Secret Lesson〜イケメン高校生アイドルとアイドルに無関心な東大生家庭教師の相関関係〜
森川 町音
第0章 プロローグ
天を仰ぎながら、その場で360度くるりと一回転。踊っているわけではない。華麗に回転したわけでもない。
右手には地図アプリを表示したスマートフォン。酷い方向音痴のせいで、目的地に対して進むべき方向がわからないのである。
振り返れば、来た道わずか50m。途方に暮れる彼女の横を、妙にハイテンションな女子たちばかりがすり抜けていくのは何故なのか。
永尾紗希子がその訳を知るのは、もう少し後のこと。
しかし、いくら慣れない土地とはいえ、方向音痴もここまで酷いとこの先が思いやられる。
最も、人生における方向感覚は、抜群に長けていると自負している。この春高校を卒業し、18年間育った高知を離れて上京したのは、東京大学に進学するためである。
無論、『東京大学現役合格』は、生半可な人生計画で成し遂げられる偉業ではなかった。けれど、一度も迷うことなく突き進むことが出来た。見えない道を自ら切り開いて進むのは得意なのである。
なのに、リアルに存在する決められた道順は、どうしても正しく進めない。大体間違って反対方向に進んでいる。
私って、ほんとちぐはぐだな。バランス感覚どうなってんだろ。
紗希子はいつもそう思う。
腕時計をチェックして、思わず溜息をついたその時だった。
「あの、もし良かったら、案内しましょうか?」
極寒の中ようやく辿り着いた秘境の温泉に身を浸したかのような、緊張感が解けてゆく紳士的な声。紗希子はその言葉が自分に掛けられたものだとは、瞬時に察しがつかなかった。
○
これまで紗希子が異性に吹っ掛けられた言葉と言えば、やれ『ガリ勉』だの、やれ『ブス』だの、そんな取るに足らないセリフばかりだった。小学生の頃の話だ。
学年が上がれば、女の子は徐々に美しさや色気を身につけていく。それは、同性の紗希子から見ても素敵だなと思うほど。
一方で、紗希子のようなガリ勉メガネの地味でブスな女子は、男子の視界にも入らないらしい。男子から言葉をかけられることすら無くなった。
強いて言えば、3歳下の弟がごくたまに声を掛けてくるくらいだが、それでさえもはっきりとは思い出せないほど取るに足らないか、過去の話だ。
異性関係の云々において、別に多くを望んではいないけれど、この世に存在している人間の、少なくとも半分からは自分の存在が無視されている、と思うと、やはり少し虚しい。
上京する直前、父・母・祖母より『東京の男に誑かされたらいかんで。相手は親切ぶって寄ってくるがやき。気ぃつけよ?』と再三言われていたけれど。
これだけ人が大勢行き交うこの大都会で、わざわざこんな自分を誑かそうと近付いてくる物好きもいないだろう。紗希子は素直に案内をお願いすることにした。
「その行き先は・・・もしかして『ポラリーズ』ですか?」
黒崎と名乗る男の半歩後ろをちょこちょこついて行く途中、唐突に訊ねられ、紗希子はぽかんと口を開いた。
「あの、『ポラリーズ』・・・って何ですか?」
紗希子と黒崎の間に流れる空気が完全に止まったのが、『空気を読む』という行為がどうも理解しにくい紗希子にもわかった。
「すみません、何でしょう・・・」
紗希子が訊ねても、黒崎は口元を押さえ俯いたまま、何も応えない。困惑していると、ようやく紗希子の方を振り返り、可笑しそうに笑った。
「こちらこそ、すいません(笑)・・・いや、あの、揶揄うつもりとか、そういうのではなくて。本当に」
今度は黒崎の方が困惑したように両手を振りながら否定した。それは紗希子が突如真顔で黒崎の目をじっと見つめたことに起因する困惑だろう。
しかし紗希子は、黒崎に対して怒っているとかそういうことではなく、単にこの時初めてはっきりと捉えた黒崎の目があまりに美しかったので、思わず引き込まれてしまっていたのだった。
・・・そんなことより!
