ナタリーという勇猛果敢すぎる女の戦い

 妙だぞ──


 リビングにて、音を消したテレビを観ていたナタリー。

 だが突然、表情が変わる。そっと拳銃を抜き、音を立てないように動き出した。

 家の周囲は、しんと静まり返っている。時刻は午後十時近くで、外は闇に覆われていた。

 おかしい。普段なら、微かに聞こえてくるはずの虫の音がないのだ。

 つまり、家の周囲に何かが潜んでいる……その可能性が高い。ナタリーは、すぐに行動を開始した。明かりを消し、そっと窓に近づいていく。

 その時だった。いきなりドアが飛んでくる。強烈な衝撃を受け、木製のドアが吹き飛んだのだ。

 ナタリーは、すぐさま反応した。銃口を玄関に向け、トリガーを引く──

 侵入者は、弾丸をまともに喰らった。しかし、これで終わりではない。確実に仕留めるため、さらにトリガーを引く。

 弾丸のほとんどは、侵入してきた者の体に炸裂した。続いて、バタリと倒れる音。かなり大柄な男だ。

 もっとも、そんなことを気にしている場合ではない。ナタリーは叫んだ。


「希望! 逃げるぞ!」


 そう、この家は敵にバレてしまった。もはや、隠れ家としての用を成さない。こうなった以上、速やかに逃げなくては──

 しかし、希望は自室から出てこなかった。何が起こったのか。即座に彼の部屋へと入る。

 希望は部屋にいたが、完全に怯えきっていた。床に尻餅を着いた体勢で、ガタガタ震えながら口を開く。


「あいつらが来たんですか!? 学園の連中が──」


「違う。不良学生が相手なら楽勝だよ……」


 そこで、ナタリーは口を閉じる。足音が聞こえてきたのだ。かなり大柄な男の立てる音だ。しかも、隠す気がないらしい。

 顔をしかめ、舌打ちした。確かに、弾丸は侵入者に命中した。胸に三発は当たったはずだ。仮に防弾ベストを着ていたとしても、弾丸の衝撃を止めることは出来ない。胸に当たれば、肋骨が折れ戦闘不能状態になっているはずだ。

 なのに、奴は歩いている──

 ナタリーは、素早く弾丸を込めた。最初に倒した時、とどめを刺しておかなかったことが悔やまれる。やはり、日本で暮らしている間に甘ちゃんになっていたのか。

 だが、この状況でミスを悔やむのは死を招くだけだ。速やかに、ミスを挽回する手を考える。

 直後、希望にスマホを放った──


「何もかも無視して逃げろ! そこにシドの番号が登録してある!」


 言った時、のっそりと入ってきた男がいた。黒いスーツ姿で、百八十センチを優に超える長身とガッチリした体格、そしてリーゼントの髪型。

 白土市の御意見番として恐れられており、不死身の立花なる異名を持つ男、立花薫だ──


 直後、立花の動きは一変する。ゆったりとした動作が変わり、凄まじいスピードで突進してきた。しかも、顔面をガードした体勢だ。

 同時に、ナタリーの拳銃が火を吹く。放たれた弾丸は、確かに大男を捉えていた。だが、立花は止まらない。彼の突進は相撲のぶちかましのごとき技となり、ナタリーを吹っ飛ばした。

 突進して来る相手を止めるのは、小口径の拳銃では難しい。まして、立花のスーツは特注の防弾使用だ。弾丸は当たっておりダメージもあるが、ゴリラ並に頑丈な立花を止めるほどのものではなかった。百キロを超える大男の突進をまともに浴びたナタリーは、向こう側の壁まで吹っ飛ばされた。

