長浜一年物語
ぱんじゃん
1月 豊国神社
「颯太、隼人君もう家の前まで来てるわよ」
「分かってるって、もう準備できてるから」
中川颯太は下に居るはずの母の声にそう返す。LINE来てるんだから、そんなこと言われなくても分かっとるわ。そんな愚痴を心の中で呟きながら、机の上に置いたショルダーバッグを手に取り、クローゼットに掛けた黒色のダウンを羽織る。ヒーターの電源を消したことを確認すると部屋のドアを開けて冷たい階段を駆け下りた。
「待たせてるでしょ、早くしなさい」
リビングから母の声が聞こえる。
「だから分かってるって。今行くとこだから」
そう返事しながら颯太が玄関のドアを開けると、1月の凍り付く様な空気が流れ込んで来た。
「神社の鳥居ってな、真ん中は神様が通る道やから端を歩かなダメなんよ」
隣を歩く大宮隼人の話を聞き流しながら、『豊国神社』と書かれた石碑が傍に置かれた鳥居をくぐり、石畳と玉砂利で綺麗に整えられた境内に出る。太閤さん、いわゆる豊臣秀吉を祀るこの神社は、慶長3年の建立以降江戸幕府の圧力を受けながらも、長浜の町民たちが形を変えながら脈々と続けてきた信仰の一部となっている。両親が県外出身の颯太には通っている中学校の地域学習でたまに聞く程度のものだが、昔からこの町で呉服店を営む家に生まれた隼人の日頃の話を聞くに、一部の人々の間では今も受け継がれているのだろう。
「こっち来るんやったら十日戎の餅まきの時でもよかったんやないか。なんで今日来たん」
三が日も終わり、人の少なくなった境内を手水舎に向かって歩きながら、颯太は疑問を口にした。
「十日戎の日は部活あるし無理やろ。あと八幡さんの方は元日に家族で行ったねん。2回も同じとこ行ったらそれはもう初詣ではないって」
「神様もそんないちいち覚えてへんやろ。そんな暇やないんやから」
「いや暇やって。正月と祭りの時以外はニートみたいなもんやから神様は」
腕を捲り、置かれた柄杓を手に取りながら不敬な会話をする。真冬の屋外に置かれ続けた手水は氷のように冷たく、かけられた手はすぐに赤くなる。寒さに刺された様に痛む手をズボンのポケットに入れた颯太は、ハンカチを忘れたことに気付いた。
「すまん隼人、ハンカチ貸してくれ」
「俺も忘れたんよな。まあズボンで拭けば良いやん」
隼人はそう言うと、ジーパンで濡れた手を拭った。相変わらず適当な奴だなと思いながらも、他に方法が思いつかなかった颯太はカーキ色のズボンで手を拭った。
がらんごろんと鳴る鈴を揺らし、手に持った5円玉を賽銭箱に投げ入れる。金属同士が当たった甲高い音に重ねる様に、颯太と隼人は二礼ニ拍手一礼をする。数秒の沈黙の後、2人は拝殿に背を向けて歩き出した。
「颯太、何をお願いしたんや」
隼人は肘でつつきながらそう問うてくる。
「教えん。他人に言ったら叶わんくなるからな」
「もしかしてアレか、夏菜ちゃんのことか」
核心をつかれた颯太は、少し早口になりながら言い返す。
「ち、違うわ。第一なんでそんな話になるねん」
「お前バレバレやで。部活の時もずっと陸上部の方見てるやん。そんなんやから三木先生にいっつも怒られるんやろ」
「いや違う、ほんまに違うから。あんまり言い過ぎるとあっちにも迷惑やから止めてくれ」
そう言いながら鳥居をくぐり抜け、黒壁スクエアの方へと歩き出す。
「そんなん言ってごまかして。俺は夏菜ちゃん可愛い思うけどな」
「もうその話はええて。それよりお前もう宿題終わったんか。今週末の部活で提出やぞ」
あっ、と間抜けな声を隼人が上げると同時に、目の前の信号が青になり、2人は歩き出す。
「なんで部活で宿題チェックされなあかんねん。こんなん野球部だけやって」
不満を言う隼人を振り返りながら颯太は答える。
「うちが厳しいのはそうやけど宿題チェックは陸上部もあるらしいぞ。というかコツコツしてたらもう終わってる量やぞアレ」
「俺はな、短期集中型やねん。コツコツなんて無理無理」
何故か自慢げに語る隼人から目を離し、上を向いた颯太の顔に何か冷たいものが落ちてきた。
「雪か」
立ち止まった颯太がそう呟く間にもまた1つ、また1つと雪の結晶が落ちては体温で溶けて消えてゆく。
「おお、今年初めてやな。積もったら雪だるま作ろうぜ」
「せやな。あんまり積もると面倒くさいからほどほどにしといて欲しいもんやね」
そう言いながら颯太は再び歩き出した。今年は、いや今年も良い年になりますようにと心の中で思いながら、黒壁スクエアに足音を響かせる。雪にはしゃいでいた隼人が慌ててアーケードの中に入った頃には、長浜の町中に雪が降り注いでいた。
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