その③
◇ ◇ ◇
離宮に戻ったのは夕刻のこと。先に戻られたアリス様はすでに夕食を終えているらしく、出迎えた従女からお部屋で過ごされていると聞きました。
(ここの従女たちは良い人ばかりですね)
騎士の身分を剥奪され、国を追われることが決まった人間にも変わらず接する彼女たちはなにを思っているのでしょうか。皆が未だにわたくしを「エーリカ様」と敬称を付け呼ぶことに申し訳なさを覚えます。
「エーリカ様。アリス殿下からお戻りになられたらお部屋まで来るようにと仰せつかっております」
「わかりました。すぐ伺います。それから――」
「なにか?」
「皆も知っての通り、わたくしはもう騎士でもなければ公爵令嬢でもありません。そう畏まらなくて良いのですよ」
苦言を呈すると言うよりも出来るだけ立ち話をするような、柔らかい口調で言ったつもりでしたが侍女は表情を曇らせます。そしてすぐに「お言葉ですが」とわたくしの気遣いに異を唱えてきました。
「私たちはエーリカ様にお仕えしているのです。たとえ身分を剥奪されようと、国を追放される罪人になろうとも、それは変わりません」
「……ありがとうございます」
「アリス殿下がお部屋でお待ちです。お食事は如何しましょう」
「アリス様のご用が済んでから頂きます」
「かしこまりました」
恭しくお辞儀をする侍女はそのまま廊下の奥へ消えていき、その場に残されたわたくしは彼女の忠実さに心が痛みました。
離宮で働く侍女たちはわたくしの犯した罪を知っています。当然その代償も周知の事実です。もしかしたらアリス様の働きかけがあったのかもしれません。仮にそうだとしても、それでもまだわたくしを主だと呼ぶ彼女たちにどう報いれば良いのでしょうか。なにもかも失ったわたくしになにが出来るのでしょうか。
「……きっとこれも神が授けた罰なのでしょうね」
神と言う言葉は実に便利なものですね。困ったときは“神”という単語を使えばすべて解決してしまうのですから。
侍女たちへ報いる術を見出せず、その魔法の言葉を使って現実逃避するわたくしは止めていた歩みをようやく進め、アリス様の御部屋へと向かいます。
アリス様の御部屋は離宮の2階、昼間ならとても明るい南側にあります。本来なら国王が使う部屋をあてがわれており、扉にはわたくしが使用する部屋同様に双頭の鷲と柊を意匠化した王家の紋章が彫刻されています。
(さすがに今日は入り難いですね)
アリス様がこの離宮においでになってから幾度となく入ったことのある部屋。最近ではノックなしでの入室もお許し頂いてますが、なぜか今夜はドアノブに手を掛けることすら躊躇ってしまいます。かと言ってこのままお部屋の前で突っ立ている訳に行かず、意を決して2度ノックしてアリス様の在室を確認しました。
「アリス様。エーリカです。入っても宜しいですか」
「エリィ? 良いよ」
「――失礼します」
部屋の主から入室の許可を頂き、ドアを開けたわたくしはベッドの淵に腰を掛け手招きするアリス様に思わず笑ってしまいました。
「え、なんで笑うの⁉」
「アリス様って意外と寂しがり屋なのですね」
「ち、違うよ! ここのベッドってフカフカで座り易いだけだから!」
顔を真っ赤にして否定されるアリス様はムスッとされ自分の方が年上だと反論されます。この程度のことで機嫌を損ねる時点で本当はわたくしより年下なのではと思ってしまいますが、もちろん口にすることはせずにアリス様の横に座りました。
「なんか今日のエリィ、私をバカにしてない?」
「していませんよ。それより、アリス様」
「なに?」
「なんで陛下を『金を止める』とか『この国の王になる』と言って脅したのですかっ」
「えぇ⁉ 怒るの⁉」
怒る以外に選択肢があると思っているのが不思議です。理由はどうあれ、一歩間違えれば国際問題どころか、時の情勢次第では兵を出す出せないの問題になることを分かってないとは言わせません。
