Aパート
男を殺したと言う女性、私たちは事情聴取のため署に連行して取調室に入れた。彼女は本間英子というあのホテルのパート清掃員だった。ただしそれは夜間のみで、昼間は大森食堂という鷹山大学近くの飲食店で働いていた。
彼女はやつれきっており、その手は荒れてひどくささくれていた。水仕事で日夜働いているからだろう。そんな彼女が客である男性を刺すとは・・・。彼女は取調室に入ってからずっとうつむいている。
「男を刺した状況を話してください」
私がそう言うと英子は顔を上げた。そしてポツリ、ポツリと話し始めた。
「私は廊下を掃除していました。すると部屋から若い女の子が逃げて行きました。その後で男が部屋から出てきました。イライラした様子で私に食って掛かり、ついにはナイフを持ち出して・・・・気が付くと男を刺していました」
彼女はそう説明したが、肝心の男を刺した様子がわからない。それに彼女の説明が合理的に納得できるものでもなかった。
「どうして男はあなたに食って掛かったのですか? ナイフまで出して」
「え! ええと・・・気に食わなかったのでしょう。廊下で掃除していたから・・・」
「男はナイフであなたを刺そうとしましたか?」
「はい。でも抵抗しました」
「それでナイフが男に刺さったと」
「はい」
「それは廊下でしたね」
「はい」
「じゃあ、あなたは男を廊下で刺して部屋の中に運んだのですか? あの大柄な男を」
私の言葉に英子は困った顔をした。彼女は嘘を言っている・・・私はそう感じた。
「いえ、そうではなかったかも・・・。ナイフで脅されて部屋に入ってから・・・だったように思います」
英子は証言を変えた。それからいろいろと彼女に尋ねてみた。そのたびに彼女の供述は二転三転した。それに彼女の言うことはすべてあいまいなものだった。
英子は犯人ではないと私は確信した。
◇
殺人事件の捜査は続いていた。会議室で捜査会議が開かれ、捜査員から報告が行われていた。
「本間英子は15年前に徳島から上京。家族はいません。昼は大森食堂のパート職員として、夜はホテルラウンジの清掃員として働いています。勤務態度はまじめで職場での評判もいいようです。食堂に来る学生からも慕われているようです」
昼間は学生相手の食堂のおばちゃん・・・自分の子供くらいの年齢の学生たちから母親のように慕われている・・・そんな感じだろうと私は思った。その彼女が殺人とは・・・。倉田班長が岡本刑事に尋ねた。
「南野との接点は?」
「今のところわかりません」
「本間英子は自分が犯人だと主張しているが・・・」
「供述の様子から英子が犯人だとは思えません」
私はそう意見した。倉田班長も同じ意見のようだ。
「俺もそう思う。英子は誰かをかばっている。交友関係は?」
「特に親しい者はいないようです。まだ捜査中です」
単純な事件なはずだが、英子のために捜査が混乱しているようにも感じた。
「とにかく事件を洗い直そう。被害者については?」
すると藤田刑事が立ち上がった。報告書を読み上げていく。
「被害者の南野はホストでかなり悪質だったようです。酔った女をホテルに連れ込んでモノにして、金のある女は貢がせ、ない女は風俗に売り飛ばしていたそうです」
「その夜も近くのスナック『ゴン』で合コンをして、酔った若い女性を連れ出したようです。従業員がそう証言しています」
「その女性は多分、防犯カメラに映っていた女性です。南野が刺されたと思われた時刻の少し後に小走りで出て行っています」
「その女性は? 身元は?」
倉田班長が聞いた。
「いいえ。それはまだです。その合コンの参加者に聞けば判明すると思います」
「よし。岡本はその女性を探してくれ。現場から指紋や遺留品は?」
すると鑑識の山下主任が立ち上がった。
「ナイフの指紋はふき取った跡がありました。部屋のドアのノブもそうです。犯人の遺留品は今のところ見つかっておりません」
「そうか。犯行のあとを消しているな」
現場から物証は出ていない。こうなったら証言を積み上げていくしかない。
「本間英子は何かを知っている。彼女から証言を引き出すしかない。日比野。頼むぞ」
倉田班長にそう言われて、「はっ!」と返事はした。だが自分が犯人だと強硬に主張する英子が本当のことを言ってくれるだろうか・・・私は不安だった。
◇
取調室では英子は暗い顔をしていたが、唇をぎゅっと結んで意志の硬さを示していた。このまま押していてもらちが明かない。私はとりとめもない話をした。
「食堂で働いているんですって。学生さんたちがよく来るんでしょ」
「ええ。若いからたくさん食べるわ・・・」
英子は表情が緩んで話し始めた。彼女の話ぶりから本当に若い人たちに愛情をもって接しているように感じた。
(これだけ饒舌に話せるんだから、事件のことも口を滑らせるかも・・・)
私は期待を持った。
「仕事は大変でしょう。昼間も夜も働いているから」
「若いころからだから慣れたわ」
「夜の清掃の仕事も大変そうね。そんなに手が荒れて・・・」
「気にならないわ。あんなホテルだけどもお礼を言ってくれる人もいるのよ」
「どんな人がいるの? 知っている人がいるのね」
私は少しずつ確信に近づこうとしていた。しかし英子は急にそれに気づいたようだ。
「知っている人なんかいません!」
「え、ええ。そうならいいのですよ」
「本当に知らないんです! 知っている人なんか見たことがありません!」
英子は感情的になっていた。
「私が刺したんです! 殺したんです! 信じてください!」
英子は必死に訴え続けた。その様子は確かに誰かをかばっている・・・それは誰が見てもそう思うだろう。私はため息をついて彼女の様子を眺めていた。
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