同居人

@tsutanai_kouta

第1話

最初に気付いたのは"匂い"だった。

 

帰宅してアパートの自室に入った時に甘い匂いがしたのだ。自分のではない、女性が好むような香水の香りである。自慢ではないが、女性が俺の部屋を訪ねてきた事など無い。

この時は


(気のせいか・・・?)


と思い、あまり気には留めなかった。しかし、それから数日後、同じく部屋の中で俺は自分の肘あたりに付着した「それ」を見つけた。最初はシャツの糸屑だと思い、引き千切るつもりで指に巻きつけ力強く引いてみたら、それは想像に反し、なんの抵抗もなく、スルリと指についてきた。俺は自分の手を目の高さまで持ち上げ、まじまじと眺める。右手の人差し指に巻きつきだらりと垂れ下がっている「それ」は髪の毛だった。30cm以上あるブラウンの頭髪であり、もちろん俺のものでは有り得ない。


俺は凄まじい勢いで指に巻きついている髪の毛をほどき、ゴミ袋に投げ込むと、口をきつく縛った。そして気を落ち着けるため煙草に火をつけ、深く吸い込んだ。情けないが、この時俺の手は微かに震えていた。煙をそろそろと吐き出しながら、部屋の中に何か異常は見られないか、ゆっくり見回す。取り立てて奇妙な箇所は見つからない。俺は煙草の灰を落とすべく灰皿に目をやり、動きを止めた。灰皿には煙草の吸殻が、こんもりと盛り上がっている。俺は瞬きも忘れ、吸殻の山を凝視した。そして灰皿から目を離さないまま、片手でテーブルの上に新聞紙を広げ、灰が飛び散らないように、慎重に灰皿をその上に傾けた。ばらばらと新聞紙の上に吸殻が散らばる。吸殻の大部分は普段俺が吸っている銘柄、マイルドセブンのフィルターだったのだが、一部のフィルターに緑色の線が入っているメンソール系の煙草の吸殻が含まれていた。重ねて言うが、俺の部屋を訪ねて来た者など居ないし、煙草の銘柄を変えてもいない。

 

俺は吸殻の山から、メンソールの吸殻を選り分けた。そのフィルターには紅いリップの跡があった。

 

  *********

 

煙草の吸殻は、髪の毛と同様にゴミ袋にしまい、バスタブに放り込んだ。あまり意味のある行為では無いが、視界に入る場所に置いておきたくなかったのだ。繰り返しになるが、訪問客など記憶にないし、煙草の銘柄を変えてもいない。


誰かが、俺の部屋に侵入している?

それとも、この部屋には俺以外の何者かが居る?


これらの想像は、俺の怖じ気づかせるのに充分だった。俺は静かに狼狽し、傍に散らばる雑誌を積み上げたり、コロコロで床の掃除を繰り返した。白状すると俺の脳は恐怖でまるで働いていなかったのだ。俺は悶々としながら昔買って放置していたデジタルカメラを実験動物のサルのように弄くり回した。すると、再生ボタンを押してしまったらしく、液晶画面に録画されていた画像が映し出された。デジカメを購入した日に部屋で試し撮りした画像だろうか? 何時撮ったのか定かでないが、面白みのない見慣れた部屋の画像ばかりだった。本棚、壁に貼った古い映画のポスター、少し前の型のPC─。


そのうちの1つに俺の目は釘付けになった。画像の端に撮影者のものと思われる爪先が映りこんでいたのだが、それは小さな爪を綺麗に彩った、明らかに女性の足だった。更に次の画像には床に寝転ぶ俺の横顔が映っていた。ぶれぶれの画像だったが、間違いなく俺の「寝顔」だった。


そう、この映像を撮影したのは「俺」ではないのだ。一人暮らしで訪ねる者など皆無の俺の部屋の中で、「誰か」がこの映像を撮影したのだ。

 

結局その日、俺は布団に包まり、寝付くことの出来ないまま朝を迎えた。目を閉じたまま原付バイクのエンジン音を遠くに聞く。もう朝刊を配達する時間なのだろう。そして、私が何度目かの寝返りをうった時、あるものが私の目に飛び込んできた。前触れも無く、唐突に、そして不条理に。


