第2話 社会人としての心得

「……そしたら減給にしやがったのよ。酷いと思わない?」

「いや、妥当な判断だね」


 先日やって来た失礼な男達の話。

 それをリプカから聞かされたムナールは、呆れたように溜め息を吐いた。


 確かに非は男達にあるだろう。

 しかしだからといって杖でぶん殴って病院送りにするだなんて、やり過ぎにも程がある。

 彼女のためにもギルド運営のためにも、減給を下したギルドリーダーの判断は適切なモノだっただろう。


「えー、じゃあ、ムナールは、アイツらの味方をするって言うの?」

「アイツらというよりは、サイド君の味方をしているんだよ」


 書類整理の手を休めて、ムナールは視線をリプカへと移す。

 不服そうに頬を膨らませている少女が、彼の視界に入った。


「仕事をやっている以上、理不尽な事は多々あるよ。でも、それを我慢してこその社会人だよ。だいたい、ローニャちゃん目当てで来て、キミに難癖付けて帰って行く男なんてもう何人目だい? 僕はいい加減に慣れるべきだと思うけどね」


 そう、ああいった男が訪れるのは、別にこれが初めてではない。

 もう何度もある事なのだ。


 と、言うのも、話題となっているローニャは可愛い。

 低めの身長に豊満な胸。ぱっちりと大きな紫紺の瞳に、髪は艶のある黒のロングストレート。リプカには見えていないらしいが、彼女が微笑めば、背景にふわりと暖色の花が咲く。


 ムナールも認めるその可憐な少女にはファンも多く、依頼書と称したラブレターが日々何通も届くほど。

 そんな彼女に会いに来たというのに、その少女はおらず、代わりにいたのがリプカであったのなら、そりゃ文句も言いたくなるものだ。

 そう、彼らは悪くない、気持ちはよく分かる。

 ……まあそんな事、いくらムナールとは言え、口が裂けても言えないのだけれど。


「そういう男達は軽く受け流しなよ。いちいち構っている方がバカらしいじゃないか」

「私は、悔しい思いを抱えて泣き寝入りするよりも良いと思う」

「それで減給されてりゃ世話ないね。通常通りお金が貰えていたら、その分色々買えていただろうに」

「う……」


 正に正論なムナールの意見に、リプカはグッと押し黙る。


 そう、ああいった男達が訪れるのが初めてでなければ、リプカが彼らに襲い掛かるのもこれが初めてではない。

 そしてそのせいで減給されるのも、その愚痴をムナールに言いに来るのも最早日常茶飯事となっているのだ。


「とにかく、来月はちょっと大人になって、男達の物言いを受け流してごらん。お金がいつもより多く貰えて、ちょっとだけ幸せな気持ちになれるよ」

「そうかしら」

「そうだよ」


 納得がいかないと言わんばかりに溜め息を吐きながら、リプカは自身の癖の付いた髪を弄る。

 そして不服そうに唇を尖らせた。


「私だって、外見はそこそこイケてると思うんだけどな」

「……」


 確かに悪くはないだろうとは、ムナールも思う。


 キレイなルビー色の瞳に、柔らかい黒の猫っ毛。笑っても背後に花は咲かないが、コロコロと変わる彼女の色々な表情は好印象だ。身長は若干ある上に豊満な胸はないが、代わりにスラリと伸びた手足に程よい筋肉が付き、無駄な脂肪がない。

 ローニャほど可憐ではないものの、可愛いか可愛くないかでいったら、ギリギリ可愛いよりの普通の部類に入るだろう。


「キミの場合、内面が外側に出ちゃってんじゃないの?」

「え、どういう意味?」

「別に。ああ、そうだ。それなら試しに髪の毛切ってみたら? もう背中越えちゃってるだろ? 肩くらいまで切ったら案外似合うかもしれないよ」

「えー、やだ。私もストレートロングがいい」

「まずストレートじゃないじゃないか」


 矯正したって殆ど効かないのだ。性格同様、強情な髪には手の打ちようがない。

 ストレートの夢はそうそうに捨てるべきだろう。

 まあかく言うムナールの猫っ毛も、彼女に負けず劣らずの強情ぶりなのだが。


「だいたい、容姿で言ったら、キミはまだマシな方だよ。年相応に見られるんだから。僕なんて常に五歳くらい下に見られるんだ」

「いいじゃない、年下に見られた方が可愛くてさ」

「そんな事ないよ。この前なんて買い物に行ったら「ボク、ママのおつかい? 偉いねえ」って言って大根サービスしてもらったんだから。冗談じゃないよ」

「大根貰ったのに何で怒っているの?」


 逆にラッキーじゃないかとは思うものの、ムナールにとっては納得のいかない事だったらしい。

 しかもその店の店員さんが八十代の優しいお婆さんで、文句の一つも言えなかったのが、ムナールにとっては更に気に入らなかったようだ。


(まあ確かにムナールは童顔って言うか、幼く見えるのよね)


