岸田真治と高村獅道という常識から逸脱しすぎているふたり

 獅道は、目の前にある建物を懐中電灯で照らした。

 見れば見るほど、異様な外観である。三階建てのアパートほどの高さで、広さは小学校の体育館くらいか。形は真四角で、外壁は黒に塗られていた……はずだったのだろう。外壁には、奇怪な絵が大量に書かれている。幼児の書いたようなでたらめな人物画があるかと思うと、妙にリアルで写実的なダイオウグソクムシの絵が描かれていたりもする。統一感がまるでない。

 しかも、ここは山の中である。周囲は緑に覆われ、人の気配はない。その上、今の時刻は九時を過ぎている。日は沈み、辺りは闇に覆われていた。

 闇の中、そびえ立つ異様な建物……お化け屋敷ですら、ここに比べればファンシーショップに思えるような不気味さだ。今から、こんなものの中に侵入しなくてはならない。

 

「天才か狂人か。どちらかはわからないが、岸田が筋金入りなのは間違いないな」


 ぼそっと呟くと、獅道は建物の裏に回る。この建物、外から入るには面倒な手順が必要らしい。

 裏側には、木製の小屋がある。粗末なもので、今にも崩れ落ちそうだ。獅道は、慎重に中へと入っていく。

 小屋の中は、四畳半ほどの広さだ。壁に沿って金属製の棚が設置されているが、他には何もない。棚の上は空っぽで、埃が積もっている。

 獅道は、床に敷かれている汚いマットを剥がした。すると、下に隠れていたものがあらわになる。床はコンクリート製で、中心には金属製の蓋のようなものがあった。

 慎重に蓋を持ち上げていくと、そこには穴が空いていた。中は暗く、狭い。だが、人ひとり通るくらいなら問題なさそうだ。獅道は、懐中電灯を口に咥えた。一歩一歩を確かめるように、慎重に降りていく。


 下に降りると、大きな地下道がある。十メートルほど先で行き止まりになっているが、壁には梯子が付いている。

 ここまでは、紙に書かれていた通りだ。しかし、この先については何も書かれていない。ただひとつ分かっているのは、梯子を登ると、あの奇怪な建物の内部に入れるらしい。

 そして建物の中に、竹川唯子が囚われている──




 獅道は、梯子を登っていった。着いた先は、先ほどと同じ暗い廊下だ。一本道であり、十メートルほど先には鉄製の扉がある。扉の隙間から、光が洩れていた。

 扉に近づき、慎重にノブを回してみる。簡単に回った。鍵はかかっていないらしい。

 そっと扉を開け、中に入る。途端、目の前に広がる光景に圧倒された──


 まず目に飛び込んで来たのは、コンクリートの床、そして木製の塀だ。

 二メートルはあろうかという高い塀に周囲をぐるっと囲まれた、円形の場所に獅道は出ていた。向こう側にも、鉄製の扉がある。円の直径は十メートルはあるだろう。さながら、古代ローマの剣闘士が闘った闘技場のようである。中央には、パイプ椅子が二脚、向かいあった形で置かれている。この場には似つかわしくないものだ。

 だが、そんなパイプ椅子など獅道の目には入っていない。観客席と思われる場所から、この円形の闘技場を見つめるものたちがいる。その異様さに、完全に度肝を抜かれていたのだ……。

 ひとつの席には、ドレス姿の女がいる。いや、ドレス姿の男かもしれない。獅道には、性別を判断することは出来なかった。

 なぜなら、その顔には皮膚も肉もないからだ。つば広の派手なデザインの帽子の下には、笑った骸骨の顔がある。生きた人間にはありえないくらい大きく口を開け、眼球のない目で獅道を見下ろしていた。胸元の大きく開いたドレスを着ているが、覗いているのは豊満な胸の谷間ではなく白骨である。片手にはワイングラスを持ち、立ち上がった姿で硬直している。いったい何を表現しているのだろう。

 その隣の席には、大きな球が置かれていた。人間の顔をいくつも貼り付け、ボールの形にしたものである。顔は、全部で十くらいか。皆、幸せそうな表情を浮かべている。常人なら、よく出来た作り物だと判断するだろう。

 だが獅道の目には、それが本物の人体を用いたものであるように見える──

 大きな絵が置かれている席もあった。描かれているのは、身分の高い貴族のパーティールームのようだ。全裸の少女が、虚ろな目で天井を見上げている。その周囲には、スーツ姿の動物たちが談笑していた。犬、豚、山羊、鶏……そうした動物の頭に人間の体を持つ者たちが、ワイングラス片手に語り合っている。中央にいる裸の少女のことを完全に無視しパーティーをしている、そんな風景が描かれていた。


