タワマンの影になる
日笠しょう
タワマンの影になる(前編)
日当たりだけがこのボロアパートの売りだったが、それも間もなくなくなるという。
築30年。風雨とヤニと経年劣化で年季の入ったアパートのすぐそばに、立派なマンションが建つそうだ。日照権、とかそういうのがあるんじゃないのかと思ったが、最近大家の羽振りがやけにいいので、何らかの取引があったのだろう。どうせ住民は俺だけだ。丸め込めるとでも、思われたのだろう。
ワンルームの、小さな城。西日が差し込む午後3時。窓を開け、ベランダとリビングの境界線にもたれながら紫煙を燻らす。サッシの部分が背中に刺さって痛い。城は言いすぎたかもしれない。よくて犬小屋だ。
コンクリートうちっぱなしのベランダに灰を落とす。時折、暖かい風が吹き込んで、ああそうか春なんだと気づかされる。空はのっぺりとしていて、世界中が止まっているみたいだと思う。
この町に思い入れがあるわけではないが、理由なく二十余年も住んでいると、だんだんそれ自体が理由になってくる。が、それも言い訳を良いように着飾っているだけなので、いまさら出ていくことになんの未練もありゃしない。
同年代は次々と人生のステージを進めていく。学生時代の思い出を舐め合うはずだった飲み会は、いつしかライフプランの発表会じみてきて、次第に足も遠ざかった。色褪せてもなお輝いている思い出にいつまでも浸っていたかったのに、誰もが大人ぶろうとして、あの場所が2度と戻れないところだと突きつけられる。それでも、今度こそは、と一握の希望に縋って懐かしくってくすぐったい記憶に会いに行くたび、幼稚な鼻っ柱をへし折られる。
あなたはまだそこにいるのね。
俺たちはもう通り過ぎたんだ。
そんなふうに、思い出の入り口で門前払いされる。
夕方になると、ようやく外は静かになる。最近は工事の車が激しく出入りし、日中はおちおち寝てもいられない。工事が終わってもまだ明るいこの時間は、もはや貴重で代え難い。
春の暖かい空気と、しみったれた冷たい煙を一緒に吸い込み、ないまぜにする。草の焦げる匂いにまぎれて、甘い花の香りが漂っている。懐かしい土の香りが流れてくる。春だ。
飲み会が人生進捗発表会に様変わりして、あれは3回目くらいだったか。
結婚したの、と突然言われた。突然、は烏滸がましいか。みんな予感してた。なんなら伝えてくれること自体が、ありがたい部類に入るほどだ。それほど、俺と彼女の距離は、こうやって振り返るのも可笑しいくらいに、遠かった。
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