TS転生魔族の異世界生存戦略〜TS転生して魔族になった私は異世界を自由に生きる〜

黒猫のアトリエ

第1話 転生

 目覚めると、そこは薄暗い部屋だった。


 コーヒーの香ばしい香りが部屋を包み込み、薄暗いながら部屋を照らす照明は古いアンティークで統一された調度品の光沢を持たせる。

 蓄音機から落ち着いたテンポの局が流れており、小洒落た喫茶店のような部屋であった。


「ようこそ、私の神域へ。歓迎しますよ、盛大に」


 ソファから立ち上がり、周囲を見回していると何処かから声が聞こえてきた。

 声がした方向を見ればソファに燕尾服を着た男が椅子に座っていた。


(――――え?)


 男を顔を見た瞬間、俺は思考が途切れた。


 男――否、怪物の首から上は存在しない。

 その代わり、大小様々な銀河と星が浮かぶ宇宙が広がっていた。


 動揺していた俺を気にすることなく怪物はソファから腰を上げる。


「『スペースマン』。個としての私はそう名乗りましょう。盲目白痴の魔王のメッセンジャー、百の貌を持つ無貌の者、その化身の一人でございます」


 怪物はホテルの支配人のように丁寧に頭(?)を下げ、俺に顔を向ける。


 その瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。


(なんだ、これは……!?)


 怪物に威圧感があるわけでも無い。

 頭を除いて目に見えて恐ろしいところもない。

 けれど、本能が警鐘を鳴らし刹那の一瞬で心の奥底から『恐怖』の感情に支配された。


 『ただそこにあるだけで力持つ神』


 理解したくもないことが嫌でも理解できてしまい、同時に歯を食いしばり恐怖に屈することを堪える。


「……ここは、どこだ?」


 恐怖を押し殺すと怪物を見据える。


 怪物はソファに座り直し足を組むと愉快げな声音で、


「ここは私の神域、人間の言葉で言い換えると死後の世界です」

「死後の世界……か。実感が湧かないな」


 何故ここにいるのか。

 どうしてここにいるのか。

 その全てに納得がいかないし死んだという実感が湧いてこない。


(……そもそも俺は誰だ?)


 名前は勿論、俺は俺自身の顔が思い出せない。

 男であることは明確に思い出せるのに、それ以外の自分を構成する全てが俺の頭には存在していなかった。

 

「実感が湧かないのは思い出は肉体に結びついているからです。魂が肉体から解放された際に思い出は肉体に置いていかれます。次に持っていけるものとしたら知識と僅かばかりの自我でしょう」

「次……というと転生というやつか」

「その通り」


 スペースマンは何処からともなく現れたコーヒーのカップを手に取り存在しない口に流し込む。


「死後の世界は転生する際の中間地点に過ぎません。本来なら認知できませんが、稀に貴方のような自我を残した方が来ることがあります。私たちはそうした人には祝福と呪いを授けているのです。勿論、私たちの利益のために」


 スペースマンが白い手袋を着けた右手の指を弾く。パチンという音と共に、空間が揺らぎ始める。


「それと、この世界で人は長く意識を持たせることはできませんよ」


 瞬間、視界が揺れた。

 脳が焼けるように熱く、平衡感覚が狂っていく。

 俺は額に手を当て地面に膝をつけ、スペースマンは立ち上がり俺を見下ろした。


「汝、欲望を解放しなさい。好きに生きて、私を楽しませて下さい」


 その視線はとても無機質で、冷たくて、たったそれだけで人の正気を狂わせるような恐ろしさがあった。


(―――――ッ!!)