 と、リプカは思う。当然、口に出しては言えないけれども。


 白銀の猫っ毛と、大きな青い瞳に、低い背丈。中性的な顔立ちも、彼が幼く見える原因の一つだろう。特に身長の低さは本人も気にしているようで、彼の身長を追い抜いた時には、物凄い量の文句を言われた覚えがある。


 そんな幼く見える彼が、自分より一つ

上の十九歳だなんて、確かに幼馴染でなければ分からないかもしれない。


「とにかく、僕はもう行くよ。これから父さんの助手で、教室に入らなくちゃいけないんだ」


 纏めていた資料を持ち、立ち上がるムナールに、リプカはつまらなさそうに唇を尖らせた。


「えー、まだ言いたい事の半分も言っていないのに……」

「僕はとっても忙しいの。キミみたいに仕事は蔑ろに出来ないから。じゃあね」

「別に私だって、蔑ろにしているわけじゃないもん……」


 失礼なムナールの物言いに、リプカはブスッと頬を膨らませる。


 しかし、そんな彼女を無視して、ムナールがその場を後にしようとした時だった。


 ピルルルルと、彼の携帯電話が鳴ったのは。


「電話だよ、ムナール」

「えー、父さんかなあ。まったく、わざわざ呼び出さなくったってこれから行くって言うのに……。はい、もしもしムナールです……」


 ぶつくさと文句を言いながらも、仕方なく電話を取り、律儀に名を名乗る。


 しかし、次の瞬間であった。


「あっ、リンちゃん! えっ、何、どうしたの?」


 ムナールの目元がフニャリと下がり、口角がヘニャリと上がったのは。


「えっ、デート? うんうん、もちろんオーケーだよー。何なら今からでも……、うん、仕事? 大丈夫大丈夫、僕まだ研修生だから。ちょっとくらいいなくなったって、大して支障はないよ。……え、この前怒られたんじゃないかって? 気にしない気にしない。僕は、仕事なんかよりもリンちゃんの方が大事なんだから。……うんうん、じゃあ、いつもの時計塔の下で。うん、待っているから。はい、じゃあねー」


