第4話 廃村


 エシェック村は、ほぼ廃村となっていた。家や建物は壊れ、人の気配はない。

 蛮族の進入に対し、アンリ殿下(その後国王に即位されたが……)の采配でペシスゥス軍は大勝利を収めたと伝わっている。けれど、村自体は消滅してしまったようだ。


「ええと。どうしようかな」

 声に出して言ってみた。もちろん、返事はない。


 ジョアンの話では、仮にも未来の王を救った英雄の遺体だ、村のどこかでカルダンヌ公の柩を保管しているのだろう、ということだった。

 つまり、公の遺体が行方不明というのは間違いで、ただ、戦後の混乱の中で、一時的に所在がわからなくなってしまっただけ。


 でもそれ、どうだろうな。


 たとえば、絶対あってはならないことだけど、ジョアンにもしものことがあったら、俺は絶対、遺体のそばを離れない。ジョアンだって俺が死んだら、意地でも死骸を持ち帰ろうとするだろう。


 ヴァーツァ・カルダンヌという人は変人というか、悪人だったみたいだけど、それでもアンリ陛下のお命を救ったんだ。自分を庇って死んだ人の遺体を置き去りにして帰っちまうなんてな。アンリ陛下って……。


 村には人の気配が全くなかった。いったい誰が柩の管理をしてくれているのだろうか。

 途方に暮れていると、何かが目の前をすうーっと過った。


「ネズミ!」


 頭に黒い筋の通った、大きなネズミだった。道の真ん中で立ち止まり、こっちをじっと見ている。それからくるりと前へ向き直り、走り始めた。


 少し走って立ち止り、再び振り返り、俺を見つめる。


「ついてきて欲しいの?」


 問いかけると、そうだというように、しっぽを上げてぱたぱたと動かした。

 おもむろに、ちょろちょろと走り始める。

 こうしていても、何の解決しないのは明らかだ。辺りは暗くなりかけている。

 俺はネズミの後をついていった。


 丘を登ると、目の前に礼拝堂があった。

 礼拝堂、だと思う。とにかく人々が祈りを捧げる場所だ。


 断言する自信がないのは、神や天使の像や、それらを象ったステンドグラスなどが、全く見当たらないからだ。

 というより、全てが破壊されている。


 ネズミは建物の中へ走り込んでいく。


 礼拝堂は、まるで廃墟のようにしんと静まり返っていた。少し考え、ここまで来たのだからと、中へ入ることにした。


 中もやっぱり荒れ果てていた。壁の絵画は切り裂かれ、説教台や椅子は倒されている。

 ネズミの姿は見えない。


 日が暮れ、辺りはすっかり暗くなっている。

 王都からの長旅でくたくただった。とりあえず、今夜はここで一泊することにした。不気味な建物だが、野宿よりはマシだろう。




 朝、目が覚めた時、ここがどこだかわからなかった。敗れた天蓋付きのベッド。シーツのない埃臭いマットレス。


 思い出した。

 エシェック村の礼拝堂だ。

 とりあえず、虫に刺された形跡がないのだけが救いだ。


 飛び起きて階段を下りて行った。

 相変わらず人の気配はない。

 裏庭に井戸を見つけ、顔を洗う。

 お腹がぺこぺこだった。とにかく食べ物を見つけなくちゃならない。


 幸い、パントリーには、乾燥肉など大量の保存食があった。

 いつのものかわからないが、瓶に異常はないし、ビスケットもぱりっとしている。どうやら食べられそうだ。

 てか、ご馳走じゃん。いつもの食事より、はるかに豪華だ。


 水も食料もあることだし、エシェク村に滞在中はこの礼拝所に滞在するのがいいだろう。念の為、建物の構造や安全性を確かめる必要がある。食事が終わると、建物の中を歩き回り始めた。


 一階の壁を調べていた時、妙なでこぼこに気がついた。隠し扉だ。ドアノブがなく、壁と同系色の引き戸になっている。


 扉を引いてみた。鍵はかかっていない。


 思った通り、小部屋になっていた。窓の鎧戸が閉まっており、中は真っ暗だ。

 とりあえず鎧戸を開けて明るくしよう。日常魔法は消耗が少ないが、体力温存は大切だ。


 埃が凄そうだったので、布で口を覆い、窓の鎧戸に手を掛けた。がたぴしと軋んだが、思っていたよりスムーズに動いた。

 明るい日光が射しこんだ。細かな埃が、太陽の光を浴びてきらきらと舞っている。


 残りの鎧戸も開け放ち、新鮮な空気を入れる。そうしておいて、初めて振り返り、部屋の様子を確認した。


 小さな部屋だった。どうやら聖具室として使っていたらしい。僧の祭服や式典用の小物、楽器や燭台、それに羊皮紙を束ねた書類などが、無秩序に積み上げられている。


 けれど、そうした物が目に入ったのは、ずっと後のことだった。


 俺の目は、部屋の中央にあった台の上に吸い寄せられていた。

 朝から昼間への、一日のうちで一番すがすがしい光を浴びて、祭壇の上に安置されたガラスケースがきらりと光った。


 透明なガラスの向こうに、この世のものとは思われないほど美しい男が、青い薔薇に埋もれて横たわっていた。


 生きているのかと思った。それほど、男の顔は血色がよく、表情も穏やかだった。

 まるで眠っているようだ。

 紺色の軍服姿で、青い薔薇に囲まれてガラス製の柩に納められた男……。


 ある予感があった。

 そして予感は正しかった。

 柩には、プレートが貼りつけられていた。


「ヴァーツァ・カルダンヌ公、ここに眠る

 彼は偉大なるアンリ殿下を死より救った」


 ヴァーツァ・カルダンヌ公。

 現在、都を絶賛呪詛中の悪霊だ。


 ということは、眠っているんじゃない。この男は、死んでいるのだ。

 これは彼の柩だ。ガラスでできた、素通しの柩。







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