第33話 紫の瞳
……。
「俺は、死んだ兵士どもを蘇らせ、彼らを率いて最前線に立った。敵の死骸も使ったから、その数は莫大なものとなった。まあ、大して強くはないがな。だが斬られても斬られても、やつらは敵に立ち向かっていくことができる」
敵味方の軍服が入り乱れたゾンビの群れ。決して強いわけではない。けれど彼らは死なない。剣で斬りつけられても起き上がり、立ち向かっていく。
虚ろな死者の顔をして。
俺は、敵に同情した。気の毒に、彼らの恐怖は相当のものだったと思う。
「だが、アンリ殿下の軍の再編はなかなか進まなかった。俺一人の魔力には限界がある。俺はあせった」
「貴方は軍のどの辺にいたの? あなたの率いるゾンビ軍の」
書類から目を上げ、聞いてみた。
「ゾンビどもの後ろ寄りにいたと思う。敵はまだ、俺のいる辺りまでは到達していなかった。俺は、背後からゾンビの群れを鼓舞していたのだ」
俺はペンを置いた。
「ちょっと背中の傷を見せて」
「いいよ」
ヴァーツァの顔が輝いた。恥知らずな男は嬉しそうだ。
「とうとうその気になったか、シグ」
「違います」
立ち上がり、彼の後ろへ回る。シャツをめくり上げた。
「意外だ。お前、結構あけすけなところがあるな。だが、新鮮でいい」
「だから違うって!」
俺は仔細に、ヴァーツァの背中の傷を調べた。
「ヴァーツァ、ゾンビの兵士って、騎兵?」
「いや。全て歩兵として使った。馬を蘇らせるくらいなら、一人でも多くの兵士を使いたかったから」
「そうか……」
傷は上が浅く、下が深かった。上から斜めに大きくざっくりと皮膚を切り裂いた痕だ。
……上から下へ。
「当時貴方は、貴方も馬に乗ってたんですよね?」
「そうだよ」
無言で俺はシャツを元に戻した
「なんだ、もう終わりか? 俺の肌を見ても何も感じないのか」
ヴァーツァは不満そうだ。
「ヴァーツァ」
前に回り、紫のその目を覗き込んだ。光の加減か、赤と青が交互に明滅しているように見える。それは、彼の欲望なのだろうか? けれど俺は、彼の欲望に応えることはできない。
「貴方の背中の傷は、上から下へ斬りつけられています。馬に乗った貴方の背後から近づき、上から下へと剣を振り下ろすことは、貴方と同じく馬に乗った騎士にしかできません」
「……騎士」
「貴方は軍の後方にいた。敵はまだ、そこまで到達していない。貴方の周りにいたのは、ゾンビの歩兵ばかりです。そして騎兵は……」
ゆっくりと続けた。
「騎兵がいたとしたら、それは、前衛の貴方が背後に匿っていた王の軍、即ち、貴方が庇っていたアンリ殿下と彼の騎兵ばかりでした。騎兵が指揮権を持つ将校である貴方を襲うとは思えません。貴方より身分の上の将校の命令がない限り。あの時、貴方より身分が上の将校は一人しかいなかったはずです」
指揮官であるヴァーツァより身分が上の将校。それは、最高司令官しかいない。ペシスゥス軍の最高司令官は、国王だ。
「ねえ、ヴァーツァ。首都へ行くのは止めた方がいい。アンリ陛下には会ってはなりません。貴方が生きていることは、当分は伏せておくべきです」
「それはできない」
今までに聞いたこともない、きっぱりとした拒絶だった。
「俺は陛下の忠実な臣下だ。俺は彼に忠誠を誓った。昔からの親友でもある」
「陛下は貴方の親友なんかじゃない」
言うべきではなかったのかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。
下宿でジョアンから、ヴァーツァと陛下が親友同士だと聞いた時から強い違和感を感じていた。その違和感の正体がやっとわかった気がする。
麾下の騎兵に命じて、背後から斬りつけさせる。
親友のやることではない。
「陛下は俺の親友ではない? 何を言うんだ」
紫の瞳から明るい明滅が失われた。冴えたヴァイオレットに収斂していく。
けれど彼は、真実を知るべきだ。
「貴方の柩は、戦場に置き去りにされていた。あんなに寂しい、廃村になった村に」
人っ子一人いないエシェク村に。
置き去りにされ、忘れられた。
陛下を救った英雄が。
彼は、陛下の「親友」だったというのに。
「貴方のお陰で、軍は再編し、蛮族に勝利した。でも、その手柄は全て陛下のものだ。貴方についてはただ、殿下を庇って戦死した、と伝えられただけ」
「それでいい」
「よくなんかない! 貴方がいなかったらペシスゥス軍は負けてた。陛下だって、どうなったことか。その責は全て、陛下の見通しの甘さにあります。貴方が分遣に反対したというのに」
「戦争は、そうそう思いどおりにはいかないさ」
あくまでヴァーツァはアンリ殿下を庇おうとする。二人の絆の強さ……というか、ヴァーツァの陛下への想いに、心がかき乱された。
「でも、わかったでしょう? 貴方を襲ったのは王の騎士だ。そしてそれは、アンリ陛下の命令なんですよ!」
「黙れ!」
紫の瞳が俺を睨みつけた。
「シグモント、いくら君でも、そのようなことを言うのを許すわけにはいかない。そのような……アンリ陛下を侮辱し、陛下が俺に賜ったかけがえのない友情を貶めるようなことを」
「背中の傷が、何よりの証拠です!」
「違う! 俺が背中をやられたのは臆病だったからだ。断じてアンリ陛下のせいではない。そのような疑いを口にするのも許さない」
「アンリ陛下は貴方に友情なんか感じていない!」
「シグ……」
紫色が凄みを帯びた。
「いくら君でもこれ以上はダメだ。即刻この場から立ち去れ」
息詰まるような殺意が感じられる。それは真っすぐに俺へと向けて放たれていた。ヴァーツァは本気だ。本気で俺を殺そうとしている。アンリ陛下の彼への友情に疑問を呈した俺を。
……ヴァーツァは陛下を選ぶのだな。俺への信頼より。
ずくりと胸が痛んだ。
踵を返し、その場を立ち去った。
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