その②
◇ ◇ ◇
宿に入ったのは日が暮れる少し前のことです。
両替商から紹介された数件の宿から一番手頃な宿を探し選びましたが、そのことに関してわたくしは申し訳なさを覚えます。
両替した額はクーゼウィンの貨幣価値で換算すれば農民の平均月収の半分ほど。父上の一件でレーヴェン家の財産はほとんど没収されたのでこれが全てです。贅沢をしなければ半月ほどは持つ計算になりますが、これではアリス様の威厳に関わるどころか王都までの旅費すらままなりません。。
(これはなにか手に職を付けた方が良いかもしれませんね)
宿からほど近い食堂で夕食を頂きながら、そんなことが頭を過るわたくしは取柄と言えるものが剣術しかないことを悔いました。そもそも私が使う剣はレイピアと言う護身用の細剣なのです。剣術と言っても騎士団の属する騎士のような技術は持ち合わせていません。そう考えればわたくしに騎士を名乗る資格はなく、取柄などないに等しいのかもしれません。
「――あのさぁ」
「どうかなさいましたか?」
「いい加減そんな顔するのやめようよ。また難しい顔してたよ」
「やっぱり顔に出やすいのですね」
「私の騎士ならもっと胸張りなよ。自信持ってもらわないと私も不安になるじゃん」
色々考え過ぎと呆れ顔でパンを口に入れるアリス様は「デザート食べて良い?」と控えめに尋ねられました。今後のことを考えれば出費は抑えたいところですが珍しく我儘を言われる主君にダメとはとても言えません。
「こちらなど如何ですか。固く焼いたパンを卵と牛乳に浸して焼いたものの様ですよ。蜂蜜を掛けて頂くみたいです」
「美味しそうだけど、こっちの焼き菓子で良いよ」
「良いのですか」
「あんまり贅沢は出来ないもんね」
「あ……」
アリス様も懐具合は分かっていらしたのですね。隠していたつもりはありませんが日頃のやり繰りを見られていたのでしょう。離宮で過ごされていた時も贅沢は好まれず、どちらかと言えば質素に過ごされることを望まれていましたのでこれがアリス様なのでしょう。とはいえ、あまり倹約に固執するのも好ましくありません。
(――たまには贅沢も必要ですね)
お金のやり繰りはわたくしでなんとかしましょう。それよりもアリス様には王女殿下として――いえ、年相応の少女としての楽しみや贅沢も必要です。わたくしも久しく甘い物を食べていませんので少しだけ惹かれているのです。
「すみません。追加の注文をお願いしたいのですが」
店の奥にいる店主を呼び、アリス様のリクエストであるデザートを二人分注文します。アリス様は焼き菓子……ではなく、最初に提案した堅パンを使ったお菓子を二人分。一皿を分け合うほど切り詰めるつもりはありません。
「良いの?」
「今日は特別ですよ」
「エリィ、大好きっ」
満面の笑みを見せて下さるアリス様に自然と口元が緩んでしまいます。アリス様にはその無邪気に笑う姿が一番似合っています。
(アリス様、ワタシも貴女のことが好きですよ)
この笑顔だけは絶やしてほしくない。その願いはわたくしに掛かっていると言っても過言ではないかもしれません。その為にはわたくしに出来ることをしなければ。
(ん? あれは……)
デザートの注文を終え、なにげなく店の奥を眺めていると壁に貼られたチラシが目に入りました。
『給仕人募集』
詳細を記した文字が小さく、ここからは読み取れませんが給仕ならわたくしにも出来そうです。しばらくはセルフィスに滞在することになりますが、先のことを考えれば手元に余裕を持たせるのは良いことです。
「アリス様。しばらくこの街に滞在しましょうか」
「どうしたの急に」
「セルフィスを出ればまたしばらく野宿になりそうですし、もう少しお休みになられた方が良いかと思って」
「まぁ、ゆっくりでいるのは良いけど。ほんとにそれだけ?」
ジト目でわたくしを見るアリス様を前に上手く誤魔化せるでしょうか。出来るだけ平静を装いますがアリス様に見抜かれない自信がありません。なにせわたくしはすぐ顔に出るようなので。
「エリィ~?」
「な、なんでしょう」
「宿に戻ったら一緒に寝て良い?」
「え?」
「エリィって柔らかくて抱き心地良いんだよねぇ」
「ワタシは抱き枕じゃありません!」
相手がアリス様でなければ間違いなく目の前のナイフを突きつけていたことでしょう。
「とにかく、ワタシは明日、少し外出しますのでアリス様は宿でゆっくりお過ごしください」
「えぇー」
「離宮と違うのですから『絶対』一人で出歩かないでくださいね」
クーゼウィンと違い、アリス様にとっては母国なので出歩いたところで問題はないのかもしれません。それでもなにかあってからでは遅いのです。そのことを説明し、どうにか納得して頂きましたがおそらく、いえ間違いなくこの約束は破られることでしょう。離宮でも同じやり取りを繰り返してはその度に破られ、衛兵たちが慌てふためく姿を何度も目にしてきました。
(明日、宿を出る際に少しですがお小遣いを渡しましょう)
わたくしの方が年上と言っても相手は我が主君。そのようなの方へお小遣いと言うは些か変な話ですが、金銭管理はわたくしがしているので仕方ありません。それにしても、王都までの旅費を稼ごうとしているのにアリス様へお小遣いを渡そうと思うなど、わたくしはそんな自身にクスッと笑ってしまいました。
「どうしたの? 面白いことでもあった?」
「いえ。私は本当にアリス様をお慕いしているのだなと」
「ちょっ、急に言われても照れるじゃん」
顔を赤らめそっぽを向くアリス様は横目でわたくしを見てきます。その姿はとても愛おしく、同時にこんな風に戯れるのもたまには良いと思うひと時でした。
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