正義感の強い彼女

狩野すみか

第1話 電車で


 僕の彼女は、とても正義感が強い。

 例えば、こんな風に。


 三月も終わりに近づいたというのに、まだ肌寒く、ブーツが手放せない、ある晴れた土曜日の朝だった。

 電車で、A橋へ向かっていたところ、まだ幼稚園くらいの男の子を連れた若いお母さんが電車へ乗ってきた。

 しばらくして、男の子は、退屈していたのか、何か気に入らないことがあったのか、僕も聞こえて来る音だけを聞いていたので、よく分からないけど、

「やめて。痛い。蹴らないで、って言ってるでしょ?」

 と、お母さんを困らせ始めていた。

 ーー最近の親は、子どもを叱らないというけど。

 僕は、京都へ向かう特急で見た、観光に来た家族連れを思い出していた。

 あれは、小学生くらいの男の子だったけど、特急の中で一人延々と喋り続け、お父さんとお母さんが、京都へ着いたら、どんな楽しいことがあるか、宿はどんなところだろう?と、男の子の興味を引くように話しても、全く効果がなかった。仕舞いに、お父さんが、

「もう、お父さん、怒るよ」

 と、少しうわずった声で話しても、男の子は変わらず、延々と、自分の興味があることを話し続けていた。

 このお母さんも、子どもを叱り慣れていないらしく、

「やめて、痛いって言ってるでしょ?」

 と、悲鳴に近い、弱々しい声でいうばかりだった。

 男の子は、ついに耳に刺さるような大きな声で泣き始め、おどおどしていたお母さんは、今度は、

「泣きやまないんだったら、降りるよ、みんなの迷惑になるから」

 と、必殺!みんなの迷惑になるから、を繰り出した。みんなの迷惑になるから、と子どもを叱る親も増えたとは言われているけど。

 おいおい、そんなこと誰も言ってないよ!確かに、迷惑に思う人達もいるかも知れないし、耳が痛くて辛い人達もいるかも知れないけど、僕などは、こっちのせいにしないで欲しいと思ってしまう。

 男の子は、それでも泣きやまず、ますます声のボリュームを上げて行った。

 その時だった。

「降りることない!」

 と、正義感に満ちた堂々とした声が僕の隣の座席から響き、白のコートに、ミネラルショーで買ったマリガーネットでお仕立てしたピアスとネックレスをつけた春の精のような彼女が、

「何か、怖いことがあったんでしょう?」

 と、親子連れの方へと向かって行ったのは。

 別の方向から、年配の女性の、

「そうよ!」

 という声もしたけど、彼女が、

「大丈夫だから」

 と言っても、男の子は泣きやまず、弱り切ったお母さんは、とうとう、

「もう、降りるよ」

 と言って、電車を降りてしまった。

 その間、仕事で疲れていた僕は、ずっと目をつむっていたけど、心の中で、

 ーーそっとしておいてあげれば良いのに。

 無視してると思われたら困るけど、いずれ子どもは泣きやんだだろうし、お母さんが子どもに言っていた通り、一度電車を降りるのも手だ。

 と思っていた。

 ここは都会ではないけど、十五分に一本は電車が来るし。

 彼女は、何事もなかったように、僕の隣へ戻って来ると、

「何があったんだろうね?本当に、降りることなかったのに」

 と言った。

「さあ」

 としか、僕は答えようがなかったけど。

 彼女は、どうにもすっきりしない顔をしていた。

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