第16話
いじめ役の少年は三人。
主犯格の少年は、三人の中ではいちばん背が高く、体格がいい。ほかの二人は、一人が小ずるそうで、一人は気が弱そう。
「見せてみーろよ」
小ずるそうなのが、机の前に座る主人公の手元から、ノートを取り上げた。
「なんだよ、これ―、笑える」
「返してくれよ!」
「誰、書いたの? 音楽の秋本先生?」
「うわ、キモ! 盗み見てんだ!」
「返せって!」
主人公の少年が怒鳴った途端、いじめ主犯格の少年にノートが手渡される。
「あんなに近くで撮ってるんだねー」
根本さんが、感心した。
カメラのことだ。俳優業も大変だなあと思う。すぐそばでレンズを向けられ、その状況で自然に振る舞うなんて。
自分には絶対できない。春奈がそう思ったとき、涼くんが、
「あー、だめだなあ、あれじゃあ」
と、呟いた。
「何が?」
根本さんが訊く。
「もうちょっと居丈高に振る舞わないと。あの表情じゃ、どっちがいじめられてんだかわからない」
いじめ主犯格の少年の演技に物足りなさを感じるようだ。
十分、嫌な感じするけど?
たしかに、ちょっと表情がわざとらしい気もしなくはないが。
「キモいって言ってんだよ!」
主人公の少年が蹴りつけられ、椅子から転げ落ちた。
「やだ、見てられない」
根本さんが顔を背ける。
「ほん、や、ですよね」
と、春奈が頷いたのと、主犯格の少年が床に叩きつけられたのが同時だった。
「わ、な、なんですか!」
主犯格の少年が叫んだ。
と同時に、スタッフが数人駆けつける。
「なんなんだ?」
「何考えてんだ?」
スタッフの罵声は、主犯格の横にたたずむ灰色たちの一人に向けられた。
あの人――藤堂さん?
「動くなって言っただろう?」
「何度言ったらわかるんだ! あんた、台本読んできた?」
怒鳴られてしょげているのか、反省しているのか。藤堂さんの生気のない顔からはわからない。ただ、ぼんやりと床に叩きつけられた少年を見ている。その様子は、お坊さんのような風貌のせいか、胸の前で手を合わせれば祈っているようにも見える。
――すみません、我慢できなくて
ぽそりと藤堂さんが言った。春奈たちのところから、藤堂さんの声は聞こえない。多分こう言ったんだろうと推測する。
「おい、涼は?」
スタッフの一人が、首をめぐらして涼くんを探した。
涼くんは春奈たちの横で、灰色たちと見間違うくらい青くなっていた。
「行ったほうがいいよ」
春奈がが促しても動かない。
「どうしたの?」
「嫌だなあ。合わせる顔がない」
おそらく無理に頼み込んだのだ。いくらちょい役でも、メジャーじゃない映画といっても、出演したい俳優は星の数ほどいるはずだ。そこを知り合いだからとねじ込んでくれたのだ。
もちろん、いい顔をしたかったというのもあるだろう。いや、映画製作に係れるのが嬉しかったのかもしれない。
そんな涼くんの気持ちも考えず、あの灰色ときたら!
だが、暴挙は藤堂さんだけに収まらなかった。
「や、やめろ!」
気弱そうな少年が悲鳴を上げた。
「おい! 何すんだ!」
「やっべえ……」
さすがに涼くんが駆け出した。
剣持さんが、気弱そうな少年の首を絞めようとしている!
「わあー! やめてください!」
岩根さんが小ずるそうな少年の長めの前髪を引っ張っている。
バン!
教室の後ろのドアが開く音が響いた。
涼くんが教室内に入ったのと、監督が現れたのが同時だった。
「――元気出しなよ」
翌日紅八馬に現れた涼くんに、春奈はほかに言葉が思いつかなかった。
涼くんはすっかりしょげている。それでも、遅刻もせず仕事に来たのはえらい。
午前九時。昨日、春奈と根本さんはすぐに帰ったが、涼くんは遅くまで撮影を見ていたはずだ。
作業場へ入る廊下を、春奈は涼くんと進んでいる。
「信用なくしちゃいましたよ」
心なしか、足音が重い。
「そうだよねえ」
当然だと思う。勝手に振る舞うのは、俳優の仕事じゃないだろう。ドキュメンタリーならまだしも。
「クビ、でしょ?」
聞くまでもないが。
「当然です、三人とも」
「だよねー」
作業場のドアを開けた。ひんやりした空気と同時に、しゅるさんの姿が見えた。空気がさらに冷えていく気がする。
「おはようございます」
春奈が声を上げると、しゅるさんはゆっくり振り向いて、それから頭を下げた。
「ご迷惑をおかしてしまって……」
はーっと、涼くんがため息をついた。
「残念ですけど、クビですから」
「聞きました」
「やむを得ないです。あんな振る舞いをされたら」
「藤堂さんの気持ちはわかります」
「へっ?」
しゅるさんの返事に、涼くんが目を剥いた。
「気持ちがわかるって、いじめ役の少年を蹴飛ばした気持ちですか? だって、演技なんですよ、演技!」
それから涼くんは、衛星帽子の上から、頭を掻きむしった。
「散々だったんだから。監督には叱られるし、友達には呆れられるし」
「もう、仕事はもらえませんか?」
「無理ですよ!」
「ほかの仕事でも?」
「僕にあてはありません!」
まだ二十代の涼くんが、そうそう人に紹介する仕事のあてはないだろう。
そのとき、真坂さんが入ってきた。
「クビになっちゃったんだって?」
根本さんから昨日の顛末を聞いたようだ。
「真坂さんのほうはどうでしたか?」
春奈は訊いた。真坂さんも、灰色たちに仕事先を見つけてくると言っていたはずだ。
「これからなんだよ。今夜が初日」
「居酒屋さんでしたっけ」
「そう」
真坂さんは頷いて、ドアに張られた今日の作業の段取りを読み始めた。
真坂さんが連れていく灰色は、うまくやれるんだろうか。
やれるといいけど。
まだぷりぷり怒っている涼くんの横で春奈は作業を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます