ささくれは少し深いくらいに切ると綺麗になる
藤瀬京祥
ささくれは少し深いくらいに切ると綺麗になる
「はぁ~……」
止まらない
「……はぁ~……」
(それ、何回目?)
あまりの溜め息に、思わず言葉が出掛かるのを慌てて手で押さえる。
するとそれを雅穂が見ていたらしい。
「乙訓さん?」
「あ、いえ、大丈夫。
なんでもない、なんでもない」
おそらく雅穂は、トラブル……というほど大きくはないけれど、なにかしらミスでもあったのではないかと気に掛け、環に声を掛けたのだろう。
まさか自分のほうが声を掛けられるとは思ってもいなかったから環は少し慌てるが、次の瞬間に丁度いいと気づく。
ややぎこちなくはなってしまったけれど、なるべく平静を装って続ける。
「それより武丸さんのほうこそ、なにかあった?
さっきからずっと溜め息吐いて」
「あー……すいません。
そんなに吐いてました?」
どうやら自覚がなかったらしい彼女は恥ずかしそうに尋ねてくる。
「うん、わたしが数えただけで五回は」
「えぇ、そんなにっ?
すいません、それは気になりますよね」
ははは……と、雅穂は情けなさそうに笑う。
彼女のこんな様子に、環も心当たりがないわけではない。
いつも同じ女友達と一緒に
先日二人が社員食堂で顔を合わせたところを見掛けたが、互いに気まずそうに挨拶を交すだけ。
それに社内での噂もある。
「あー……乙訓さん、今晩空いてます?」
今日は金曜日だ。
やや迷いつつも 「ご飯、どうですか?」 と誘ってくる雅穂に環は驚いたけれど、今夜どころか明日の予定も特にないことを思い出し、OKする。
環と雅穂は隣り合った席にすわっている同僚ではあるが、年齢はもちろん入社歴も違う。
仕事に関する話はするけれど、個人的なことを話し合うような間柄ではないのは、ここ数日、雅穂と関係がぎくしゃくしている彼女の女友達を環が敬遠しているからである。
それでも雅穂の誘いを受けたのは、やはりここ数日、社内でひっそりと流れている彼女たちの噂が気になったからである。
「や、なんか乙訓さんと個人的なこと話すとか、ちょっと恥ずかしいんですけどね」
ほぼ同時に定時で上がった二人は、雅穂が指定した居酒屋で合流。
騒がしい店内、環が向かい合ってすわるのを待って先に着いていた雅穂が話し出すが、すぐに店員が注文を訊きに来て一時中断。
まずは互いに無難な注文をして店員が立ち去ると、改めて雅穂が切り出す。
「その……聞いてます?」
「
率直に答える環に雅穂は、やはり気まずそうに 「はい」 と答える。
環より一、二年後輩で、雅穂より一、二年先輩のはずだ。
環が噂話に疎いためか、雅穂と滑川が付き合いだしたことは知らなかったが、つい最近別れたという社内の噂を耳にし、二人が付き合っていたことを知った。
けれどその噂は二人がただ別れたというものではなく、ここ数日、彼女と関係が上手くいっていない様子の友人
「やっぱり知ってますよねー。
乙訓さん、あんまり人とつるまないし、そういうの興味ないかなーとか思ってたんですけど」
「最近別れたんだって?」
店員が運んできたビールに口をつけながら尋ねる環だが、雅穂の目に、その様子はさも興味がなさげに見える。
「まぁその、別れたというか、振られたというか……」
「そうなの?
石井さんにとられたって聞いたけど?」
一気にジョッキのビールを半分ほどあおった雅穂は、環が返した直球をまともに食らったように 「ぐっ」 と変な声を出して吹き出しそうになる。
無理矢理飲み込んで少し咽せた後、改めて環を見る。
「……乙訓さんって、あんまり喋ったことありませんでしたけど、そういう人なんですね」
「そういうとは?」
「その、結構きついっていうか」
「だって吐き出したくてわざわざわたしを誘ったんでしょ?