 しかし、彼女もこうした状況は初めてではない。海外の裏社会で十年以上生き抜いてきたキャリアが、次に取るべき行動を教えてくれる。

 ナタリーは、素早く床を転がり立花に接近した。待ってましたとばかり、立花の蹴りが飛んでくる。格闘技の蹴りではなく、サッカーボールを蹴るようなキックだ。

 その攻撃も、ナタリーは読んでいた。今度は斜め方向に転がり、蹴りを避けつつ一気に間合いを詰める。いつのまに抜いたのか、その手にはダガーナイフが握られていた。

 逆手に持ち、太股に突き刺す──

 またしても想定外の事態が襲う。ナイフは、確かに刺さっている。そこから、さらに深く刃を突き刺し、大腿の動脈を切り裂くつもりだった。

 しかし、刃が奥まで通らないのだ。スーツが防刃仕様であることに加え、立花の異様に発達した大腿筋が、刃のダメージを最小限にしているのだ。

 次の瞬間、立花の手が伸びてきた。彼女の束ねられていた後ろ髪を、ぐいっと掴む──

 ナタリーに僅かでも躊躇があれば、勝負はこの瞬間に決していただろう。立花の腕力なら、髪ごと彼女を持ち上げ壁に叩きつけることも出来た。この男の怪力で壁に叩きつけられたら、戦闘不能状態に陥る可能性が高い。

 ところが、そんな展開にはならなかった。ナタリーは、その手からあっさりと逃れたのだ。直後に後転し、間合いを離す。

 睨み合うふたり。その時、立花が口を開いた。


「日本には、髪は女の命って言葉があるんだがな。そんなの関係ねえってわけか。たいした嬢ちゃんだぜ」


 感心した面持ちで語る彼の手には、ひとふさの黒髪が握られていた。そう、ナタリーは髪を掴まれたと判断した瞬間に、ダガーナイフを振るい髪を切り裂いたのだ。これは、知識があるからとか、教えられたからといって出来るようなものではない。実戦で磨き抜かれた勘の為せる業だ。


「私は、髪が命だなどと思ったことはない。実際の命の方がよっぽど大事だ。それよりも、あなたに聞きたいのだが……ここに来た目的はなんだ? 交渉の余地はあるのかな?」


 言いながら、彼女はじりじり横に動いていく。目の前の男と、まともにやり合っても勝ち目は薄い。防弾防刃仕様のスーツと、分厚い筋肉による打たれ強さで防御面は完璧だ。しかも、腕力はゴリラ並である。急所を腕でガードしつつ突進し、体格と腕力を活かした喧嘩殺法で叩き潰す。それが、この男のスタイルなのだ。拳銃の所持が犯罪となる日本ならでは、なのかもしれない。


「ここに来た目的は、お前と竹川とかいうガキをさらうためだ。交渉の余地なんか、あるわけねえだろうが。お前らのやらかしたことのせいで、白土に血の雨が降っているんだよ。悪いが、死ぬよりも嫌な目に遭ってもらうことになる」


「なるほど。では、戦うしかなさそうだ」


 ナタリーは、ニヤリと笑った。次の瞬間、その目線がズレる。立花を睨んでいた瞳が、後ろにいるかもしれない何者かに向けられたのだ。しかも、その顔に安堵の表情が浮かんでいる。

 立花は、その目線の先にあるものを追ってしまった。この修羅場にて、安堵の表情を浮かべる……その異常事態を見逃すことが出来なかったのだ。一瞬ではあるが、女から視線が逸れる。

 が、何もない──

 それは、まさに千載一遇の好機だった。目線によるフェイントにより、相手の目線も外れた。と同時にナタリーは動く。立花めがけダガーナイフを投げつけた──

 ところが、立花もまた化け物であった。投げる動作を見ていなかったはずなのに、ダガーナイフに反応し腕をブンと振ったのだ。これまた、歴戦の中で培われた勘によるものだ。ナイフは叩き落とされ、床に転がる。

 しかし、ナタリーの計画はここからが本番である。その零コンマ何秒かの間に、立花と手が触れんばかりの位置まで接近していたのだ。

 拳銃を抜き、発砲する──

 ナタリーの狙いは、立花の頭を撃ち抜くことだった。この状況では、まともに撃っても頭に当てるのは難しい。体に当てても、この大男の突進は止められない。ならば、接近し確実に脳天に当てる。

 だが、予想外のことが起きていた。ほぼ同時に、立花も動いていたのだ。腕を振ると同時に体が回転し、足が伸びる──

 それは、中段後ろ蹴りだった。くるりと体を回転させ、同時に足をまっすぐ伸ばし相手の腹に当てる技だ。威力が高いが、技の終わりに半身となり頭を反らせる形となる点が大きい。ほんの僅かな差だが、それが勝敗を分けることもある。

