二 事件発覚

 翌早朝、葉月(八月)九日、暁七ツ半(午前五時)。

「お嬢さん。起きてください。まあっ、こんなとこで、お漏しして・・・」

 下女のヨネが雪を起こした。雪は奥座敷の手前の座敷で眠ったままだった。

 下女は奥座敷の襖を開けた。

「ああっ・・・」

 そして、奥座敷の惨状に言葉を失って気絶した。



 奥座敷へ行ったま戻らぬ下女を気にして、大黒屋の番頭の三吉さんきちが奥座敷の手前の座敷に現われた。奥座敷の隣で倒れている雪と下女を見つけ、さらに奥座敷を見て、三吉は喚こうとしたが思い留まった。慌てて店に戻り、こっそり大番頭の与平よへいを連れてきた。


 大番頭の与平が雪と下女を起こした。

「こんな時に何ですが、夜盗の顔を見なかったんですか」

 与平は雪を問いただした。

 雪は茫然自失でその場に座っていたが、大番頭の問いに疑問を抱いた。父母が殺害されたこんな折に、いったいこの男は何を訊きたいんだろう。なぜ夜盗が入ったとわかったんだろう・・・。

 そう言う私も、昨夜、父母が殺害された折は動揺して気を失ったが、今は父母が殺害された事に、さほど動揺していない・・・。この茫然自失を演じているのはなぜだ・・・。だからとて、さほど動揺していない事を人に悟られてはならない・・・。なぜか雪はそう思った。

「見てません。親が殺されるのを見て、私は気を失いました・・・」

 この男には昇り龍の彫り物の話をしてはいけない・・・。なぜか雪は大番頭を見てそう思い、誰にも、父を斬殺した盗夜の昇り龍の彫り物の話をしなかった。そして、父母が斬殺された事に、己がさほど大きく傷ついていない事を不思議に思っていた。この気持ちはいったい何だろう・・・。


 大番頭の与平は雪が呆然自失しているように見えた。そして、火付盗賊改方ひつけとうぞくあらためかたに事件を知られてはならないと思った。というのも、火付盗賊改方の杜撰な探索は知られている。夜盗が主夫婦を斬殺した事が知れ渡って火付盗夜盗改方が動くと、奉公人に嫌疑がかけられて冤罪にされる可能性が高いからだ。

「二人とも、この事は内密にしなさい。火付盗賊改方に知られると、私たち奉公人に嫌疑がかけられます。奉公人にも気づかれてはなりません。

 早く、お嬢さんを離れの寝所に連れて行きなさい」

 大番頭は番頭と下女に事件について口止めし、雪を離れの雪の寝所へ連れてゆかせた。

 さらに大番頭は店へ行き、奉公人に、

『主夫婦が流行病はやりやまいで病死した。ひいては、感染するといけないから、座敷と奥座敷を立ち入りを禁止する。

 神田佐久間町の町医者竹原松月たけはらしょうげつ先生が許可するまで、皆が店に留まり、主夫婦の他界を他言しないように』

 と言い含めた。


 全ての段取りを整えると、大番頭は主夫婦が斬殺された他に、どのような被害があったか詳しく調べ、主の大黒屋清兵衛だいこくやせいべえ夫婦が斬殺されて土蔵の金子と貴重な品々が奪われた事を、火付盗賊改方に気づかれぬよう、内密かつ直々に北町奉行へ知らせた。

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