それなのに全然吐かないし。
だったらこっちから吐かせてあげようと思って」
そう言って環がニヤリと笑うと、一瞬呆気にとられた顔をした雅穂は、すぐに大きく溜め息を吐く。
そして思い切るようにジョッキに残っていたビールを飲み干すと、近くを通りかかった店員におかわりを注文する。
「まぁそうなんですけどね。
でもそれって、結果的に振られたってことになるんですよね」
「んー……捨てられた?」
「ちょ……酷くないですか、それ?」
「滑川がね」
環はテーブルに置かれた唐揚げを摘まみながら返す。
確かに環の言い方も酷いが、悪いのは二股をした滑川であり、友人の彼氏であることを知っていて奪った石井久寿美である。
そこまでを環が知っているとわかると、雅穂は観念したようにしゃべりだす。
「
付き合ってからも色々と相談に乗ってくれて、信用もしてたし。
それがいきなり 『俺、久寿美と付き合うことにしたから』 とか 『ごめんね、彼氏奪っちゃって』 ですよ!
しかも二人とも反省とか全然してなくて、ヘラヘラ笑いながら。
わたしに悪いとか、全然思ってないんですよ!」
アルコールの助けを借りて一気に吐き出す雅穂に、そう仕向けたのが自分であることを自覚している環は、自分が頼んだ唐揚げをつまみにビールを飲みながら 「ありがち、ありがち」 と、やはり気のない調子で返す。
「そもそもわたしは、武丸さんが石井と付き合ってるのを不思議に思ってた」
いつのまにか、滑川に続き石井久寿美のことまで呼び捨てにしている環に気づき、雅穂は少し勘繰るような目を環に向ける。
「乙訓さんも滑川さんとなにかあったんですか?」
「ない……というか、どうしてここで滑川?
石井じゃないの?」
「あ、そうですね。
久寿美となにかあったんですか?」
「んー……というかね」
言い掛けた環は、口の中に残る唐揚げを流し込むようにビールをあおる。
それから続ける。
「石井ってさ、入社当時から社内の評判が悪いんだよね」
「え? それってどういう……?」
雅穂の様子を見て環は 「やっぱり知らなかったんだ」 と続ける。
「確か武丸さんって石井とは同期なんだよね?」
「はい、そうですが……」
「うん、石井ってさ、典型的な女子には嫌われるタイプっていうの?
男に媚びて女には……ってやつ。
あーでも男子社員でも、顔が好みじゃないとか、ちょっと言い方悪いんだけどさ、陰キャとかには当たりがきついらしい」
だから 「女子社員の評判が悪い」 ではなく 「社内の評判が悪い」 のである。
それこそ体型が太めや陰キャな後輩社員には男女問わず当たりがきつく、嫌な仕事を押しつけたり、ミスを押しつけたり。
典型的な嫌がらせをしていることで有名だった。
おそらくそれを雅穂が知らないのは、彼女が石井久寿美と仲がいいから周囲が気を遣ったか。
あるいは二人を敬遠して近寄ろうとしないからか。
雅穂自身がそういうことをしないのは周囲もわかっていたようだが、やはり久寿美と仲がいいということで、特に女子社員は雅穂のことも避けるところがあった。
そして雅穂も、環の話を聞いて思い当たることがあった。
久寿美はよく後輩社員の仕事の出来なさを愚痴ていたのだが、おそらくあれは気に入らないだけの悪口だったのだろう。
そう考えれば最後が、まるで口癖のように 「デブのくせに」 とか 「陰キャのくせに」 という悪口で締めくくられていたのも納得が出来る。
「……そうだったんですね」
「まぁ部署も違うし、武丸さん、石井の仕事してるところなんて見ることないから知らなくても仕方ないんじゃない?
距離が近すぎると見ないこともあるし」
「でも乙訓さんの話を聞いてると、こう……色々思い当たることが浮かんできてですね」
「だったらいい機会じゃない。
縁切れば?」
もうすでに切れたも同然である。
同じ会社である以上完全に切ることは難しいが、最低限の関わりにすることは出来る。
それで滑川のことも久寿美のことも忘れてしまえばいいと環はいうけれど、雅穂も言う。
「わかってるんです。
わたしもわかってるんですけど、こう……喉に小骨が引っ掛かっているような感じが残って、すっきりしないというか、なんというか」
雅穂の言いたいことがわかるような、わからないような……そんな顔をしながら環は言う。
「その引っかかりは滑川?
