね」

 お相手の悪口を言ってはいけない。これも、鉄則。


「周囲から子どもを産むことを期待されているんです。それが、私が嫁いできた理由ですから。出産は、私の義務です。それなのに、私のお腹はいつまで経ってもぺっちゃんこ。だってそうでしょう? いったいどうやって子を作れと言うの? 夫が床を共にしてくれないのに」


 堰を切ったように貴婦人は話し始めた。気の毒に、よっぽど悩んでいたようだ。

 それにしても、子どもを産むことが義務? このご婦人は、かなり身分のある方に違いない。








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