「アリス様は一国の王女様なのですよ。普段の振る舞いは大目に見ても陛下への態度はもう少し自重なさって下さい!」
「も、もしかして怒られた?」
「怒られました」
「サミ君、怒ってた?」
「ええ。それはもう酷く」
「ご、ごめんなさい」
「と言うのは嘘です。別に怒られたりはしていませんよ」
本当はもう少し反省を促したいところです。けれども思いの外アリス様の表情が暗くなったのでこの辺りで許しましょう。
「すこしお話をしてきました。おそらくこれが最後になるからと。久しぶりに陛下を名前で呼びました」
「そっか。幼馴染だもんね」
「それから婚約の件も。不躾ながらわたくしの方から破棄させて頂きました」
「そう……なんだ」
「ワタシの申し出を陛下は受け入れて下さいました。これでワタシのやるべきことは終わりました。あとは迎えの馬車を待つだけです」
陛下からは追放の日まで離宮で謹慎を申し付けられています。離宮を出ない限り、自由にして良いとは言われていますのでその日までなにをして過ごそうかと悩んでしまいます。しかしそれは同時にアリス様との別れのカウントダウンの始まりでもあります。
「エリィ?」
「アリス様。ワタシは貴女に出会えて良かったと思っています」
「うん」
「仕える身であるにも関わらず厳しいことも言いました。これまでの非礼の数々、お詫びいたします」
「謝らないでよ。私を怒れる人って父上と母上くらいだったからちょっと嬉しかったよ。あ、ウィルもたまに怒ってたかな」
「ウィル?」
「フェリルゼトーヌの近衛騎士。で、私の恋人だった人」
「恋人? その方は騎士だったのですよね」
「そうだよ。それも平民出身。なのに近衛騎士に抜擢されるなんてすごいよね」
「そ、それはそうですが……」
「安心して。別に“キズモノ”にはなってないから」
いえ。だれもそのようなことは聞いてませんし、わたくしを部屋に呼ばれた理由をそろそろ教えて頂きたいのですが。
「エリィはさ、これからどうするの?」
「これから、ですか?」
「そう。追放された後の行き先とかあるの?」
なるほど。そういうことですか。やはりわたくしのことを心配されておられたのですね。
アリス様にはまだ今後のことは話していません。いえ、本当のことを言えば先のことはなにも決まっていません。近隣の国にはレーヴェン家と関係がある貴族もいますが、此度の件があるので頼る訳にも行きません。この身一つで放浪することになるのでしょうがそれをアリス様にお話することはできません。
「国を出たらまずは手に職を付けなければなりませんね。ワタシにはこれと言って取柄がありませんから」
「そっか」
「心配されなくてもワタシなら大丈夫ですよ。でも、こうしてアリス様とお話出来なくなるのは寂しいですね」
思わず本音が漏れてしまいました。サミル様だけでなくアリス様とまでお別れするのは嫌です。本当になぜ父上の愚行に手を貸してしまったのでしょうか。後悔と悲しみからポタリ、ポタリと涙が零れ落ちました。
「ねぇ、エリィ?」
「……はい」
「フェリルゼトーヌに来ない?」
「それは出来ません」
優しいお言葉にわたくしは首を横に振ります。ここで甘えてしまえば一生を掛けて罪を償うと決めたわたくしの決意が崩れてしまいます。なによりアリス様の御命を狙った愚か者なのです。フェリルゼトーヌの世話になるなど出来るはずがなく、やんわりとその旨をアリス様にお伝えします。ですが「却下」と少々語気を強めに言われ、改めてフェリルゼトーヌに来ないかと尋ねられました。
「私はね、単にフェリルゼトーヌへ来て欲しいんじゃない。私の騎士として来て欲しいの」
「アリス様の……騎士?」
「そう。私ね、そろそろフェリルゼトーヌへ帰ろうと思ってるの」
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