ささくれ大工

春成 源貴

 

 神田竪大工町かんだたてだいくちょうに、腕がいいと評判の大工で政五郎という棟梁がいる。

 何人もの大工を使っていて、中には頼りない与太郎や人のいい甚兵衛など、職人らしからぬ者も抱えていたが、みな一様に腕はよい。そんな連中をまとめ上げる政五郎は人望厚く、顧客からの信頼も厚かった。

 ある時、少し離れた田所町にある、大店の質両替商日向屋が、御店を建て替えることになった。

 日向屋は、今の店主の半兵衛の代に身代を大きくした、振興の質両替商だったが、商いは親切で正直だと評判だ。創業以来の古い建屋を新しくしようという半兵衛は、大枚をはたいて腕のいい職人に依頼しようと考えた。

 その命を受けたのは、番頭の忠吉と若旦那の時次郎。二人は大工を探して方々駆け回っていたが、ちょうど運のいいことに、ひと仕事片付いて次の仕事を請け負おうかという政五郎に、新しい御店を頼むことになった。

 元々が人に恨みを買いやすい業種のくせに、随分と評判もよく、江戸の街では人気と信頼のある御店だったので、政五郎の方も時次郎から直接依頼を受け受けた時、二つ返事で快諾した。

 さっそく春先の吉日を選んで地鎮祭を行うと、無事に棟上げを済ませ、順調に御店は建っていく。

 元来が優しい時次郎は、自分が直接交渉した縁もあって頻繁に現場に現れると、政五郎だけでなく、棟梁の元で働く職人達のひとりひとり言葉をかけ、時々差し入れを持ってくるなどして職人達を労った。そうなれば、単純な与太郎などは素直に喜んで仕事に励んだし、他の職人達も期待に報いるために懸命に働いた。

 そんなある日、時次郎と番頭の忠吉に連れられた店主の半兵衛が現場にやってきた。


「おお、棟梁。すまないね、もっと顔を出さなきゃと思ってたんだが、つい、忙しさにかまけちまって」

「いやいや、旦那。こっちこそいつも若旦那に気を遣ってもらっちまって、すいやせん」

「いや、いいんですよ。気持ちよく働いてもらえれば」


 横から時次郎も笑顔で口を挟む。

 初老の半兵衛は杖をつきながら現場を覗き込んだ。

 今いる場所は、屋敷の中庭になる予定のところで、建屋自体は随分と出来上がっていた。

 板壁は打ち付けられて屋根の野地板も綺麗に並んでいる。丁寧な細かい仕事が成されているのが、遠目にも分かり、半兵衛は機嫌よく鷹揚に頷いた。


「うんうん。いいね。どうだい棟梁、案配は」

「へえ、順調でさあ」

「それは心強いね」


 曲がり始めた背中を伸ばす半兵衛の前で、政五郎が勢いよくかんなで板を削り始める。しゃっと気持ちのよい音が響いて、鰹節のような薄い削り滓が宙を舞った。

 隣では、手際よく鋸を使う甚兵衛が、木材を少し厚めの板材に変えていく。政五郎が板材を受け取ると、片側に鉋をかけて滑らかに加工する。それを与太郎が受け取って、建屋の中に入ると床に並べていく。


「棟梁?この今削ってた板はどうするんだい?」


 興味深そうに半兵衛が聞いた。


「ああ、こいつは床板にするんでさあ。こいつが終わったら、おんなじように天井を組みます」

「……今の板はこのまま、床にすんのかい?」

「へえ、そうですが?」


 半兵衛の眉が曇った。


「片側だけ鉋がけしてかい?」

「?」


 政五郎は手を止めると、訝しげに半兵衛を見た。甚兵衛と与太郎も手を止め、時次郎と忠吉も何事かと顔を見合わせた。


「ちょいと邪魔してすまないが……」


 半兵衛はそう言うと、今しがた与太郎が並べるために抱えた板材に手をかけた。与太郎はよく分からないまま、にこにこしながら板を半兵衛に差し出す。体格のいい政五郎よりも頭一つ大きい板材が地面に立てられ、それを与太郎が支える形なった。