 瞬間、俺の心は恐怖とは全く違う何かが爆ぜた。


「くそっ、がぁっ!!」


 意識を落としかけた体で立ち上がり、握った拳が怪物の胸を叩く。

 ドンッ!!と肉を打つ衝撃音が手から伝わり、俺は怪物を見据える。


「ふむ……実に良い。我が主である魔皇の泡沫の眼に止めることはありますね。それだけですが」


 何事もないように怪物は俺の手を握った。

 瞬間、俺の意識は暗闇に落ちていく。


 ――こうして、俺は何度目か分からない死を迎えた。


 ■


 悪夢は終わり、現実へと回帰する。

 藁と土、紙とインクの匂いが鼻腔を満たし、私は瞼を開ける。ゲルのようなテント、その中心で私は眠っていた。


(……不愉快極まりない夢だ)


 私は上体を起こし、黒く床につくほど長い髪を掻くと立ち上がる。

 床に敷かれたカーペットの柔らかさとその下にある地面の固い感触を足裏に感じながら、寝間着を脱ぎ白磁のような肌を空気に曝す。


(……スペースマン、こいつの夢はいつ見ても気に食わない)


 私ことアビゲイル・セイラムには前世の記憶がある。

 前世といっても名前も顔も思い出せず、あるのは前世の知識とスペースマンとの邂逅の記憶のみ。

 後者は意識的に思い出さないようにしているが、時折夢で見てしまい、目覚めると酷い頭痛になる。


(しかし、前世の私はこのような姿になるとは思ってもいなかっただろう)


 化粧台に備え付けられた鏡を私は見つめる。


 鏡には異形の少女が写っていた。


 幼く華奢な体つきで両目は黒い目隠しで隠されている。

 耳は小さく尖っており、四肢は蛇を思わせる滑らかな黒い鱗で覆われている。

 臀部から四肢と同色の鱗に覆われた蛇の尾が伸びており、私の意思に従って動かせる。


 前提として、この世界の人間は様々な種族が存在する。

 エルフやドワーフ、ゴブリンといったメジャーなものからライカンスロープ、オーガ、レプラカーンといったマイナーなものまで様々だ。


 しかし、それでも前世の人間――ヒュームの男とは大きくかけ離れている姿に私は目隠しに隠れた目を細める。


(魔族バジリスク。随分と変わった種に転生したものだ)


 寝間着を床に落としタンスの引き出しの中から下着と新しいワンピースを取り出す。


 着替え終えると黒髪を紐で一つに纏めて下ろし、テントから出る。


(……少し風があるな)


 夜明けの頃合いということもあって空は暗く、草原の風が髪を揺らす。

 人気はなく、風の音を除けば静謐に包まれた集落を私は一人心地に歩く。


(とりあえず、顔でも洗うか)


 集落に造られた井戸に紐のついた桶を落とし水を掬い、汲み上げると目隠しを外して顔を洗う。


(顔を洗う際に毎回目隠しを着脱するのは面倒だが……まぁ、それがバジリスクという種族の特性上仕方ないか)


 顔から余計な水分を拭い、目隠しをつけ直すと赤くなり始めた空を見上げた。

 もうすぐで夜警備の魔族たち以外も起きる時間になり、集落も騒がしくなってくる。


(私はこの異世界を自由に生きる。目下の課題はこの世界で生き残れるだけの力を得ることだ)

 

 この世界における自由とは強者の特権だ。

 己の心のままに生きるにはそれ相応の力が必要となってくる。

 人権の概念が薄い異世界において、自分らしく自由に生きるためには前世以上に様々な力を必要になってくる。

 

(まずは選べる選択肢を増やす。話はそれからだ)


 今の年齢は10歳であり、成人までの残り5年の内に得れるものを少しでも多く得る。

 結局のところ、努力の必要性はこの世界でも変わらないのだ。


「……スペースマン。私は私のままに生きる。お前の指図を受けて生きるつもりはない」


 赤く染まり始める空を見上げ、この世界を何処かから見ているであろうスペースマンへ静かに宣言する。

  

 この人生を阻む者は誰一人として許さない。

 例え修羅に成り果てようとも、その心は決して変わることがない。



 

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