第30話 不穏な隊長

 幼い頃の彼は幸せでした。

 優しい両親に沢山の愛情を貰いながら、すくすくと育ったからです。


 しかしそれはある時、突如終わりを告げます。

 両親が事故で死んでしまったのです。


 彼を引き取った親戚は、彼を育てる気なんかなくて、引き取って早々に、彼を孤児院へと追いやりました。


 しかしそれでも彼は幸せでした。

 そこには優しい先生や友達が沢山いたからです。


 彼はそこで、恋人を作りました。

 親友も作りました。

 尊敬する先輩も出来ました。


 成長した彼は、先輩の後を追ってある機関に就職します。

 孤児院で出来た親友も一緒ですし、尊敬する先輩は、笑顔で自分を迎え入れてくれました。


 だからこの就職先で出世して一人前になり、恋人と結婚し、将来は暖かな家庭を築くんだろうな、と彼はぼんやりと思っていましたし、その未来を疑いもしませんでした。


 けれど……。





「隊長」


 後輩に名を呼ばれ、ヴァルター・イディオーマはそっと目を覚ました。

 どうやらいつの間にか眠っていたようだ。


「すみません、お休み中でしたか?」

「いや、いい。どうした?」

「間もなく目的地に到着するようです」

「そうか、分かった」

「あの……、差し出がましいようですが、少し横になられては如何でしょうか? 昨日からお休みになられていないのではありませんか?」

「いや、構わない。それよりもウィル、ヤツらに怪しい動きはないか?」

「私の知る限りでは特には。親しい家族や友人、恋人を失って落ち込んでいるようにしか見えません。今回の事件、彼らは無関係なのではありませんか?」

「演技の可能性もある。何か気になる事があれば、すぐに報告をしろ」

「はあ……」


 腑に落ちない。

 そう言いたげな目線が、後輩から向けられる。


 するとウィルと呼ばれたその後輩は、目線だけではなくはっきりと言葉にして、その疑問を上司へと投げ掛けた。


「隊長、何故、彼らを疑うのですか? ギルドに所属し、一般人よりは戦闘能力に秀でているとは言え、彼らは被害者です。そんな彼らを疑う理由が、自分にはさっぱり分からないのですが……」

「それは……」


 そこでヴァルターは一度言葉を切る。

 何故、自分が被害者であるハズの彼らを疑っているのか。


「オールランドは本州から離れた孤島。そこから固定電話を通して本州にあるギルド・ミモザに連絡が取れた事がどうも腑に落ちない。他のところから救援要請は来なかったのだろう? あの状況では、魔電波どころか、全ての通信回線が切れていると考えるのが妥当だ。それなのに、何故ブロッサムからミモザに連絡が取れたのか。それは、ヤツらが闇の精霊憑きと繋がっており、街を破壊した後、被害者を装って生存者達とともに我々に救助してもらおうと、ミモザの連中と初めから打ち合わせていたからなのではないか、と思ったのでな」

「そう、でしょうか……?」

「それに、昨夜アトフ・イズイークからも証言を得た。闇の精霊憑きと手を組み、オールランドを破壊した男は氷の精霊憑きであり、リプカ・ラングハートと同じくギルド・ブロッサムに所属していたそうだ。ならば、彼女やその周囲の人間が氷の精霊憑きと手を組んでいる可能性は否めない。万が一の事を考えて、ヤツらを警戒、及び視界から外さないようにするべきじゃないのか?」

「……」

「とにかく、救助者の対応はお前に任せた。オレは、ヤツらを張り、闇の精霊憑きと繋がりがあるという確たる証拠を掴む。そしてオルデールに潜む罪人も見つけ出す。以上だ」

「……御意」


 ポン、と肩を叩き、立ち去って行くヴァルターに、ウィルは敬礼で返す。


「……」


 そしてヴァルターの姿が完全に視界から消えてから、ウィルはそっと手を下ろした。


(罪人、か……)


