Trimmer

ひづきすい

本編

 1945年4月30日、アドルフ・ヒトラーが自殺しない『ささくれ』が出現したので、僕はそれをピンセットでつまんで、廃棄用ベントに放り込んだ。処理水にささくれが触れた瞬間、その時間軸に存在する全てが蒸発した。最期の瞬間まで、彼はよく分からないドイツ語を叫んでいた。

 僕が一息ついて周りを見やると、僕と全く同じ白い防護服に身を包んだトリマー達が、時幹じかんから絶えず発生するささくれの処理に明け暮れていた。その列は遙か遠くまで続いている。一直線に伸びる時幹を囲むように並んで、お互いに喋ることも、目を合わせることも無く、黙々と作業に専念している。

 この『時幹』というものが何なのか、僕らはよく分かっていないし、理解することも無いだろう。時幹は無限の長さを持っていること。そこから発生するささくれを放置しておくと、新たな時幹を作り出して、元からあった時幹を破壊してしまう恐れがあること。そのために、僕らトリマーはささくれを切り取って、適切に処分しなければならないこと。この三点だけを押さえていれば、仕事に支障をきたすことはない。

 目を凝らして見ると、時幹の中を無数の人生が流れているのが分かる。ライアン・レイノルズが『グリーン・ランタン』に出演しないささくれを切り取っていると、殺人中のテッド・バンディが、僕の目の前を通り過ぎていった。偶然、僕は彼と目を合わせてしまった。出来るもんなら、俺を殺してみろ。彼の視線は挑発的で、僕は思わずピンセットを構えた。けれど、それは許されないことだ。僕らが切り取って良いのはささくれだけで、正しく時幹の中を流れている時間軸を切り取ることは、時幹を破壊してしまうことに繋がりかねない。

 時折、自分は何のためにこんなことをしているのか、よく分からなくなる。僕らがやっていることは、人を不幸にすることも無ければ、人を救うことも無い。時幹の中に生きている人間は、僕らの仕事を見ることはできない。ささくれの中の人間も同様だ。消滅するその瞬間に至るまで、彼らが僕らの存在に気づくことは無い。結局のところ、僕らがやっていることに、意味なんて無いのかも知れない。

 ふと気づくと、僕は自分の姿が時幹の中にあることに気づいた。僕は時幹の中の、一人の女優に惚れていた。その姿はモナリザのように美しく、その声は小鳥のさえずりよりも軽やかなだった。けれど、その女優は1971年12月18日に死ななければならなかった。僕がその事実に嘆き悲しんでいる時、目の前に一つのささくれが生まれた。それは、彼女が死ななかったささくれ。僕は苦悩の末に、そのささくれを放置した。ささくれはあれよあれよという間に成長して、元あった時幹を食い潰してしまった。

 なんて馬鹿なことをするんだろう。僕は自分の愚かしさに耐えられなかった。間の良いことに、その時間軸はささくれになってくれたので、僕はさっさとそれをつまみ取って、ベントの中に投げ捨てた。

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Trimmer ひづきすい @hizuki_sui

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