 ピッと。

 いつもよりイチオクターブ高い声で話し終えると、ムナールは軽い機械音を立てて携帯電話を切る。


 そして手にしていた書類を放り投げ、代わりに鞄を手に取ると、部屋の扉ではなく、部屋の窓をガラリと開けた。

「じゃ、そういう事でリプカちゃん。僕はとっても忙しい用事が出来たから。キミの愚痴ならまた今度聞いてあげるよ。じゃ、またね」

「いや、待って。ちょっと待て」


 しかしそんな彼を黙って見送るわけもなく。


 今にも飛び出そうとするムナールを呼び止めると、リプカはジトリと彼を眺めた。


「ムナール、さっき私に何て言った?」

「仕事よりも大事な事がある」

「言ってないよ、それ一言も!」

「細かい事ばっかり気にしているとモテないよ。それじゃあ僕は急ぐから。またね!」

「あっ、ちょっと、ムナール!」


 呼び止める声など無視をして。

 ムナールは窓枠に掛けた足で思いっきりそこを蹴ると、躊躇う事なくそこから飛び降りた。

 ……そう、二階の窓から。


「ムナール!」


 おそらく手馴れているのだろう。二階から飛び降りたムナールは軽やかに着地すると、そのまま何事もなかったかのように街の方へと駆けて行ってしまった。


「本当に行きやがった。あーあ、私知らないからね……」


 あっと言う間に見えなくなったムナールに、リプカは呆れたように溜め息を一つ。

 と、その時だった。


「あれ、リプカさん。来ていたんですか?」

「あ、レイラ。と、タウィザー」


 背後から名を呼ばれ、クルリと振り返る。


 扉の所にいたのは、二人の少女と少年。


 少女の方は黒くて長い髪を後ろで三つ編みに束ね、アメジスト色の瞳をしている。漢服風の赤い衣に身を包み、足首の出る同色のパンツを履いている。

 絶対にスカート丈のチャイナドレスの方が似合うのだが、本人に勧めても頑なにパンツスタイルを崩そうとはしない。


 少年の方は、フロントサイドの長い、薄青のショートカットと、おっとりとした紫色の瞳を持っている。

 魔術師が纏うような緑色のローブと同色の烏帽子を身に付けた彼は、見た目通りに魔術の勉強に励んでいる。


 リプカがそう呼んだように、少女の方がレイラ、少年の方がタウィザーという。


「リプカちゃん、こんにちは。今日はお休み?」

「うん、それでムナールのところに来ていたの」


 ゆったりと声を掛けて来たタウィザーに、リプカもまた言葉を返す。


 しかしその一言に、レイラは眉を顰めた。


「ムナールさんのところに? それで、肝心のムナールさんはどこに行ったのですか?」

「リンちゃんとデートに行くって、窓から飛び降りて時計塔に向かった」


 彼を庇う義理もなければそんな気もなく。リプカははっきり正直に彼の行き先を告げる。


 するとその行き先に、レイラはその形のいい眉を更に険しく顰めた。


「リンさんと? はあ、またですか? この前減給されたばっかりだと言うのに、何で懲りないんですか、あの人は」

「え、ムナールも減給されてたの?」

「『も』? 『も』って何です? まさかあなたも減給されるような事しているんですか?」

「えっ! あ、わ、私の事なんかより今はムナールの事よ!」


 怒りの矛先が自分に向けられそうになり、リプカは慌てて話をムナールへと戻す。


 冷たい目を向けられたものの、それ以上の追及をする気はなかったようで。


 深い溜め息を吐くと、レイラは眉間を押さえた。


「とにかくこの事はしっかりお灸を据えてから、彼のお父さんに報告しなければ。あはは、今月も減給ですね」

「……」


 お前も減給か。人の事言えないじゃないか。


 と思ったが、口に出せばレイラに何を言われるか分からない。

 ここは心の中に留めておくだけにしよう。


「じゃあ、私も帰ろうかな。レイラ、タウィザー、またね」

「え、もう帰るの?」

「うん、ちょっとムナールと話をしに来ただけだから」


 ムナールに愚痴は零せても、レイラやタウィザーには話す気にはなれない。

 レイラに話せばムナール以上の小言を連ねそうだし、タウィザーに至っては、愚痴を零すうちに逆に狼狽えてきそうだから。


 ムナール留守の今、ここに長居は無用だ。

 せっかくの休みなんだし、今日はもう帰ってゆっくり休もう。


 しかし、そう考えたリプカが、別れの挨拶を口にしようとした時だった。


「あ、リプカさん。せっかく来たんですから寄っていきませんか、道場」

「え?」

「久しぶりに手合せでもしましょうよ」

「え」


 レイラが口にしたそのお誘いに、リプカの口角が引き攣る。

 道場というのは、レイラの父親がやっている格闘技の道場の事だ。

 その道場に、レイラもリプカも幼い頃からお世話になっている。


 しかしこのレイラ、父親が師範という事もあってか、同じ女性のくせにやたらと強い。そう、リプカなんか足元にも及ばないくらいに。


 それが原因で、リプカはある時からレイラがいる時は道場へは行かなくなってしまった。

 だって行けばレイラとの圧倒的な差に精神的なショックを受けてしまうし、やたらと好戦的なレイラにボコボコにされ、肉体的にもダメージを受けてしまうのだから。


 心身ともにダメージを受けるなんて絶対に嫌だ。

 だからレイラと道場になんて、絶対に絶対に行きたくない!


「ご、ごめん、レイラ、私これからちょっと用事があって……」

「え、今日ってお休みなんですよね? だからムナールさんとクソどうでも良い話をしていたんでしょう?」

「酷い!」

「私も今丁度手が空いていますし、それにリプカさんとの手合わせなんて久しぶり過ぎて血が騒いでしまいます。これは久しぶりに手加減なくいけそうですよー!」

「あっ、急に腹痛が……っ!」

「何言っているんですか。さあ、早速行きましょう!」

「ああっ、タウィザー助けて!」


 しかしやたらと張り切っているレイラを止められるわけもなく。

 ずるずると引きずられていくリプカを、タウィザーは生暖かい目で見送る。


(まあ、しょうがないよね。今、レイラちゃんと対等に戦えるのってリプカちゃんと師範だけだもん)


 レイラとの圧倒的な差にコンプレックスを感じるリプカであるが、実のところリプカが弱いわけではない。レイラが強すぎるのだ。

 彼女の父親が運営する道場にて、レイラより強い者はもういない。そう、レイラを外して見れば、リプカは確実に道場でのトップクラスに入るのだ。

 ……まあ、レイラが強すぎるので、彼女自身その事実に気付いてはいないのだが。


(リプカちゃんには悪いけど、レイラちゃんが楽しそうだから、別に良いか)


 あんなにウキウキしているレイラちゃんを見るのは久しぶりだなあ。終わった頃にタオルを持って行ってあげよう。


 そう考えると、タウィザーは自分も魔術の勉強をしようと、その場を後にした。


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