 もしもその人物が生き残っていたとして。

 彼はその人物をどうする気なのだろうか。


(ただの逆恨みだ。あの件に関しては、その罪人とやらに非はない。自分でやるか他人に任せるかの違いで、誰だってそうするさ)


 しかしそれを指摘する事はもうない。

 以前、それを指摘した時、彼は無表情でこう言い放ったのだ。


 ――お前なら、オレの気持ち理解してくれると思ったんだけどな。


(理解? ははっ、出来るわけないだろ。オレは先輩とは違う。オレは自分の意志で、アイツを切り捨てたんだからな)


 あの時、本当はどうすれば良かったのか。

 その答えは、今でもまだ見付かっていない。


(とにかく、なるようにしかならないだろう)


 諦めたように溜め息を吐いてから。

 ウィルもまた、仕事に向かうべくその場を後にした。










 復興の街・オルデール。

 更地はまだ目立つものの、復興の街と呼ばれるだけあり、街には住宅地はもちろんのこと、店の並ぶ商店街や、子供達の通う学校、更に奥の方には白衣の処刑人達が勤めているのだろう大きな建物も見て取れた。


 今はまだ早朝であるため人通りは少ないが、これから徐々に人も出て来て、賑やかになるのだろう。


 そんな街の様子を船の甲板から、リプカはぼんやりと見下ろしていた。


「あー、腹減ったなあ……なあ、朝飯どうするんだ?」

「あなたはいつも食べる事ばっかりね。そもそも、よく昨日の今日で食べる気になれるわよね」

「いや、そうは言うけどさ。よくよく考えれば、オレ、昨日の晩飯食ってねぇじゃん? 更には昨日の昼食も、おやつも食ってねぇんだよ。三食も抜いたら、何か食いたくなる方が普通じゃね?」

「何でおやつも一食換算にしているの?」


 同じように甲板に出て話をしているアトフとシェーネの話を聞きながら、リプカは船から下りて行くオールランドの生存者の姿を眺める。


 しかし、そんな彼女の脳裏に浮かぶのは、昨夜この甲板で会った、青年との会話。


――隊長に、気を付けろ。


 彼は確かにそう告げた。

 その隊長というのは他でもない、自分達を助けに来てくれた白衣の処刑人のリーダー、ヴァルター・イディオーマ。


 あれは一体、どういう意味だったのだろうか。


(目的のためなら手段を選ばないと言っていたけど……その目的のために私達を利用しようとしているって事? でもその目的地って何? 保護団体の活動とは無関係って事……?)


 ダメだ。考えていてもわけが分からなくなるだけで、答えなんか出ない。

 答えが出ないのであればあの青年の忠告通り、さっさとこのオルデールから立ち去るべきだろうか。


「ねぇ、ムナール。ちょっと相談があるんだけど」

「……」

「ムナール?」

「……」

「ねえ、ムナールってば!」

「えっ? あ、うん、何だい、リプカちゃん? お腹でも空いたの?」

「違うよ。アトフと一緒にしないで」

「おい」


 ムッと眉を顰めながら否定するリプカに、アトフが文句を連ねようとしたが、それはさておき。


 リプカの呼び声にようやく反応したムナールは、どうやら上の空でぼんやりと街を見下ろしていたらしい。

 まあ、無理もない。

 だって彼もまた仲間や家族を失い、更にはこれから亡くなった恋人の姉に当たる人物に会おうとしているのだから。


 思うところがあって当然だろう。


(リト、か……。私も、色々と話さなくっちゃいけないんだろうな)


 ふう、とリプカもまた溜め息を一つ吐く。


 リト、というのは、ムナールの恋人であったリンの姉であり、リプカの同級生でもある。

 当然、学生時代は同じ学校に通っており、サイド達ブロッサムの仲間とも面識があり、カルディアやローニャとは、特に親しい関係にあった人物である。


 卒業後、リトは実家が経営する喫茶店の手伝いをしていたのが、このオルデールが災厄に遭った際、その復興を手伝うボランティアとして、単身海を渡り、オルデールで活動するために移住したのだ。