 そんな異様な作品たちが、闘技場に入って来た獅道をじっと見つめている……獅道は、ただただ圧倒されるばかりだった。

 その時、向こう側の扉が開く。続いて、声が聞こえてきた。


「はじめまして。僕が岸田真治だよ。わざわざ来ていただけて嬉しいよ、高村くん」


 不思議な気分だった。

 獅道はこれまで、裏の世界で幾多の地獄を体験して来ている。常人が見ただけで吐いてしまうようなものを、現実に目の当たりにしてきた。血みどろの修羅場を潜り抜け、死と隣り合わせの青春を送って来たのだ。大抵のものを見ても動揺しないはずだった。

 にもかかわらず、今の獅道は異様な感覚に襲われている。まるで、狂った異世界に迷い込んでしまったかのような気分だった。

 目の前には、岸田真治と思われる男がいる。肩まで伸びた黒髪を後ろで束ねたスタイルで、顔は作り物のように美しく整っている。テレビやネットで多用されているイケメンなる言葉は、この男の前では色あせてしまうほどだ。身長は高く、百八十センチほどか。手足もすらりと長く、余分な脂肪が付いていないのは衣服の上からでも見て取れる。黒いジャージの上下を着ており、リラックスした態度でゆっくりと歩いて来る。その姿をあえて例えるなら、一昔前の少女漫画に登場する王子さまであろう。

 一方の獅道は、ただただ圧倒されていた。目の前にいる男は、武器は一切持っていない。隠している気配もない。にこやかな表情で、こちらに向かい歩いている。殺気はまるで感じられず、襲いかかって来る気配もない。

 こんな男が、白土市の裏社会の大物なのか──


「あんたが岸田さんかい。噂には聞いていたが、相当イカレてる人のようだな」


 気がつくと、そんな言葉が口から出ていた。岸田はといえば、パイプ椅子に座り足を組む。


「褒め言葉、と受け取っておこう。ところで、ここは気に入ってもらえたかな? 僕が作り上げた美術館なんだがね。ここでは、来訪者を作品たちが審査するのさ」


「何を言っているのか、さっぱりわからないな」


「つまりだ、この作品たちは問うているわけだよ。お前に、我々を見る資格があるのか? とね。本来、芸術とはそういうものなんだよ。見る側にも、資格が必要だ。君に、その資格があるのかな?」


「そんな資格いらないよ。それより、竹川唯子さんはここにいるんだよな?」


 鋭い口調の獅道だったが、岸田に怯む気配はない。にこやかな表情でかぶりを振り、自分の背後にある扉を指差した。


「せっかちな男だな。一応、この扉を開けた先にいる。ついでに、この騒動の元凶である樫本直也氏も一緒だよ」


「樫本はいらないから、唯子さんだけでも返してくれないかな。金で済むなら、何とかする。望みの額を言ってくれ」


「まあまあ、そう急がずに。ちょっと、お喋りでもしようじゃないか」


 お喋りだと? ふざけるな、と言おうとした獅道だったが、岸田の目に異様な光が宿っているのに気づいた。その目力に押され、言葉が出ない。

 一方、岸田は語り続ける。 


「君の名は獅道だったよね。とあるゲームのラスボスに、破壊神シドーというのがいたらしい。名は体を表すというが、君の生き方は破壊神そのものだ。御両親は、赤子の頃の君に潜む才能を見抜いていたのかもしれないね」


「さあ、どうだろうね。親父もお袋も、ガキの頃に死んだ。その後にも、いろんなことがありすぎた。当時は、生きるのに必死だったよ。だいぶ記憶が抜けてるからな。両親について覚えていることといえば、タクシーの中で頭がぐしゃぐしゃになってたことくらいだ」


 偽らざる本音だった。両親に対し、愛情を抱いていたのは確かだ。しかし、覚えていることなどほとんどない。両親が死んだことに対し、悲しんだ記憶もないのだ。

 ひょっとしたら、あの事故の時、自分の心は死んでいたのかもしれない。


「ああ、君の事情は聞かせてもらったよ。ゴールデントライアングルのジャングルを、幼い子供たちだけで抜けたそうだね。しかも、途中で命を落とした仲間の肉を食らいながら……」


 そこで、岸田は微笑んだ。ぞっとするほど美しい。たいていの女性は、この笑顔でころっと落ちてしまうだろう。

 だが、獅道は違うものを感じていた。岸田の裡に潜む何かが、徐々に目覚めようとしているのを感じ取ったのだ。思わず、拳を握りしめていた。


「たいしたものだよ。僕なら、確実に死んでいただろうね。その狂気と紙一重とも思える執念の源は、いったい何なんだい?」


「あれは、はっきり言って運がよかっただけだよ。強いて言うなら、俺はひとりじゃなかったし、生きなきゃならない理由があった。源と呼べそうなのは、このふたつだよ。これ以上、詳しいことはあんたには言いたくない。想像に任せる」