 半兵衛はゆっくりと表面を見つめると、まず削った側をゆっくりと撫で、それから反対側を撫でた。


「痛っ!」


 半兵衛が小さく声を上げた。


「旦那?何事ですかい?」


 痺れを切らしたのか、政五郎が聞いた。

 半兵衛は少し肩を落とすと、はっきりとした声で言った。


「気に入らないね」

「へっ?」

「……気に入らないと言ったんだ」

「……どういうことで?」


 政五郎の声が、少し固く低くなる。棟梁を務めるだけあって、突然、気圧されるような雰囲気が流れた。実際、時次郎辺りは少し震え、与太郎も少し笑顔が強ばった。

 だが、半兵衛は引かない。


「こいつは床板に使うと言ったね?なんで片側だけが鉋がかけてあって、反対はささくれ立ってるんだい?」

「そいつはそういうもんなんで……」

「確かに、こっち側は素晴らしいくらいつるつるだ。いい仕事だよ」

「……へぇ、ありがとうございます」

「けど、棟梁……あんた見えないところは手を抜いてんのかい?」

「なんだと?」

「現場は時次郎と忠吉に任せてある。あんた、わたしが来ないのをいいことに……」

「手ぇ抜いてると言いたいんで?」


 政五郎は鉋を静かに置いた。


「おれはそんなことはしねえし、こいつらだっていつも全力だぜ」

「天井も床も綺麗かもしれんが、隠れる側は鉋もかけねえ、ささくれ立ってんじゃないか」

「おとっつあん!」


 時次郎は袖を引っ張った。


「そいつはいいんですよ。あたしが承知してます」


 時次郎は声を張って言ったが、半兵衛は聞く耳を持たない。


「承知してるんじゃないよ。そんなことされて……ダメなことはきちんと言いなさい」

「ダメじゃないんですよ」


 時次郎は再び言ったが、半兵衛はぷいと横を向いてしまった。

 今度は政五郎が口を開いた。


「……若旦那。まあ、仮に誤解だったとしても、こんなこと言われたんじゃ、あっしらは気持ちよく仕事できねえ」

「まあまあ、棟梁!」


 人のいい甚兵衛が政五郎を落ち着かせようとするが、効果はない。


「……この仕事は降りらせてもらい……」

「いやいや、そんなこと言わないで……」


 時次郎が、辞めると言い出した政五郎を宥めるが、今度は半兵衛が売り言葉を買ってしまう。


「いいよいいよ、他を探すさ」

「おとっつあん!」


 もはや収拾は付かなくなってしまった。

 職人達も棟梁がそう言うならと、あるものは冷静に道具を片付けはじめ、あるものは一緒に憤慨している。政五郎は、不貞腐れたように作りかけの縁側に腰を下ろして一服始めてしまった。