 拳銃より放たれた弾丸は、立花の頭を掠めただけだった。一方、彼の足裏はナタリーの腹にヒットする。

 次の瞬間、ナタリーは飛ばされた──

 壁に叩きつけられた彼女は、呻き声を漏らす。小型バイクに跳ねられたような感触だ。まともにくらえば、内臓が破裂していただろう。とっさに背後に飛び最悪の事態は免れたものの、肋骨が何本かやられた。その上、拳銃も落としてしまった。どうにか立ち上がったものの、まともに戦える状態ではない。もはや絶望的である。

 ナタリーは、立花を睨みつける。この男、本当に恐ろしい。今までの攻防を見る限り、動きや技のほとんどが我流だ。系統だった訓練も受けていない。にもかかわらず、超人的な身体能力や瞬時の判断力などといった部分を活かし、独自の喧嘩殺法を編み出している。海外のマフィアでも、チンピラからのし上がったような者はこの手のタイプが多い。

 こうなったら、希望だけでも逃がす。そう思った瞬間、彼女の表情が歪んだ。それは苦痛や絶望によるものではない。

 想定外の事態が起きていたのだ──

 

「まあまあ面白かったぜ。お前なら、岸田さんに気に入ってもらえるかもしれねえぞ。だから、無駄な抵抗はやめておけ」


 勝利を確信した費用で言い放ち、立花は慎重に近づいていく。こんな時でも、まだナタリーを警戒していた。彼女の目は違う方を向いていたが、フェイントと判断し無視したのだ。見た目は粗暴だが、中身は実に慎重な男である。

 ところが、その慎重さが裏目に出た。突然、立花の表情が凍りついた。背中に、チクリとした痛みが走ったのだ。顔を歪め、パッと振り返る。

 青い顔で立っていたのは、竹川希望だった。手には、ダガーナイフが握られている。先ほど、ナタリーが投げたものだ。いつの間に拾い接近していたのか、まるで気付かなかった。

 それ以前に、こいつはバカガキ共にイジメられても何もできなかったはず。ほんの十秒ほど前まで、部屋の隅で腰を抜かして震えていたはず。


 そんな雑魚にすらなれないはずのガキが、この俺に向かって来たというのか?


「うああああ!」


 一方の希望は、狂ったように叫びナイフを振り上げる。しかし、立花の敵ではなかった。喉を掴まれ、片手で軽々と持ち上げられる。

 希望の顔が歪み、握っていたナイフが落ちた。


「岸田さんから、お前を生かしたまま連れて来いって言われてる。殺しはしないが、抵抗するなら両手両足へし折る」


 低い声で凄んだ時、銃声が轟く。放たれた弾丸は頭蓋骨を貫通し脳を破壊した。あっという間に、体の全機能が停止する。

 不死身の立花の異名を持つ男は、ここで生涯を終えた。ほんの僅かな油断と慢心が、彼を死に至らしめたのだ──


 立花の巨体が、ばたりと倒れた。ナタリーは拳銃を構え、さらに眉間に撃ち込む。とどめの一発だ。

 荒い息を吐きながら、希望へと視線を移す。彼は、床で尻餅を着いた体勢で震えていた。死体となった立花を凝視している。

 本当に想定外だった。この少年は、気弱で内気である。こうした修羅場では、恐怖のあまり体が硬直し、動くことすら出来ないまま殺されるタイプだ。無論、それは世の中の大半の人間が当てはまる。希望が特別なわけではない。

 立花も、そう踏んでいたはず。だからこそ、全神経をナタリーへと集中していた。

 ほんの少しでも希望を警戒していれば、背後からの奇襲などさせなかっただろう。


「ありがとう。おかげで助かったよ。それにしても凄いな。こんな奴に立ち向かっていけるとは」


 その言葉は、お世辞ではない。偽らざる本音だ。

 しかし、希望は俯いていた。照れているのだろうか。ナタリーは苦笑する。この子は、本当に少女のようだ。

 ややあって、希望は俯いたまま口を開く。


「高村さんのためです。あなたが死ぬと、高村さんが困るから……」


 その言葉に、ナタリーは眉をひそめる。どういう意味だ? と聞こうとした時だった。

 妙な音が聴こえてきた。スマホのバイブ音だ。ナタリーは、ちらりと立花の方を見た。

 音の源は、この大男だ。そっと近づき、上着やズボンのポケットをチェックしてみた。予想通り、スマホが見つかる。

 ナタリーは、そっと耳に当てた。



 




 


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