 そのおかげで、今回のオールランドの事件からは難を逃れたわけではあるのだが……。


 しかしリトとて、今回の事件で家族や友人を失った事になるのだ。

 事件の概要を聞けば、心穏やかではいられないだろう。

 その報告をムナールと一緒にしなければならないのかと思えば、やはりリプカとて心が痛む。


 まあ、かく言うリプカとて、まだ心の傷が癒えたわけではないので、他人の心配をしている場合ではないのだが。


「ムナール、大丈夫? しんどいのなら、お姉さんには私から伝えましょうか?」

「大丈夫だよ、姉さん。そのくらい、僕がやるよ。これが、彼氏としての最後のケジメだからね」


 心配してくれるシェーネに対して、ムナールはふにゃりと力なく微笑む。


 と、そんな時であった。

 背後から、第三者の声が聞こえて来たのは。


「おはようございます、みなさん。昨日はよく眠れましたか?」


 他のみんながどう思ったのかは知らないが。

 しかし、リプカの心臓がドキッと跳ねたのだけは確かだろう。


 振り返った先。

 そこには昨夜、青年に忠告を受けた件の人物、ヴァルター・イディオーマが、爽やかな笑顔を自分達へと向けていたのである。


「おはようございます、イディオーマさん。おかげ様で良く眠る事が出来ました。ところで朝食の件ですが、白衣のしょ……天使のみなさんは、どこでどう摂られるのですか?」

「ちょっと、アトフ!」

「あははは、そうですよね、お腹が空きましたよね。我々はこれから支部に戻り、軽く朝食を摂るのですが……。オールランドから生還されましたみなさんには、あそこに見えます学校にて、炊き出しを行う予定でいます」

「炊き出し! え、メニューは!?」

「いい加減にしなさい、アトフ!」

「メニューは……そうですね、それはボランティアのみなさんに任せておりますので、何とも……」

「ボランティア?」


 その単語に、ムナールがピクリと反応を示す。


 するとヴァルターは、「ああ」と気が付いたようにして頷いた。


「確か、お知り合いの方がいらっしゃるんですよね? ボランティアの方とはいえ、皆が皆、炊き出しをしているわけではありませんので、そこにいるかどうかは分かりませんが……。でも良ければ案内しますよ。付いて来て下さい」

「え? でも、イディオーマさんは保護団体の隊長ですよね? 業務はいいんですか?」


 昨日の青年の言葉を気にし過ぎだろうか。

 それでもヴァルターの言葉に違和感を覚えたリプカが、すかさず首を傾げる。


 しかしそんなリプカの疑問にも、ヴァルターは笑顔で首を横に振った。


「隊長、ではなく副隊長です。それに、みなさんを案内するのも、私の仕事です。お気になさらずに……あ、それと……」


 ふと、そこで一度言葉が切れる。

 そして気のせいだろうか。

 笑顔で言葉を続けたヴァルターのその声色が、ワントーン低く感じたのは。


「そのお知り合いの方は、ここに来る前はずっとオールランドにいらっしゃったのですか?」

「えっ? え、あ、はい、そうですけど……」

「ギルド・ブロッサムや、カンパニュラに在籍していた事は?」

「いえ、ありません。ここに来る前は、実家が経営する喫茶店の手伝いをしていましたから」

「……」

「あの……?」

「すみません、おかしな事を聞いてしまって。さ、行きましょう」

「……?」


 ニコリと微笑みながら促すヴァルターの声色は、その時には元に戻っていて。

 いや、ワントーン低いと感じた事自体が、気のせいだったのかもしれないのだが。


「……」


 やっと飯が食える、と安堵の息を漏らすアトフや、そんなアトフに怪訝な目を向けるシェーネ、未だに表情の暗いムナールが、ヴァルターの違和感に気付いた様子もあるわけがなくて。


 リプカはその違和感を心の隅に追いやると、先を行く彼らの後をゆっくりと付いて行く事にした。

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