 半兵衛は憮然としている。


「坊ちゃん……若旦那……若旦那、ちょいと」


 時間を費やし手配した仕事が瓦解してしまうのを目の前にして、呆然とした時次郎に耳打ちをしたのは、番頭の忠吉だった。


「なんだい、忠吉」


 時次郎が、力なく答える。


「若旦那……ちょいとわたしに考えが……」


 そう言うと、忠吉は何事か時次郎に呟く。半兵衛はそれに気が付いているがなにも言わない。


「ちょっと、甚兵衛さん、ご相談……」


 すると、今度は二人して甚兵衛のところに行き、三人でなにごとか話し始めた。

 少しすると話がまとまったのか、時次郎は半兵衛を捕まえていった。


「おとっつあん。さっきも言いましたが、このことはわたしが承知してるんです」

「承知ったっておまえ……これじゃ手抜き……」

「なにおう!」


 聞き咎めて気色ばむ政五郎だったが、隣に移動した甚兵衛が腕を引っ張り押さえると、政五郎の耳元に口を寄せた。

 時次郎はそれをみながら政五郎に言った。


「棟梁、すみません。言い聞かせますから」

「言い聞かすって」

「おとっつあんは黙って!」


 珍しく鋭く言った時次郎に、さすがに半兵衛は口をつぐむ。


「これは確かに手抜き見えるかもしれないけど、違うんですって。あたしは聞いてるんです」

「そんなこと言ったっておまえ……」

「損はさせないと言われました。棟梁は手抜きじゃなく意図があって、裏側をささくれ立たせてるんだそうです」

「……旦那様」


 今まで黙っていた忠吉が口を開いた。


「今、若旦那が言われたように、確かに損はさせないと言われてます……それは請け負います……一つご提案なんですがね。ここは棟梁の思うままに作っていただきましょうよ」

「けど、おまえ……」

「これはきちんと意味があることなんだそうです。だから三ヶ月経って意味が分からなかったら、お金を半分返して貰いましょう。お代の半分です」

「おい、勝手に……」


 時次郎が、とっさに後ろから半兵衛の口を片手で塞いだ。


「どうです?棟梁は?」


 すでに、甚兵衛から伝わっていたとみえて、政五郎はすぐに頷いた。


「おう、構いやしねえが、意味が分かったら詫びを入れてもらうぜ……いや、おれにじゃなくてこいつらに」


 そう言って政五郎は、職人達を指差した。


「もちろんです。酒代も弾みますよ。いいですよね、おとっつあん?」


 時次郎はゆっくりと片手を離す。半兵衛は大きくため息をついた。


「勝手に決めおって。まったく……わかった。そうまで言うなら、まあ、なんかあるんだろうが……なにもなかったら、金はいいからもう一回立て直してもらうよ?」

「おうよ」


 半兵衛が念を押すように言うと、政五郎は鼻で笑って答えた。

 

 それからしばらくして、無事、屋根裏と床下がささくれ立ったまま、建屋は完成した。

 立派な二階建てで、屋根には黒光りする立派な瓦が乗っていて、四方に大きな鬼瓦も乗っている。

 完成してからも、ますます商売は繁盛し、その評判が広がってニヶ月目のある晩のことである。

 突然、天井裏で大きな物音がした。丑三つ時で、家族や奉公人がみな寝静まった時間だったが、大きな物音で、奉公人達が跳ね起きた。

 元より、奉公人に混じって腕っ節の強い男達も何人か雇われている。用心のためだ。鼠や小動物の類いにしては音が大きいということで「すわ、泥棒か」と家捜しが始まったところ、案の定、天井裏と床下からコソ泥が二人見付かった。

 すぐにその場で囲まれ取り押さえられると、奉行所に突き出されることとなった。とはいえ、真夜中のことで、すぐに突きだそうにも奉行所も閉まっている。

 同心番所から役人が来る間、半兵衛はコソ泥と対面すると、一人は小さな穴だらけになったほっかむりが外れ、もう一人は掌と膝に血が滲んでいる。

 縄で後ろ手に縛られたコソ泥が、悔しそうに言った。


「くそ、この家は新しいし儲けてるっていうから入ってみりゃ、なんだい、手抜き工事じゃねぇか」

「どういうことだ?」

「天井裏はささくれだらけで、掌やら膝やら、動かす度に痛え目に遭うしよ」

「床下は床下で、やっぱりささくれで頭は痛えし、被りは取れて破れるし……」


 もう一人もブツブツとこぼす。突然、半兵衛が大声を上げた。


「ああ、なるほど」


 得心したように、大きく頷いた半兵衛は、そのまま夜が明けると、政五郎の仕切る現場に酒樽を二つばかり運ばせた。

 そして、自分も駆けつけると、土下座せんばかりに詫びを入れた。

 政五郎は大いに笑い、半兵衛の肩を叩くと、同道していた時次郎と忠吉と一緒に酒を酌み交わし、すべて水に流したのだった。

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ささくれ大工 春成 源貴 @Yotarou2019

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