第3章 逆転 vol.2

「この前お話ししていた、全国ツアーの日のことなんですけど」


授業前、春木さんから打ち合わせしたいことがあると言われ、リビングのソファに通された紗希子は、その座り心地の良さも相まって、なんだかぼんやりとしていた。


「永尾先生?どうしました?」

「あ、すみません、何でしたっけ?」

「全国ツアーのことです」

「ああ、そうでした、ごめんなさい」


紗希子がぼんやりしている一番の理由は無論、林先生がくれた言葉のことだった。


『信じちゃったらええがよ』――あれから自分なりに、成世を信じようと試みた紗希子だったが、どうも状況は平行線のままのような気がしてならない。


学力も停滞しているような気がする。


一方で、全国ツアーを控えていたり、仕事が忙しいことも、ポラリズのみんなや春木さんを見ていればわかる。


それでも成世は何かと必死に闘って、頑張ろうとしているようにも見える。


夏は天王山。


私は今、彼に何が出来る――?



「という訳で、永尾先生も大学の試験とか忙しい時期に申し訳ありませんが、よろしくお願いします」


「あっ、はい!私は大丈夫です!よろしくお願いします」




全国ツアーは7月24日、東京会場からスタートする。


その後、

7月28日・仙台、

7月31日・札幌、

8月5日・名古屋、

8月8日・広島、

8月9日・福岡を回って、

8月12日、大阪でツアーファイナルを迎えることになっている。


そのうち、会場やホテル、彼らの他の仕事との兼ね合いと、紗希子の大学の試験との調整が7月頭にようやく固まった。


紗希子は自分の試験が終わる8月4日、その足で名古屋へ向かい、成世の部屋で授業をし、一泊。


それから一旦東京に戻り、最終日前日、大阪で合流。また前日に成世の部屋で授業をして、翌日はコンサートを客席から観ることになった。


紗希子自身、観るつもりなんてさらさら無かったが、春木から「ぜひ」とチケットを手渡され、断る術もなくそういうことになった。





「全国ツアーってすごいよね。これだけ大都市を回れるのって、やっぱり人気があるからなんだよね?ほんとすごいよ」


授業が終わり、成世がなんとなく元気がないような気がしてならなかった紗希子は、全国ツアーの話題を振ってみることにした。どうせ今は全国ツアーのことで頭がいっぱいなのだろうから、その気持ちに少しは寄り添ってやらねばならないと考えたのだ。



でも・・・やっぱりうまくいかない。


「・・・は?あんたに何がわかるんだよ」

「え?どうしてそうなるの?」

吐き捨てるように成世が言った、その言葉の真意がわからない。


「・・・何でもねーよ」

「何でもないってことはないでしょう?ちゃんと話して」

「あんたに話すことなんかねーよ」

「嘘。私にはわからないこともたくさんあるけれど、でも、私にしかわからないことも、きっとあるよ?」


成世は鋭い目つきで紗希子を見上げた。


今、君は何を思っているの?どうして怒っているの?

こんなに近くにいるのに、君の気持ちがわからない。


それは、生きてきた時間や場所があまりに違いすぎたし、今もずっと違うから、仕方のないことだとも思う。


けれど、私は諦めたくない。信じたい。君が望むなら、私も全力でぶつかっていく。


だから――。



成世は諦めたように髪を掻き乱した。


「・・・俺、ぶっちゃけもう、どうしたらいいかわかんねぇんだよ。あんたは、自分の目標は自分で決めろって言ったけど・・・結局俺は、あんたみたいに頭良くねぇから、だらしなくて、弱くて、自分との約束とか守れねーし、どっちを選んでも誰かが望まない結果になるし、こんなの・・・初めてで・・・」



頭で考えるより先に、体が動く――なんてこと、紗希子は初めてだった。


気付いたら、紗希子の手が不器用に伸びて、成世の髪を撫でていた。


いつも王様みたいに偉そうだと思っていた成世が、子犬のように震えているのを見ていたら、自然とそうなっていたのだ。



「いいよ。誰が望まなくたって、世界中のみんなが望まなくたって、君が望むなら、それを目標にしたらいい。私が応援してあげる。私だけは、君が望むものを全力で応援してあげる」


「なんで・・・あんたが・・・」


「君の家庭教師だからだよ」


そうだ、そうだった。私は彼の家庭教師。それ以上でも以下でもない。

紗希子は慌てて成世の髪から手を離す。


成世は肩を落として俯き、床に向かってポロリと吐き出すように低い声を発した。

「金目当てのくせに・・・」


「え?・・・まあね、アルバイトだからね。慈善事業じゃないからね」

なぜ突然そんなことを言い出したのかわからず戸惑う。


「ほら、やっぱりな。みんなそうなんだよ。俺は金を稼ぐための道具でしかない」


金を稼ぐ道具――確かに最初はそうだったのかもしれない。


でも今は、そんな言葉では言い尽くせないほど、紗希子は成世の授業や学力、学習状況に向き合っている。


・・・っていうか。道具なら黙ってよ。いつもいつも、私を困らせて・・・。


いや、それも違う。なんなの、この気持ち・・・。


紗希子はイライラしていた。


成世に?


ううん、どちらかと言えば、自分の気持ちがわからない自分に。


「は?なんでそんなこと言われないかんが?・・・むしろただの道具やったらなんぼか良かったに。あんまり人をバカにせられんよ」


紗希子はもう、頭に血を昇らせて、最早自分が何を言っているのかもよくわからなくなっていた。


私がどれだけあんたのことを心配して、あんたをなんとかせないかんと思っているか。


毎日毎日、授業がない日もあんたのことばっかり考えて・・・。


「えいかえ?なめとったらいかんぜよ!」

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