それは、私の隣りに横たわる女の顔だった。女は眼球が飛び出すほど眼を見開き、薄く開いた唇は僅かに震え、血色の失せた白い肌をしていた。俺は石の様に身を硬くし、女の顔を見つめた。女も俺の顔を穴が空くほど凝視している。


それから、どれだけの時間そうして見詰め合っていたのか解らないが、終りは突然来た。"彼女"がバネ仕掛けの人形のように飛び上がり(蛇足だが、この時俺の心臓も同じように跳ね上がった)、玄関の方に向かって突進したのだ。その姿を見た訳ではないが、床を蹴る音は、玄関に向かい、そして消えた。俺は、脱力し震える手足に力をこめ、なんとか立ち上がった。ふらつきながら玄関に向かい、ドアノブを見た。玄関の鍵はしっかりと掛かっていた。



  *********


俺は疲れていた。心身共に。全身を疲労と倦怠感が包み、立ち上がる事もままならない有様だった。昨夜の女の形相が、目に焼き付き離れなかった。思考は閉じた回路のように同じ所をぐるぐるぐると回り続けている。俺はそのままウトウトと、浅い眠りを重ね、得体の知れない断片的な悪夢を見ては、何度も自分のうなされる声で目を覚ました。

 

最初は、それが夢か現実か区別がつかなかった。俺は曖昧でぼやけた視界の中心にある金属の球体を見つめていた。次第に覚醒する意識の中で、俺はそれが自室のドアノブだと覚った。ドアノブは、ゆっくりと回転している。俺はぎょっとして横になっていた体を起こす。ドアノブが回転しているという事は、内側から施錠されているこの部屋に誰かが入ってこようとしている事を意味している。神経が異様に張り詰め、開くドアがまるでスローモーションのように見えた。やがて、開いたドアの向こうにあの女の顔覗く。俺は今にも口から飛び出しそうになっている悲鳴を必死で飲み込む。開いたドアから覗く女の顔の後ろに、もう一つ、男の顔が浮かんでいた。彼らは頭部のみで、首から下には何もない。俺は堪えきれず、擦れた悲鳴をあげ、壁際まで跳び退った。背中を壁にぴったり付け、ぶるぶると震えた。頭の中で何かが弾けそうだった。そんな俺を尻目に、二つの顔は部屋の中に入り込み、向き合って会話を始めた。


「ほらぁ、誰もいねーじゃん」

「絶対なんか居るって!この部屋!」

「何もない、フツーの部屋だって」

「でもでも、昨日の明け方、隣りに青白い男の顔が・・・!あ、そーだ!これ見てよ!」


女の肩口から何もなかった空間に右腕が現われ、床の上のデジカメを掴んだ。そして、二つの顔は並んで暫しの間、無言でデジカメの液晶を覗き込む。

 

「うわっ!なにコレ!?」

「ね!?ね!?床の上に変な男の横顔が映ってるでしょ!?」

 

女と男の首から下が、次第にはっきりと現われ始めた。俺は、自分の両腕に視線を向けると、二人の来訪者とは逆に、徐々に透けていってるのが解った。もう一度、二人をよく見ると、彼らは街でよく見かける普通の若者達だった。もう体のどこにも透けている部分は無い。それと反比例するように俺の体はすっかり見えなくなっていた。俺は泣きそうになりながら悟る、「居るはずがない」のは自分だったのだ、と。

 

  *********



あの二人の来訪者があった日から、どれくらいたったのか定かではないが、この部屋の正当な居住者であった彼女は、あの日から数日後、引っ越していった。

俺は、家具がなくなったがらんとした部屋に、まだ独りで居る。自分が何者で、何故死んだのかも思い出せないまま誰も訪れないこの部屋に独りぼっちで居るのだ。


・・・いや、たまには今日のように不動産屋らしき男が、客を連れ、この部屋を見に来る。今日の客は、学生らしき若い男で、熱心に駅までかかる時間や、部屋の設備について不動産屋に質問している。

俺は二人の邪魔にならないよう(邪魔しようがないのだが)、壁に張り付き、じっと二人を見ていた。すると、その客と目が合った。彼はじっと私の方を見つめていたが、おもむろに、こちらを指差し、不動産屋に聞いた。



「この部屋、何故壁にライフマスクなんか飾っているんですか?」

 

 

 

  -fin-

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