「『ポラリーズ』って何ですか?」
紗希子は日常生活において、わからないことを放置しておくのが頗る苦手な質なのだ。
「『ポラリーズ』・・・それは・・・」
そのグループ名は、常にそこにいて、北の方角を示す“道しるべ”の役割を果たす北極星、すなわちポラリスから来ており、「5人があなたの道しるべとなるように」という意味が込められているそう。
そんな『ポラリズ』のファンを、『ポラリーズ』と呼ぶらしい。
メジャーデビューこそまだであるが秒読み状態で、近年では音楽活動のみに留まることなく、ドラマや映画、モデルで活躍しているメンバーなんかもいるらしい。まさしく新進気鋭の5人組なのだとか。
紗希子にとっては未知なる世界の話だった。
ただし、唯一紗希子の脳内にもはっきりと名を刻んでいる人物がいた。
藤宮成世――その男こそ、紗希子が今探し求めている男なのだった。
なぜ紗希子がポラリズの出世頭と呼ばれる藤宮成世を探しているかって?
それは簡単な話である。紗希子は今、その男の元へ向かっている。なぜなら紗希子のアルバイト先であるからだ。
上京初日、引っ越しの片付けもそこそこに、紗希子は高校卒業前から綿密に計画し、応募しておいたアルバイトの面接に出掛けた。
何もそんなに早くアルバイトを始めることはないだろう、学生の本分は学業だ、と家族は反対していたが、女一人東京という大都会で強く生きてゆくには、そのくらいの逞しさが必要だと、自分自身への戒めのためにも譲れない計画だった。勉強は得意だし、自身の学業との両立についてもしっかり計画済みである。そういうところは抜かりないのが紗希子だ。
採用面接はトントン拍子で話が進んだ。面接を担当してくれた平沼という男性社員は、開始5分でこう言った。
「君がこの条件をのんでくれると言うのなら、すぐにでも雇って差し上げよう。時給は10,000円。さて、いかがかな」
少し胡散臭いとも思ったが、平沼自体は悪い人でもなさそうだったし、何より紗希子にとって魅力的な単語がそこここに散らばっていた。
その後平沼が提示した『条件』というものを、次に記す。
①業務内容は『藤宮成世』の専属家庭教師。彼を東大ないしそれに匹敵する大学へ現役で合格させること。(ちなみに彼はこの春高校3年生になるので、タイムリミットは1年を切っている)
②その業務内容についての一切を他言しないこと。どんなに親しい、信頼出来る間柄であっても、家族であっても厳禁。SNSで発信することや、知り合い未満の人物に話すことは言語道断。家族等にどうしてもアルバイト内容を伝えなければならない場合は、家庭教師とだけ伝えること。生徒情報は個人情報取扱の観点から一切お話しできないと言って逃れよ。また、業務終了後も同様、一切の他言を禁ずる。
③指導場所は固定でない。出張あり。行き先に応じて交通費・宿泊費の満額支給あり。
④『藤宮成世』及び彼が所属するダンスボーカルグループのファンになっては断じてならない。
直感により即答で「ぜひ、お受けいたします!」と答えたことに、紗希子は我ながら驚いた。
②④はまず問題なくクリア出来る自信があった。①で提示されたミッションは、想像するに、たやすくない。相手の学力も知らずに受けるのはあまりに軽率であったと思うが、それ以上にワクワクしている自分もいた。③に関する問題については不安が尽きないが、自力でなんとかするほかない。
というわけで、今日はその『藤宮成世』の初回指導日なのである。
指導場所は、『アリーナ・藤宮楽屋』。
黒崎曰く、今日アリーナで行われるのはポラリズのコンサート。
そうか、私が道に迷っている間、傍らをすり抜けていったハイテンションな女の子たちは、ポラリズのコンサート会場に向かっていた、というわけか。
そういうことなら、ファンだと言っておいた方が話は早かった。紗希子がそう思うよりほんの少し早く、黒崎が言った。
「ポラリーズではないのに、なぜアリーナに?」
・・・ですよね。平沼の言葉を借りるなら、黒崎は『知り合い未満の人物』に値する。断じて本当のことを悟られてはならない相手であることは言うまでもない。何か適切な言い訳はないものか。その適正解が見つかるよりも先に、アリーナらしき建物が現れたなら・・・。
「どうもご親切に、ありがとうございました!」
どうせ二度と顔を合わすことのない相手だ。罪悪感と黒崎を振り切って、紗希子は逃げるように『アリーナ・楽屋』を目指し駆け出した。が、少し胸が痛んで途中で振り返るも、黒崎の姿はまるで幻かの如く、すでに無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます