第2章 無理難題 vol.1

紗希子にとっては藤宮成世の方がよっぽど鬼だった。晃斗は親切でいい人だった・・・が、何を考えているのかわからない人でもあった。


大弥、マリオとは打ち解けて、たまにポラリズの豪邸で夕飯をごちそうになったりもする。ここでの食事作りはメンバー交代制だそうだが、腕前の関係で、主に大弥と晃斗が担当している。


王子はクールで大人しいけれど、常によく周りを見ていて内側には熱いものや優しさを持った人だということが、食事を共にするうちにだんだんと分かり始めた。


問題は藤宮成世である。勉強の方は、思っていたより出来た。聞けば、中学から6年一貫の有名進学校に通っているらしく、芸能活動をしながらも可能な限り授業に出席し、欠席分を取り返すために大量の課題をこなしていたことが功を奏したようだ。


「そう。だから俺は別にあんたに習わなくてもできんの。ってことで、今日は疲れてっから。寝る」

「は?ちょっと待って、今日はやるって言ったよね?せっかくだから勉強しようよ」

「今日も授業は予定通り実施したってことでいいから」

「いやいや・・・」

・・・って、もう寝てるし。


こういうことが度々あって、まともな授業にならない日も多い。授業がつまらないからかと思い、色々試してみたりもしたけれど、「子供扱いすんな」と怒られた。確かに、勉強嫌いの子供にするみたいな工夫だよなぁ、と妙に納得してしまう。


でも・・・いくらまだ5月とはいえ、さすがにこの調子では東大どころか、それなりの名だたる大学であればどこであれ、一般入試をクリアすることは難しい。


どうしたらやる気になってくれるのか。本気を出してくれるのか。本気になれない理由があるのか。


あまりにも手強い相手だった。





紗希子は毎月月末に1回、事務所に報告書を提出しに行く。


事務所とは、面接が行われた場所と同じである。


4月末、最初の報告に上がった際、平沼は意気揚々と紗希子に声を掛けてきた。


「どうだい、例の彼は」

他の家庭教師と出社が被ることもあるので、互いにうっかり名前を出さぬよう気をつける。


「ええ、なかなか手強いですね」


平沼の表情は紗希子を気の毒に思うようなものだったが、少し楽しんでいるようでもあった。


「東大生という手札を持ってしても難しい相手だったか。何、中学生レベルの計算も出来ないとか、そんな感じ?」

「いいえ、それ以前の問題です」

「なんと!」


大袈裟に仰け反る平沼は、きっと別の想像をしている。ここは正直に話して、なんとか手を打ってもらわないと。後になって、こんなはずじゃなかった、と言われても、迷惑なだけである。


紗希子は一気呵成に畳みかける。

「平沼さん、彼、勉強はそこそこ出来るんですよ。ただ、別のところに問題があります。授業を受ける気がさらさらありません。彼を合格させるようおっしゃった大学だと、そこそこ出来る、程度ではいけない、ということは、この仕事をされている以上平沼さんもよくご存じのはず。これでは到底間に合わないと思います。どうにかしていただけませんか?」


紗希子の勢いに押され、平沼は目を閉じ頭を捻った。そう、平沼さんならこういう生徒を他にもたくさん知っているはずだし、その対処法も数パターン持っているに違いない。


――しかし。


「それを考えるのが、君の仕事だよ」


なんと。丸投げかい!

もう二度と平沼には相談しないと、紗希子は固く誓ったのだった。





「成世、お前、どうするつもりだ?」

4月中旬に差し掛かるか否かという頃、成世は事務所の社長室にいた。社長から直々に呼び出されたのだ。


「突然大学受験、しかも一般受験で?何を考えている。ポラリズにとって、今が一番大事な時期だってことは、お前が一番よくわかっているはずじゃないのか」


「はい、わかっています」

成世はローテーブルを挟んで向かい合って座っている社長の膝のあたりに視線を落としたままじっとしていた。


「その上、この前のコンサート会場では、ちょっとした騒動にもなったらしいじゃないか。そうなってくると事務所としては、黙認するわけにもいかないんだ。わかるだろ」

「はい」

「わかるなら、変な気を起こさないで、今まで通り頼むよ」

「はい。――失礼します」


社長室を後にした成世は、乱暴に髪を掻き乱す。社長と母親には何も言い返せないし、頭が上がらない。そんな自分が、成世は心底嫌だった。でも、俺は――。





それで成世は、結局どっちつかずな態度を取ってしまっている。一番ダサいことだと思いつつも、また今日もベッドの中に潜り込んでしまった。


仕事と学生生活の両立で、疲れていないと言えば嘘になるけれど、別に家庭教師の授業を放棄しなければならないほどではない。その証拠に、成世の目は嫌になるほど冴えていた。要は、ただ現実から目を背けて逃げているだけの話だ。


そろそろアイツに愛想を尽かされるかもな。・・・ま、それもアリか。


むしろこれで愛想を尽かされないのだとしたら、きっとそれは別の目的があるからだ。例えば、単なる商売道具としか思っていない、とか。社長や、母親みたいに。


一旦そんな考えが浮かんでしまったら、もうそうとしか考えられなくなってしまう。


そう、どうせアイツも、俺の家庭教師をすることでたくさんの給料をもらっている。


そうでなきゃ、わざわざ俺みたいな、わがままで王様みたいに振る舞っている奴の家庭教師なんて、すぐに願い下げだろう。


それでもかれこれ1ヶ月続いているのは、間違いなく金だ。


もしくは――最近やたらと仲が良さそうな、他のメンバーの誰かと・・・いや、それはない。絶対ない。ない・・・、はず。


はず、と思うのは、心当たりがないわけでもないから。


それは、紗希子とやけに親しげに見える、大弥のことだった。


初めこそ、成世にあんなモノを買ってきたりと、ドラマか何かの見過ぎによる禁断の展開を、紗希子と成世の間に期待するような態度だった大弥。


なのに最近は、紗希子のことを話題にする頻度こそ多いが、大弥の口から出る紗希子関連の話題において、成世の存在は無いに等しかった。


俺がこうしてベッドの中で時間を無駄にしている間にも、大ちゃんはきっとアイツを夕飯に誘い、仲良く談笑していることだろう。


そのために大ちゃんは、アイツが家にやって来る日に、決まって自分が夕飯当番になるよう仕組んでいるらしいのだ。すっかり見慣れた場面だが、成世には遙か遠いスクリーンの向こう側かのように思えた。


まさかアイツも大ちゃん狙いだったりして・・・。


・・・なんだ、それ。だから何。馬鹿馬鹿しい。たとえそうだとしても、俺に何の関係があるというのだ。


成世はそこで思考をシャットダウンした。

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