親不幸者

@_ashtrayx3

親子1と2

誰とでも仲睦まじくすごせるに越したことはない。その括りに家族も含めることは何らおかしい話ではないはずだ。正直、本作は執筆するかどうかはかなり頭を悩ませた。わざわざ私の家庭環境を数多の人々が閲覧できる場に晒け出すのも気が引けたからだ。しかしここ最近、私の家庭内での邪険な空気に嫌気が差してきたため、この晴れない気持ちを書き殴ってみようと思う。


十九年前、私は東京で生を受けた。その直後に私の父は蒸発した。上京したてで生活が安定していない母にとって、一人で子供を育てるには限界があったのだろう。私は一時も生まれた場所で過ごすことはなく、母に連れられ母の地元を訪れた。その後、母は新しく職を見つけ二人でアパートに住むようになった。しかし母の勤務先はお世辞にも整備された職場環境とは言い難く、早朝に出かけ、深夜に帰ってくるということが茶飯事であった。私を一人アパートに残すわけにもいかないので、幼少期のほとんどは母の実家に預けられていた。そんな母も、たまの休日には遊びに連れて行ってくれたことをよく覚えている。


母は自分のやりたいことに全力を注げる人間だ。当時は花の作品を作る仕事をしていたんだっけな。何度か母が仕事をしている姿を見させてもらったことがある。確かに職場環境は過酷だが、やりたいことができている母は嬉しそうだった。そして私はそんな母の姿が好きだった。花に囲まれながら作品を仕上げるその様子は、子供ながらにある種の尊敬の念を抱いていた。しかし数年後、会社が傾き母は転職を余儀なくされた。そして花とは全く関係のない仕事に就いた。それがあの人にとってやりがいがあったものなのかは分からないし、相変わらず帰りも遅かったが、その頃には私も中高生。良くも悪くも大人びたというか...母の様子を気に掛けることが少なくなった。実家に預けられることも減っていき一人でいる時間が多くなった。一人だと暇だ。なので友達と遊ぶようになる。ただし私の場合、少し素行が良くない連中だった。夜に出歩くようになり、余計母といる時間が減っていった。時には私の素行の悪さを指摘されることもあったが、反抗か、曖昧な返事で誤魔化すばかりだった気がする。


昨年、私は受験に失敗した。ろくに勉強もせず遊んでいたのだから当然といえば当然の結果である。母は怒るより呆れていた。自分が過酷な環境で努力してきただけに母は怠惰な人間に厳しい。この時ばかりは私に嫌気が差していたに違いない。学ぶことも、働くことも、いかなるものにも無気力なニートに、自分の息子が変貌したのだから。大学に受かるまでのこの一年間が、私の人生で最も母との溝が深かった。毎日家内の雰囲気は重く、常に対立していた。そんな状況だったので私は母ではなくある別の人間と懇意にするようになる。母の実家の、祖父母である。祖父は昭和の人間にしては珍しく大学推奨派であった。それは同じく進学を望む私の考えと合致し、祖父母と私との距離は近くなっていった。母はそんな祖父母を見かねて私を甘やかすなと激怒。当時は、いくら俺のことが嫌いだからってそんなにじいちゃんたちといがみ合わなくても、程度にしか考えていなかった。


実家に預けられていた頃は、物の分別もつかないような子供だったので、あまり深い話をすることはなかった。しかし成長した私に対して祖父母は母のことを吐露するようになった。


「○○(私)には申し訳ないと思っている。△△(母)は親として力不足だ。○○は父親がいないし△△と過ごした時間も少ないだろう?できれば普通の家庭を経験させてあげたかった。」


少し複雑な気持ちだった。確かに母との溝は深い。だが幼少期の思い出を蔑ろにされた気分だった。私は普通の家庭のように愛情が注がれていないとでも言いたかったのか。私は祖父母がなぜか母に対して冷たいことを数々の発言から感じ取っていた。それに加え母も妙に祖父母に対して当たりが強いことに気づいていた。意を決して、探ってみることにした。


「じいちゃんたちって母さんと仲悪くない?なんかあったの?」


「じいちゃんたちと△△はな、昔から○○には想像できないくらい対立が何回もあったんだ。それが○○にとっても気分が悪い話なのは分かっているんだけどもう修復不可能なんだよ。△△、上京してたろ?○○を生んだ時。それもじいちゃんたちから離れたくて出ていったんだよ。○○の父親とは上京先で出会って結婚したんだ。」


分かっているのならどうにかして欲しいものだが、我儘を言う年でもない。どうやら私が生まれるよりずっと前からある因縁のようだ。手に負えないので仕方がないことではあるのだが子という立場からすれば当然、気分の良い話ではない。しかしこんなことはどうでもよくなるような、今までの話を吹き飛ばす位の衝撃的な話を聞かされることになる。


「蒸発した原因なんだがな、正直△△にあると思ってるんだよ。というのも束縛がとんでもなくてな。メッセージの催促が異常だったり、家の中に閉じ込めたり、そもそも結婚した理由も△△の自殺未遂で○○の父親に圧をかけて結婚した形なんだ。普通の人なら耐えられないよ。当時の△△は病んでてな。逃げられた後も精神科に通っていたし、リストカットもしていたんだ。」


ショックだった。所謂ヤンデレというのだろうか。しかしそれはあくまでも創作の中の存在。そんな奇妙な人間はなかなかいないのだから皆が楽しめるというもの。あなたには想像できるか?自分の親が自分の知っている異常者像と重なったときのなんとも形容しがたいあの気持ち。父親に逃げられる原因を母親自身で作っていたことを知ったあの気持ち。本当に本当に本当に気分が悪かった。過去は過去、今は今。そう吐き捨てれれば如何に楽であろうか。十九年間、生まれてから今に至るまでの"私の知っている母親"が蓄積された分、反動が大きいのだ。もし母がどうしようもない毒親ならば私はさほどショックを受けなかっただろう。私は、楽しそうに花で創作する、口論になれど私を気にかけてくれる、母が、好きなのだ。


今から一ヶ月前、二度目の受験本番から数えて約二週間前、私はおかしくなっていた。愛兎の死、元カノの異常行動、差し迫った本番、そして何より家族のこと。母は祖父母を、祖父母は母を悪く言う。余りに不愉快な出来事が重なりすぎた。原因不明の高熱を発症し、急に怒ったかと思えば泣き出し、かと思えば笑うようになった。皮肉なことにかつての母と同じように自傷行為にも手を出した。もし今年も受験に失敗していたら、私は何をしでかしていたのだろうか。


合格した私を家族皆が祝ってくれた。それでもなお、祖父母と母が歩みよる気配はない。気に食わないのが両者私にとっては良い人だということ。どちらかに振り切れないのでたちが悪い。齢十九にして気づく。ああ、本当に、普通の家庭を経験してみたかった。


fin

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