その⑤
深夜。泊り番を除くとわたくしとアリス様だけとなった離宮はとても静かです。月明りに照らされた廊下を歩くわたくしの足音は屋敷中に響き渡り、この音でアリス様に気付かれるのではないかと恐れるほどです。
(今夜こそ、決めないと)
普段持ち歩いている
(あの人もきっとそれを望んでおられるはず。ならばその願いに応えなければ)
アリス様を殺せとわたくしに命じたのは父上です。しかしそれにはサミル様の御意向があり、仮にアリス様を殺したとしてもレーヴェン家に一切の責はない――そう聞かされたのでわたくしは父上の命に従うことにしました。とはいえ、他国の王女を殺したとなれば強弁の為処刑さるのは明らか。処刑されるくらいなら家の名誉の為にも自ら命を絶ちましょう。
「ワタシは貴族の娘で国王に仕える身。陛下がそれを望まれるのであれば……」
もうすぐアリス様のお部屋に着いてしまいます。突き当りを右に曲がればすぐ扉が見えます。その扉の奥でアリス様はなにも不安に思うことなくお休みになれているのでしょうね。
(ワタシはレーヴェン家の人間。サミル様に仕える身なのです。陛下の為ならこの命など――)
命など惜しくない。そう思った時でした。目の前に迫ったアリス様のお部屋から仄かに明かりが漏れているではないですか。
「こんな時間まで……なにをしていらっしゃるのでしょうか」
普段ならわたくしも床に就いている時間。だれもが寝静まるこんな深夜までアリス様はいったいなにをしておられるのでしょうか。
(もしかして朝が苦手なのって……)
夜更かししているからなのでは? そんな疑問が浮かぶわたくしはアリス様のお部屋の前に着くと扉を軽くノックしました。
「アリス様。起きていらっしゃいますか」
「エリィ? 起きてるよ~」
良かった。ランプを灯したままお眠りになっていたのなら火事の恐れもありました。わたくしは入室の許可を頂くと扉を開け、薄明りの室内へ入りました。
「珍しいね。もうすぐ日付変わっちゃうよ。っていうか、ダガーなんて持っちゃってどうしたの」
「こ、これは……癖です」
しまった。アリス様を殺める為に来たのにこれではまた失敗に終わってしまいます。それでも手にした凶器をアリス様に向けることが出来ず、わたくしは苦し紛れの言い訳を口にするので精一杯でした。
「普段から帯剣しているとなんと言うか――」
「手持ち無沙汰?」
机に向かったままわたくしの代わりに答えるアリス様は無防備でこのまま勢いに任せて一突きも可能でしょう。ですがどうやらこのままアリス様を殺し損なうようです。今夜も普段のエーリカ・ヒルデガルド・レーヴェンを演じることとなってしまいました。
「アリス様はこんな遅くまでなにをされていたのですか」
「ちょっとね~」
「書き物ですか?」
机に向かいノートにペンを走らせるアリス様の表情は険しく、どこか父上やサミル様に似ていました。
「なにを書かれていたのですか」
「私の夢、かな」
「夢ですか?」
恥ずかしそうに頬を掻きながらもノートを隠そうとはせず、それを見せてくれるアリス様はまるでわたくしに意見を求めているようでした。
アリス様がペンを走らせていたノートの表紙には『フェリルゼトーヌが抱える課題と展望』と少し大きめの文字で書かれてありました。表題を見るだけでなんとなく想像できました。いつか国に戻った時、その時にやるべきことをアリス様なりに纏めておられるのでしょう。
「私ね、いつかはフェリルゼトーヌに戻らないといけない。戻って国を正しく導くことが私に課せられた王族としての責務だと思うの」
「責務ですか?」
「うん。だからね、その時にやりたいことや国が抱える問題を纏めていたの」
「たとえば、この“封建制廃止”もですか?」
「うん。これは父上が成し遂げたかった改革の一つ。ほら領主の中には王の意に反して圧政を敷き領民を苦しめている者もいるでしょ」
「だから封建制を廃止したいと?」
わが国にも言えることですが、王に代わり各地を収める領主たる貴族の中には過度の税負担や必要以上に使役を強いて民を苦しめる者もいます。それはフェリルゼトーヌでも同じらしく、アリス様は王家が直接統治することで民の負担を軽減したいとお考えのようです。しかし民衆の支持は得られても王に仕える貴族からの反発は避けられません。
「アリス様のお考えはご立派だと思います。ですが民が平和に暮らせるのは王の名の下に貴族が各地を治めているからであり、それを蔑ろにするわけには」
「だから父上は踏み込めずにいたの。何度も貴族たちと話し合ったけどその度に反発にあって、結局成し遂げることができなかった」
ロラウ様の無念を思ってなのか唇を噛みしめるアリス様は「難しいのは分かってる」と呟きます。
「父上の理想を叶えるのは正直、難しいと思う。でも、私は私なりに父上が目指した国を作りたいの」
「アリス様はフェリルゼトーヌをどのように導きたいのですか」
「平民も貴族も分け隔てなく、平等に過ごせる国。それが私の夢」
だれもが平等に暮らせる国――たしかに国を統べる者なら一度は目指す理想郷かもしれません。しかし実現するにはいくつもの課題があり、失敗に終わったことは歴史が証明しています。それでもこのお方はきっと成し遂げるのではと、そんな期待をしてしまうほどアリス様の瞳は真っすぐで、ただ命に従うだけのわたくしとはまるで違いました。
「アリス様ならきっと出来ます」
「ほんと?」
「はい。信じています」
「ありがと。エリィ」
「でも、夜更かしは程々になさってくださいね。毎朝起こす身にもなってください」
「えぇ~」
「『えぇ~』じゃありません。アリス様は王女であり、民の手本となるべき地位にいるのですよ」
このやり取りも幾度となく繰り返してきましたが「歳はエリィの方が上」と耳を傾けては頂けません。
「とにかく、あまり遅くならないようにしてください」
「は~い」
「ワタシは部屋に戻りますね。それではお休みなさいませ」
深々と礼をするわたくしは回れ右をしてお部屋を後にします。背後からアリス様の「お休み~」という声が聞こえますが、その間延びしたお声に大きくため息が漏れてしまいます。
「これでは護衛ではなく教育係と言われても仕方ありませんね」
離宮の従女の中には本気でわたくしがアリス様の教育係だと思っている者もいると聞きます。きっとフェリルゼトーヌでは伸び伸びとお過ごしになっていたのでしょう。普段のアリス様を拝見しているとそのような気がします。それと同時に王位継承者としての才覚と言うべきでしょうか、国をどう導きたいのかはっきりとしたビジョンをお持ちのように感じます。だれかの言いなりとなるわたくしとは大きな違いであり、すごく羨ましく思います。
「……アリス様。ワタシは貴女が羨ましいです」
ふと窓の外を見れば夜空の月は霞掛かり、朧月となったそれはまるでわたくしの胸の内を表しているかのようでした。
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