50.傭兵一族の屋敷に蝿が一匹

 僅かな平和の終わりを告げる手紙を読み終え、丁寧に畳んだウルリヒは机の引き出しに入れた。この時点で、手紙はトラップ確定だ。本当に重要なら声に出して読まない上、読んだことすら悟らせないだろう。


 手紙も燃やされるなど、確実な方法で存在自体を消される。手紙の差出人は、カミルが届けた相手だった。一週間の囮役をこなす彼が戻るより早く返信があったのは、事前に命じてあったからだ。カミルが届けること行為そのものが囮、敵の目を逸らし撹乱する意図があった。


 人を騙し引っ掛ける策略は、ウルリヒの得意分野だ。息をするように人を騙し、利用する宮廷で生き延びた男は、誰より腹黒い一面を持つ。心から信頼するのは、友人であるルードルフのみ。だが立ち位置が変われば、その信頼すら利用できる男だった。


「そろそろ、ですね」



 意味ありげに呟き、机の引き出しに他の書類を詰める。手紙を隠すような所作を見せつけ、鍵を掛けて立ち上がった。


 そろそろ、ルードルフとアンネリースのお茶会が終わる。顔を出して、夕食の約束を取り付けるとしよう。紛らわしい言動を振り撒きながら、ムンティアの宰相は執務室を後にした。この後はどこで時間を潰そうか。


 忍び込んだ間者が、鍵を開けて手紙を確認する時間が必要だ。うろうろと歩き回るのもおかしい。アンネリースに講義でも……。方向を変えたウルリヒは、途中で見知らぬ女性とすれ違った。足を止めて振り返る。目を細めた彼の隣を、顔見知りのゼノが通った。


 彼女の鋭い視線は、見知らぬ女性から離れない。それが全てを物語っていた。傭兵団の屋敷に普通の女性がいるわけがない。勤めているゼノ、スマラグドス一族なのだ。戦場に立たずとも、この屋敷を守り後詰めする彼女らが無能なはずはなかった。


 気の毒なことだ。ゼノは短剣による戦闘術をマスターしている。楽に死ねたらいいが……その前に戦士が駆けつけるか。どちらにしろ、スマラグドスの屋敷に忍び込んだ時点で、無事出られるはずがない。執務室の上の間者のように、ウルリヒが目溢しを命じない限りは。


 やれやれと首を横に振り、ウルリヒは踵を返した。夕食の予定は言付ければ済む。この先を確かめる方が楽しそうだ。退屈を埋める方法に嗅覚鋭い男は、いそいそと追いかけた。


 追いつきそうで追いつかない、絶妙な距離でゼノの後を着いていく。屋敷の奥へ向かう女を泳がせていたが、一定のラインを超えたところでゼノが動いた。驚くほどスムーズな動きで距離を詰め、女の右手首を掴む。と同時に捻った。


「きゃっ」


 うっかり声を上げた女性は、そのまま引き倒されて床にうつ伏せにされた。すぐに両側から戦士が現れ、叫ぶ間もなく猿轡をして縛り上げる。異性だからと容赦する者はいなかった。


 この屋敷で重要なのは、客人か、同族か、それ以外か。招かれぬ客に対し、加減する理由はない。


「ウルリヒ様、邪魔です」


 一刀両断、とりつく島のないゼノの冷たい態度に、ウルリヒは肩を竦める。邪魔なのは承知の上でついてきたのだから、文句を言われるのは当然だ。顔の良さは考慮しないスマラグドスの女性は、淡々とウルリヒを追い払った。

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