ハゲさんの場合
花園壜
ハゲさんの場合
ハゲで、デブで、自分ではわからないのだが、よく「
「
「なんか気持ち悪くなってきちゃった」
すまんなJDよ。
我が娘、別れた妻が連れて行った我が娘もこれくらいになっているはずだ。
思えばあの母子が出ていった頃から俺の人生は瓦解を始めていたのだ。
今では閑職に追いやられ、出社したところで仕事といったものは特になかった。
そういえば今日、人事の者が訪ねてくるような話があったが、もう察しはついていた。
俺は、いつもなら乗り過ごすだけのターミナル駅で降り、特急に乗った。
都心から2時間程離れた海辺の町。
こんなに潮の匂いを嗅ぐのはどれだけ振りなのだろう。
自分の育ちもこういうところだったと言うのに、すっかり忘れていた匂い。
「そうだな。田舎帰るか」
つぶやいた途端に力が抜けた。
いや、これは目眩だ。高血圧め。
頭頂部に乗せていたハンカチが空高く、いや、俺のほうが落ちてゆくのだ。海をめがけて――
真っ白な太陽。透き通った入江。なだらかな丘陵をゆくトラム。遥か彼方にそびえ立つ入道雲。
どうみても南国の風景だ。
俺は海パン。腕に水中メガネをひっかけ、大きな浮き輪に乗ってプカプカ。
えーっと、助かった? いや、最近は三途の川じゃないのか?
それに浮き輪に乗っているはずの肉まんは見当たらず、細い身体が見て取れた。
頭から頬首筋を順に撫でてみると、髪はふさふさ、頬は細く、顎にぶら下がる肉塊はなかった。
ああ、これは十代の頃の俺だ。
きっと死に際し、良かったあの時分を思い出しているのだろう。
こんなにも生き生きしていたのだ、と。
入江の水面がキラキラ光って、俺の眼鏡と頭頂部に反射した。
俺はトラムの中で目覚めた。
つうか、死んだらお花畑、じゃないのかよ。
異世界? いや、外国人が作った映画やAIの画像に出てくる違和感のある日本。その南国と言ったところか。
これは神様仏様大いなる存在様とやらが我々と対話する術なのか。
既視感のある世界を形成して見せるというのは、これも映画やアニメにあった。
車内放送。次の停留所でイベントをやっているとのことだ。
「ビール無料」の
喉もカラカラ。これはもう行くしかない。
「そろそろ交代してよー」
スクール水着(と思われる)の少女が浮き輪を揺らす。
「わたしじゃ貝のところまでなかなか潜れない」
まぁ死後の世界なので何でもありなのであろうが……置かれた状況や設定が脳内にスルスルと入ってきたのはなんとも不思議な気分だった。
真珠貝を採るコンペティションに仲間たちと参加していた。
ここの貝には何故か、『ちゃんと球体をした勾玉の天然真珠』ができるのだと言う。
年に一度のこのイベントの時だけ、その貝を採って良いのだ。
「おもしろい」
随分前にいた部署の案件で扱ったことがあるが、そのような形の真珠はなかなか出来ないのではなかったか。
大雑把に言うと真珠というのは貝の中に入った異物を分泌物が覆うことで生成される。
奄美あたりで産出される水滴型や勾玉型の真珠は、貝殻に張り付いているもので半円だ。
外套膜という肉の中に異物――核を埋め込む真円真珠から派生で、たまたまいびつな形になることはある。
だがしかし、ここの展示品のような球面で2、3センチの勾玉型。しかも天然など、おいそれと採れるわけがないだろう。
嘘くさいメインイベントにはまるで関心が持てなかった。
現に競技そのものには1割の人も集まっておらず、ほとんどがフードコートにいた。
出場者の一部ですら途中で引き上げてきて、俺を囲んで飲み食いし始める始末だ。
酔っているからか、俺の先程同様の薀蓄にやたら乗ってくる連中だった。
少女の一人は水着姿だったというのに何処からか大きなメモ帳を取り出して書き込み始めた。
会社の若い衆じゃこうは聞いてくれなかったよな。
ちょいと泣けてきた。
そうだった。別の世界なんだな、と笑いも出た。
何十年ぶりではあっても潜れるものだ。いや、この身体だからなのか。
ターゲットは昔見た覚えのある白蝶貝そっくりなので探すのは案外楽だった。
早々に規定数を確保し上がってくると、仲間達がフードコートで盛り上がっているのが見えた。
そして審査。
なんと俺、いや我がチームの貝からは複数の真珠が出た。
仲間達はこの段になって戻ってきて俺を胴上げした。
賞金ゲット! えーっと、まいっか、みんなで分けような。
貝柱カツ
そして、記念品! 小さな勾玉真珠を一個貰った。
成績発表や表彰が行われていることも気付かず楽しんだ。
なんと一緒に呑んでいる連中のチームは優勝していたのだが、入れ替わり立ち替わり、行ったり来たりで半分くらいは常時こっちにいたので、それを知ったのは退出時間になってからだった。
「おめでとう」と言うと、
「これあげる」
少女が勾玉真珠をくれた。
医者に止められてずっと抜いていたからか、若返ったからなのか、久しぶりのお酒は美味しくて、しこたま呑んでしまった。
気付くと市街地にやってきていた。
ああ、何件か梯子したんだっけか?
「こっちこっち」
地下道の途中で、少女たちが手を振った。
「ここにね、行けたり行けなかったりする遺跡があるんだよ」
「俺か?」と俺。
「俺だ」と俺。
「ややこしいって。俺は若い俺。あんたは歳寄りの俺、略して」
「いや、いい」
真っ白とも真っ暗とも付かない空間に二人の俺だけがいた。
そういえばこの世界にやってきてからずうっと、視界の隅にお互いを感じていた気がする。
いや、最後の辺りはあいだに数人挟んだだけのすぐ傍にいたと言うのに、決して互いを見ることはしなかったのだ。
「このハゲがー!」
「何だと小僧ー!」
これはもう、殴り合うしかなかった。
点けられたままのテレビ。
【〝男海女〟の
フードを被った男性がアップにされかけたところで、テレビの前に黒猫が座り映像を隠す。
音声も、身支度と思われる雑音に途切れ途切れだった。
『以前ニュースでお伝えした……』
『身元不明で記憶喪失……』
『発見者の元で海の仕事に携わっており……』
『一軒家で一人暮らしをするまでに……』
『充実した日々を』
ここでテレビは切られた。
猫からパンダウンしていくと桐の小箱に焦点が合う。
開けると中にはふたつの勾玉真珠。
それぞれに、それぞれの俺が映る。
「ニッ」
と笑ったところで蓋は閉じられた。
さあ、仕事だ。
了
ハゲさんの場合 花園壜 @zashiki-ojisan-k
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