 鋭い表情で言葉を返したが、岸田は何とも思っていないらしい。その目は、天井にて煌々と輝くライトを見つめている。

 妙な間が空いた。と思った次の瞬間、岸田は再び語り出す。


「僕はかつて、退屈さに耐えかねて様々なことに手を出してみた。すると、周りは僕を天才だと言った。世界チャンピオンになれる、とまで言った人もいたよ。だが、何ひとつ続ける気になれなかった。続けていれば、僕は世界チャンピオンになれたのかもしれないね」


 淡々とした口調で語っている。言葉だけ聞けば、虚勢を張っている承認欲求の強い若者という印象を受けるだろう。

 だが獅道は、それとは真逆の印象を受けた。この男の言葉からは、嘘が感じられない。承認欲求などとは無縁なのだ。

 岸田は、一般人が欲しいもの全てを手にしている。他人から承認されることなど、かけらほどの興味もないのだ。


「だが、どうしても続ける気になれなかった。やがて、僕は人を殺した。その時、初めて自分の中に感情のうねりを覚えた。それから、また人を殺した。さらに、危険な闘争の場に身を置くようにもなった。楽しかったよ。時おり、自分が人間を超越したかのような感覚に支配されることもあった。君も、似た経験があるんじゃないか?」


「知らねえよ」


 これは嘘だった。実のところ、その気持ちは理解できる。生きるか死ぬか、その瀬戸際から生還した時、自分が超人にでもなったかのような感覚に襲われたことが何度かある。

 日本に帰ってきた直後、獅道は誰とも馴染めなかった。一時、島田義人という親友がいた。さらに、ふたりの恩人もいた。だが、その三人は彼の前から唐突に消えてしまう。

 それからは、孤独な日々を過ごしていた。将来に希望はなく、友もなく、居場所もない。そんな獅道が、引き寄せられるように裏の世界に足を踏み入れたのは……ある意味、必然だったのかもしれない。

 一方、岸田はフフフと笑う。仕草がいちいち芝居がかっているが、憎らしいほど様になっていた。凡人が真似をしたら、コントの登場人物にしか見えないだろう。


「知らねえよ、か。まあ、そうだろうな。ところで、もうひとつ教えて欲しい。君は竹川唯子さんと竹川希望くんを助け出すためだけに、これだけの騒ぎを起こしたのかい?」


「そうだ」


「結果、大勢の人間が死んだ。この事実を、君はどう思う?」


「知らないね。俺は正義の味方じゃないからな。引き受けた仕事は、きっちりやり遂げるのがモットーだ。やり遂げるためにベストと思われる手段を取る、その過程で何人死のうが知ったことか。あんただって、こっちの世界で生きてんだ。それくらいわかるだろう」


 吐き捨てるように言うと、岸田は満足げな様子で頷いた。


「なるほど。君は、やはり破壊神だな。差し支えなければ、誰に依頼されたのかも教えて欲しい」


「基本的に、依頼人の名前は明かせないんだよな。だが、今回は特別だ。俺が俺に依頼した仕事だよ」


 その答えに、岸田はくすりと笑った。だが、直後に表情が変わる。


「あの親子は、君の何なんだ? そこまでする値打ちが、あの親子にあるとは思えないがね。今の彼女がどんな状態かは、聞いているだろう?」


 獅道は、思わず奥歯を噛み締めていた。そう、今の唯子がどんな状態かは知っているし、何をされたかも知っている。聞いた瞬間、近くにいた神代に殺意が湧いたほどだ。まして、希望が変わり果てた母と再会したら……。

 それでも、助け出さなくてはならない。


「何でもいいだろうが。それに、理由はもうひとつある。俺は希望に約束したんだよ。唯子さんを助け出す、とな。それで充分だろうが」


「君は、本当に面白いな。その約束に、命を懸けるつもりなのかい?」


 好奇心を剥きだしにした岸田に対し、怒りが押さえきれなくなってきた。もう、我慢の限界だ。


「いい加減、くだらん質問はやめてくれ。そろそろ本題に入ろう。あんたは、唯子さんを引き渡す気があるのか?」


「そうだねえ、どうしようか迷っているところだよ。優柔不断なのが、僕の悪い癖でね」


 岸田は、またしてもフフフと笑う。獅道の方は、どうにか冷静さを保ちつつ考えを巡らせる。この男、金では動かない。なら、次の手だ。


「それは困るな。俺は、早く白土市を離れたいんだ。今すぐに唯子さんを引き渡してくれたら、あんたにとって最も邪魔な奴をひとり殺してやる。もちろん金はいらない。これでどうよ?」


「今のところ、邪魔になる奴など特に思い当たらない。申し訳ないが却下だ」


 冷たく言い放った。その瞬間、獅道の中で何かが弾ける。

 作業着の内ポケットに手を入れ、拳銃を抜いた。岸田を睨み、銃口を向ける──


「こいつは抜きたくなかったんだがな。どうするのか、今すぐ決めてくれ。頭ぶち抜かれて死ぬか、唯子さんを渡すか」


「そうか。つまり君は、僕との闘いを選ぶのだね。悲しいが仕方ない」


 岸田の声は、ひどく悲しげだった。









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