それともクズ美?」
「クズ美?」
「うん、クズ美。
いや、本当になにも知らないんだね。
石井って久寿美って名前じゃん。
だからクズ美って陰口たたかれてるの」
「……久寿美って、本当に嫌われてるんですね」
「うん、だからそう言ってるじゃん、さっきからずっと」
ジョッキのビールを飲み干した環は、店員を呼んでビールと唐揚げのおかわりを注文する。
その向かいにすわる雅穂は、今日何度目かの深い溜め息を吐く。
「……なんで友だちの彼氏とっちゃうんだろうって、ずっと引っ掛かってて。
久寿美にとってわたしってその程度の存在だったのかとか、色々考えちゃうんです」
「ん? いや、クズ美はさ、前にも先輩の彼氏とってるんだよね、確か。
そうそう! それからクズ美って呼ばれてるんじゃなかったかな?」
「は?」
「で、入社当時から社内の評判が悪い」
それこそ研修期間が終わって配属先が決まってすぐのこと。
研修時に指導を担当した男性社員を、社内に彼女がいると知っていて略奪したのである。
ひょっとしたらこの時はまだ、雅穂も石井久寿美とはそれほど親しくはなかったのかもしれない。
それに新入社員は仕事を覚えるのに忙しい時期でもあり、まだまだ先輩社員たちのコミュニティーにも入れていないはず。
雅穂が気づかなかったのは、それだけちゃんと仕事に取り組んでいたとも考えられる。
だが雅穂自身は、石井久寿美が入社間もない頃から問題社員として注目されていたことに気づかなかったなんて……と、改めて肩を落として溜め息を吐く。
「……久寿美って、マジもんのクズじゃないですか」
「うん、そうだね」
「しかも、社内でって……なに考えてるんですか?」
「まぁうち、社内恋愛禁止じゃないし?
でも別れた時のことを考えるとリスク高いよね。
絶対気まずくなるし」
「だから乙訓さんは社内で彼氏作らないんですか?」
自身の不甲斐なさに気持ちがささくれ立った雅穂は、意地悪な気持ちで環に突っかかる。
だが環は気にする様子もなく唐揚げを摘まむ。
「ささくれってさ……あ、ごめん。
えーっと? さっき喉に小骨が刺さってるって言ってたけど、それ聞いてささくれを思い出したんだけど」
「はぁ……」
「指のささくれってさ、本当にちょっとなんだけど、一度気になるとずっと凄く気になるんだよね。
で、ついつい千切ろうとするんだけど、千切るとだいたいあとで膿んじゃうんだよね」
環のいわんとすることが理解出来ない雅穂だが、ささくれについてはわかる。
だから話に乗る。
「ささくれって地味に気になるし、膿むと、やっぱり地味に痛いんですよね」
「そうそう。
しかも爪切りで切りにくくて、ちょっとでも残ると両側の指にあたって気になっちゃうんだよね」
「わかります。
しかもそのちょっとがまた大きくなって、凄く気になって、結局千切っちゃうんですよ」
「だからさ、切りにくいのわかるけど、少し深めに切るんだよね」
「深めに?」
「そう、思い切って深めに」
それでようやくすっきりすると言う環に、(それってひょっとして……) と思った雅穂は尋ねる。
「あの、乙訓さん、ひょっとしてわたしに転職しろって言ってます?」
「ああ、転職か。
うん、方法としてはいいかもね」
そう言ってジョッキに口をつけた環は、口の中に残る唐揚げをビールで流し込む。
「いや、たださ、武丸さんの話を聞いてると、滑川とは別れたけど、クズ美とはまだ友だち続けるつもりっぽいこと言ってるなと思って。
なんでクズ美も切らないんだろうって」
「あ……」
「人間関係とささくれは違うけど、でもこのままクズ美と友だちやっててもいずれ膿むというか、腐るというか」
ここで、言わなければいいのに、酔っているのか、環は 「これがいわゆる腐れ縁ってやつ?」 などと言って雅穂を呆れさせる。
「もちろん転職もいいよ。
でもさ、武丸さんが会社辞めても、少なくとも石井が責任とか後味の悪さとか、感じるはずないし?
