血泡の歪み

ろくろわ

親友の訃報

 篠倉ささくら 蓮斗れんとの元に吉岡よしおかの訃報を届けたのは、吉岡とあまり付き合いの無い同級生からだった。そしてそれは吉岡の訃報が篠倉よりも先に届いていたという事実でもあった。


 吉岡が死んだ。


 その知らせが篠倉の元に来るのが遅かった。篠倉の胸に残るざらっとした気持ちは、その事だけが理由では無かった。に思い当たる節があったからだ。

 篠倉はそれを確かめるかのように妻の美沙子みさこに吉岡の訃報を伝えた。


「美沙子。吉岡が亡くなったそうだ」

「えっ嘘?私何も聞いてないよ」


 やはり妻の美沙子にも連絡は来ていなかったようだった。美沙子は酷く取り乱し、ポロポロと涙を流していた。無理もない。美沙子と吉岡は赤子の時からの幼馴染みであったから。

 取り乱す妻の美沙子を慰めながら、篠倉は吉岡の事を考えていた。




 吉岡 武豊たけとよは妻の美沙子の幼馴染みであり、俺の高校時代の親友でもあった。


 俺は高二の五月という何とも中途半端な時期に、親の都合で大阪から東京の高校に転校した。

 高二の五月と言えば文理選択が終わり、新しくなったクラスメイトとも落ち着いてくる時期で、ましてや後一年そこらで次の進路を決める時期でもあった。そんな時期に転校した俺は、一人勝手に疎外感を感じていた。まぁだからといって友達が出来ないとか教室で孤立するとかそんな事はなく、一ヶ月もすれば一通り馴染んだのだが。

 その中でも、特に吉岡とその幼馴染みである古木ふるぎ美沙子の二人とはすぐに仲良くなった。

 吉岡はどちらかと言えば、感情表現が少なくてあまり前に出るようなタイプではなく、人の横に並んでペースを合わせてくれるような男だった。反対に美沙子は天真爛漫とでも言うのだろうか、自分の感情をストレートに出し楽しそうに過ごしていた。俺達は選択科目も同じで、好きな歌手や趣味もなんかも合った。そして俺と吉岡は自由奔放な美沙子に振り回されながらよく三人で遊んで同じ時間を過ごしたのだった。

 そんな俺達が出会って半年が過ぎた十二月くらいの頃、吉岡が俺の事を「ささくれ」とあだ名をつけ呼び始めた。俺があだ名の理由を聞くと「俺達、ずいぶん仲良くなっただろ?だからあだ名で呼ぼうかなって。篠倉、名字が篠倉ささくらで名前が蓮斗れんとだろ?だからってしてみたんだよ」って吉岡は一瞬悲しそうな表情をして答えた。

 その時の俺はその表情もあだ名の意味もよく分かっていなかった。単純に吉岡からの呼び名が変わった。そう思っていただけだった。

 結局、あだ名呼びになったからって俺達の関係は変わること無く過ごし卒業を迎えた。


 いや、それは違う。


 関係は少し変わっていった。俺と美沙子は二人で過ごす時間が増えていった。当時はまだ付き合ってこそいなかったものの、誰がみても、そう見られておかしくは無いくらいの関係だった。そんな俺達とは反対に、吉岡とは少しずつ一緒にいる機会が減っていった。

 卒業式の夜、俺は吉岡からずっと美沙子の事が好きだった事を聞かされた。俺も何処かで吉岡の気持ちには気付いていた。俺にあだ名をつけてくれ、合う時にはいつもと変わらずに過ごせたのは、吉岡が何となく気を遣っていてくれたからかもしれない。

 結局、俺と美沙子は高校卒業後に付き合いだし、吉岡とはその後、少しずつ疎遠になり、いつしか会うことも連絡を取ることも無くなっていた。

 一度、俺達の結婚の報告と式の案内で連絡した時も「おめでとう」と「式は都合がどうしても合わない」と返事を貰ったきりだった。


 だから吉岡の訃報を俺達に届けたのが、吉岡とあまり付き合いの無かった同級生であったとしても、何と無く理解は出来た。


 それに。


 俺は隣で泣き腫らしている美沙子の背中を撫でながら、ている自分の指をみた。関西から来た俺が、この傷の事を関東ではと呼ばれる事を知ったのは高校を卒業した後、吉岡と疎遠になってからだ。

 俺はこの傷がと呼ばれる事を知って、初めて吉岡がどういうつもりで俺のあだ名を「ささくれ」と呼んだのか考えるようになった。


 自分の身体に死ぬ程ではない小さなささくれ。皮膚が裂け、水や少しの刺激が不快な痛みを残す。痛みを捨て去ろうと皮を剥くと、余計に傷は広がり膿を持つ。

 吉岡は俺の事をそう思って「ささくれ」と呼んだのではないのだろうか。自分の好きな幼馴染みの気持ちが俺に向いていく事も、それをどうする事も出来ず見ているだけの吉岡自身も。仲が良かったからこそ、俺達の行動一つ一つが吉岡にとっては傷となり、その原因となった俺は吉岡の「ささくれ」だったのかもしれない。



 俺は美沙子の背中を撫でていた自分の指先のささくれを掴もうと爪を立てた。小さなささくれは、爪で挟むことが出来ず、歯でそれを咥え引きちぎった。

 ピッとした痛みの後に小さな血の泡が少しずつ大きくなっていった。そしてポタリと泡は崩れ指先へと流れ出した。


 死ぬ程の傷じゃない。だけど凄く不快な痛みだ。


 俺は一滴と流れ落ちる指先の血泡を見つめ、吉岡の事を思った。

 吉岡はどういうつもりで俺に「ささくれ」とつけたのだろうか。本当に仲良くなったからあだ名をつけてくれたのか、それとも。

 その答えを知ることはもう出来ない。吉岡から聞くことも出来ない。

 吉岡は死んでしまったのだから。


 指先で脈打つ痛みを隠すように、俺はそっと唇でそのささくれを挟んだ。






 了

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