さっきも言ったけど、あの子には前科があるからね。
それでもまだ会社にいるわけだし」
当然入社間もない頃に、先輩社員から奪った彼氏と石井久寿美はとっくに別れている。
そんなことなどおくびにも出さず、今度は友人として付き合ってきた同期の雅穂から彼氏をとっているのである。
一度やったことを二度やった彼女は、おそらく三度も四度もするだろう。
それこそ五度でも六度でも。
「でもさすがにもう、相手する男の人もいないんじゃないですか?」
「なにいってんの?
滑川は石井の前科を知ってるって」
「あ……」
「まぁそういう馬鹿な男だってわかってよかったんじゃない?」
「……そうですね……」
「ついでに石井のクズっぷりもわかったことだし、思い切って二人まとめて切っちゃえば?
武丸さんが割り切ればこのまま友だちでいられるんだろうけど、そこまで無理する意味がないくらいハイリスクだと思うんだよね」
もちろんこのまま社内で顔を合わせる気まずさは残るが、転職までは勧めないと環は言う。
「日本社会ってさ、苛められた方を隔離するじゃん。
あれ、おかしいって思うんだよね」
「おかしいって……だって苛められないように保護しないと……」
「いや、苛める方を隔離してやめさせるべきじゃん。
被害者が隔離されたり無理矢理環境変えさせられたりするの、おかしくない?」
「転職も同じってことですか?」
「まぁ例えだけどね。
うちの会社は社内恋愛禁止じゃないけど、あくまで個人の事案だから干渉はしない。
でも不倫は駄目なんだよね」
「そりゃ社会倫理に反してるっていうか、確か不倫って犯罪ですよね?」
環の話を聞いて雅穂も、石井久寿美ならそのうち不倫にも手を出しそうな気がしてくる。
だが
「まぁね。
もちろん武丸さんが、もう二度と二人の顔なんか見たくないっていうのなら転職は全然あり。
自分の意志で心機一転を選ぶなら悪くないと思う。
でも簡単じゃないしね。
それこそなかなか次の仕事が見つけられなくて、あの二人のせいでって後悔するならこのまま続けたほうがいいと思う。
結局武丸さんは社内での気まずさも考えて、石井と友だち関係を続けたほうがいいと思ったんでしょ?」
「これまでどおりはさすがに無理ですけど……」
「いやいやいや、全然気にしなくていいじゃん。
無視でいいよ、無視で」
「でもそれは大人げないっていうか……」
「それを言うなら、二人のほうこそ人としてどうなんだって話でしょ?
結局大人げないとか、人としてとか、第三者が都合よく丸く収めたくて使ってるだけ。
部署も違うし、武丸さんが二人と絶縁したって仕事には問題ないわけだし」
「それはそうですが……」
「繰り返すけどさ、ささくれは少し深めに切った方が綺麗なんだって。
石井みたいな奴は、奪われた相手が悔しがったり落ち込んだりするのが好きなんだよね。
奪うのも楽しいらしいけど、ゲームか何かと勘違いしてるんじゃない?」
到底自分には理解出来ないと、環は手振り付きで呆れてみせる。
それこそゲーム感覚で友達も作れると思ってるのだろうか、とも。
「男の恋愛は個別保存。
女の恋愛は上書き保存って聞くけど、滑川なんて石井とまとめて抹消でよくない?」
やはり環は酔っているのか、「さすがに抹殺はヤバいからさ」 などと言って声を上げて笑う。
一見そんな環に呆れたように見えた雅穂だったが、喉に引っ掛かっていた小骨が取れるような感覚を覚えた。
「……ささくれは少し深めに切る、ですね」
ささくれは少し深いくらいに切ると綺麗になる 藤瀬京祥 @syo-getu
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